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大友氏館
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現実の城情報 Edit

大友氏館は大友氏が豊後国に守護として土着して以降拠点とした府内(現在の大分市)にあった守護館。
建築年代は定かではないが、14世紀から16世紀にかけて大友氏の居館および政治的な中心として用いられたと考えられる。
最低限の防御設備のみを備えた居館であり戦闘力は低く、戦時の際には詰めの城である高崎山城などに籠もって戦った。
こういった構造は守護大名にはよく見られ、躑躅ヶ崎館要害山城大内氏館高嶺城、朝倉氏館と一乗谷城などが挙げられる。
館はおよそ200m四方のいわゆる「花の御所」を模した様式とされ、その点からも大内氏館や躑躅ヶ崎館との共通点が見える。
大友氏館から南の上野丘陵に位置する上原館(うえのはらやかた)が長らく大友氏の居館だったと考えられてきた。しかし1990年代後半からの発掘調査により大友氏館の存在が確認されたため、その役割分担などについての研究が待たれることになった。


所在地大分県大分市顕徳町
現存状態発掘調査・史跡整備中 今後復元予定
城郭構造守護館

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