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雨鳴城
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現実の城情報 Edit

『甲斐国志』には「東南ヘ一級下リ馬冷場ト云処三面ニ塁ヲ設ク」とあり、中野城の築かれる城山と雨鳴山を結んだ尾根の絶頂付近、標高833メートルにある遺構を雨鳴城(あまなりじょう)と比定している。
この地は源氏秋山光朝が源頼朝の追い討ちをうけ自害した地として伝承され、山を下りたところに秋山光朝館(現:熊野神社)があった。
城の呼称は雨鳴山に由来し、その山の名前は『甲斐国志』に曰く、光朝の父加賀美遠光が鳴らしているとされ、里人の間では「雨が降る前に鳴る」と言われていた、とある。また、この声は滅多に聴けないため聞くと災いを齎すと考えられた。
熊野神社境内からは江戸時代前期に銅製の経筒二点が常滑焼の甕などと共に出土し、そこに刻まれた銘文から、源朝臣光経らが施主ちなって一族の繁栄を願って建久8年(1197年)に埋納したことが分かる。


所在地山梨県南アルプス市湯沢・中野
現存状態堀、堀切、尾根
城郭構造山城

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