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篠脇城
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現実の城情報篠脇城(しのわきじょう)は岐阜県郡上市(美濃国郡上郡)にあった、鎌倉時代から同地を治めた東氏の本城として使われた城である。 続きをクリックで表示 鎌倉時代、室町時代と同地を治め続けた東氏であるが、応仁の乱では南の土岐氏の攻撃を受けるなど周囲の勢力の圧力にさらされ、家中の不安定もあり衰退を始める。 その後、東常慶の子常尭が遠藤胤縁を殺害した(これは常慶が常尭に胤縁の娘を娶らせようと考えたところ、胤縁がこれを断ったことを恨んでのことと言われている)ことで遠藤盛数が蜂起することとなる。 現在でも朝倉氏の攻撃を跳ね返すことに貢献した竪堀の遺構が篠脇山に多く残っており、他にも堀切が確認されている他、山頂付近の平地には案内板等も設置されている。
篠脇城と和歌を巡る伝承(クリックで表示) 篠脇城と和歌を巡る伝承東氏初代東胤頼やその子重胤は藤原定家やその子二条為家に仕え和歌を学ぶなど、東氏はその始まりから歌道によく通じ、御家人の間でも評判であったという。 『鎌倉大草紙』の記述によると、 これを文面通り受け取ることができるかは判断が難しい*1ものの、武家社会において歌道が重要な教養となっていたことがよくわかる史料となっている。 連歌師である宗祇は、常縁から古今和歌集の解釈を学ぶために度々篠脇城に赴いていたことが知られており、歴史上はこれが最初の古今伝授として伝えられている。 コメント |
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