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左沢楯山城
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現実の城情報 Edit

名門大江氏の流れをくむ左沢氏の居城で、最上川沿いに位置する水陸交通を押さえる要衝の城。
大江氏は源頼朝の重臣である広元が奥州藤原氏討伐の功で寒河江庄と長井庄の地頭職を得、子の親広が承久の乱で上皇方について敗れた後に寒河江に逃れたという。
「左沢」の由来は大江氏の領主が長岡山に登って西を見た時、左手に見える山谷を指して「あて(あちら)の沢」と呼んだからとも、山岳信仰の地である日光山で礼拝した時に左に見える沢を「あてらの沢」と呼んだからともいう。
寒河江に土着した大江氏(寒河江氏)は南北朝時代の時茂の代に次男の元時を左沢に派遣し、左沢楯山城は元時によって築かれたとされる。
元時は応安元年・正平23年(1368年)の漆川の戦いで最上氏に敗れ一族63人が自刃したが、子孫は左沢の地に定着して勢力を伸ばし、やがて寒河江氏に並ぶ国人領主となっていった。


所在地山形県西村山郡大江町
現存状態堀切、土塁など
城郭構造山城

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