Top > 箕作城

箕作城
HTML ConvertTime 0.067 sec.

現実の城情報 Edit

箕作城(みつくりじょう)は観音寺城の支城の1つであり、織田信長と六角義賢の戦いにおける最大の激戦地となった山城である。箕作山城ということもある。
観音寺城の約1km南東にある山塊のうち北側の峰に築かれ、頂上部に主郭が置かれたことはわかっているが、それ以外についてははっきりしていない。
応仁の乱において、六角氏内でも近江守護職を巡り西軍側の亀寿丸と、東軍側についた六角政堯とで分裂が起こり、六角政堯が観音寺城に対抗するために当地に城を築いたのが最初とされている。
観音寺城は政庁機能が重視された側面が強く、明応の政変など幕府内の対立が激化し、また六角氏自身も内部での抗争や、北の京極氏やそれにとってかわった浅井氏などとの対立が続く中で守備面の不安が強くなった。
そのため、周囲に支城を張り巡らせることで防御の強化をはかり、当城も天文年間の1550年頃に改修が行われ、和田山城?などとならぶ主要な支城として整備が行われた。


所在地滋賀県東近江市五個荘山本町
現存状態石垣
城郭構造山城

コメント Edit

コメントはありません。 Comments/箕作城? 

お名前:

  URL B I U SIZE Black Maroon Green Olive Navy Purple Teal Gray Silver Red Lime Yellow Blue Fuchsia Aqua White


ホーム リロード   新規 下位ページ作成 コピー 編集 添付 一覧 最終更新 差分 バックアップ 検索   凍結 名前変更     最終更新のRSS