Top > 陸奥小田山城

陸奥小田山城
HTML ConvertTime 0.063 sec.

南北朝時代の1354年頃に、芦名直盛が築城する。
標高は280~372m、陸奥飯盛山城(滝沢本陣や白虎隊自刃の地)と並び、会津盆地東側に位置する城跡。

黒川城の支城の一つで後詰の城として運用された。
1568年、芦名盛氏が向羽黒山城を築城した事により、その後は砦程度の扱いだったと考えられる。

戊辰戦争の際には小田山城周辺が政府軍に占拠される。
小田山中腹から、会津若松城の天守までの距離が約1400mである事に対して、
アームストロング砲の射程が1500mの為、絶好の位置から砲撃される事になる。

会津若松城の地形的な弱点は、戊辰戦争の260年前に上杉景勝、直江兼続の両名が予想し神指城築城の引き金になっている。


所在地福島県会津若松市門田町黒岩
現存状態土塁、堀、塀(復元)
城郭構造山城


ホーム リロード   新規 下位ページ作成 コピー 編集 添付 一覧 最終更新 差分 バックアップ 検索   凍結 名前変更     最終更新のRSS