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芥川山城
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現実の城情報 Edit

「日本の副王」と称された三好長慶の居城で、「畿内の政庁」として機能した摂津最大の山城。
『瓦林政頼記』『不問物語』『那智籠』などに、永正13年(1516年)に細川京兆家の高国が築かせたと記され、摂津守護だった高国や守護代の薬師寺氏は茨木城を摂津の守護所としていたため、芥川山城は高国の被官の能勢氏が預かっていた。
大永6年(1526年)、阿波細川氏の晴元が高国に対し兵を挙げ、高国は敗れ能勢氏も没落し、晴元は天文2年(1533年)に芥川山城に入った。晴元は入京を目指していたものの、一向宗や法華宗の門徒の勢力が強かったために京に入れず、天文5年(1535年)にようやく京に入り管領となった。
この間の芥川山城は改修が行われて守護所として機能し、晴元は入京後も畿内における軍事的緊張のなかで度々芥川山城に入っている。
やがて晴元の家臣の三好長慶が晴元や室町幕府の将軍足利義輝を京から追って畿内を支配し、天文22年(1553年)には芥川山城に入って畿内支配の拠点とした。この時代の長慶の政権を「芥川政権」、芥川山城を「畿内の政庁」と評することもあり、長慶は旧城主の細川氏に代わって東瀬戸内諸国や京を支配する存在であることを誇示した。


所在地大阪府高槻市原
現存状態堀切、石垣、土塁など
城郭構造連郭式山城

コメント Edit

最新の10件を表示しています。 コメントページを参照 画像を非表示

  • 三好長慶、一時は天下も取った有力大名なのに、その居城の飯盛山城の扱いが悪過ぎた。芥川山城はそうならないことを祈る。 -- 2017-01-11 (水) 13:19:34
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