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岡ミサンザイ古墳
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現実の城情報 Edit

5世紀後半に築造された仲哀天皇の陵とされ、大仙陵古墳などとともに百舌鳥・古市古墳群の一つに数えられる大型前方後円墳。
「岡」は地名で「ミサンザイ」は貴人の墓を意味する『みささぎ(御陵)』が転訛したものとされる。
平成8年(1996年)の宮内庁による調査で中世に城郭として利用されたことが明らかになっており、永禄~天正にかけての戦乱で、三好長慶の叔父で高屋城主の三好康長(笑岩)らが拠点にしたと考えられている。
前方後円墳の後円部の頂上部を曲輪としてその周囲を二重の横堀がめぐり、前方部は内側へと傾く土塁で囲まれており、古墳の周濠は空堀となっていて、全体的には戦国末期の畿内における典型的な陣城の構造となっている。
特に横堀は西側の斜面に向けては巨大な竪堀となっており、その間には複数の竪堀が設けられ、飯盛山城と同じく河内国では数少ない畝状空堀群として評価される。


所在地大阪府藤井寺市藤井寺
現存状態古墳、堀、土塁など
城郭構造前方後円墳

コメント Edit

Show recent 10 comments. Go to the comment page. 画像を非表示

  • は、墓・・・ -- 2017-06-01 (木) 01:07:08
    • 真田信繁も使った城やね -- 2017-06-01 (木) 01:11:30
      • 信繁が入ったのは大塚城(茶臼山古墳)の方だったかと。 -- 2017-06-01 (木) 01:44:21
      • 信繁は使おうとしてたってだけだったね、千田先生によると -- 2017-06-01 (木) 01:46:33
    • し、城! -- 2017-06-01 (木) 22:52:03
  • 吉野ヶ里の仲間! -- 2018-03-11 (日) 10:28:32
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