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平井城 のバックアップ(No.33)
城娘ステータス: 全城娘一覧(刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | 茶器 | その他 || 平属性 | 平山属性 | 山属性 | 水属性 | 地獄属性 | 無属性)初期ステータス 装備品: 刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | 茶器 | その他 || 施設 || 消耗品 | 城娘: 特技(攻撃系 / 防御系 / 弱体化他) | 所持特技 | 編成特技 | 大破特技 | 特殊攻撃 | 特殊能力 | 武器切替 | 計略(伏兵以外 / 伏兵) | 都道府県別 | 令制国別 | 季節限定城娘 | 特定カテゴリ |
赤数字は無印での最大レベルかつ絆100%時の値です。★1=Lv90、★2=Lv95、★3=Lv100、★4=Lv105、★5=Lv110、★6=Lv115、★7=Lv120
平井城/ステータス
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| 初期配置 | 巨大化 | |||||||||||||
| 突破 | Lv | 耐久 | 攻撃 | 防御 | 範囲 | 回復 | Lv | 耐久 | 攻撃 | 防御 | 範囲 | 回復 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 無 印 ★ 6 | 0 | 50 | 1910 | 140 | 135 | 200 | 20 | 50 | 3820 | 252 | 270 | 360 | 30 | |
| 0 | 55 | 1958 | 148 | 141 | 200 | 21 | 55 | 3916 | 266 | 282 | 360 | 31 | ||
| 0 | 60 | 2006 | 156 | 149 | 200 | 22 | 60 | 4012 | 280 | 298 | 360 | 33 | ||
| 0 | 65 | 2054 | 165 | 157 | 200 | 23 | 65 | 4108 | 297 | 314 | 360 | 34 | ||
| 0 | 70 | 2102 | 172 | 166 | 200 | 24 | 70 | 4204 | 309 | 332 | 360 | 36 | ||
| 0 | 75 | 2151 | 180 | 171 | 200 | 25 | 75 | 4302 | 324 | 342 | 360 | 37 | ||
| 1 | 80 | 80 | ||||||||||||
| 1 | 85 | 85 | ||||||||||||
| 2 | 90 | 90 | ||||||||||||
| 2 | 95 | 95 | ||||||||||||
| 3 | 100 | 100 | ||||||||||||
| 3 | 105 | 105 | ||||||||||||
| 4 | 110 | 110 | ||||||||||||
| 4 | 115 | 115 | ||||||||||||
| ▼ | クリックで地形ボーナス込みのステータスを表示 |
地形ボーナス込みステータス
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| 初期配置 | 巨大化 | |||||||||||||
| 突破 | Lv | 耐久 | 攻撃 | 防御 | 範囲 | 回復 | Lv | 耐久 | 攻撃 | 防御 | 範囲 | 回復 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 改 壱 ★ 7 | 0 | 50 | 50 | |||||||||||
| 0 | 55 | 2752 | 198 | 162 | 200 | 21 | 55 | 5779 | 376 | 340 | 360 | 33 | ||
| 0 | 60 | 60 | ||||||||||||
| 0 | 65 | 65 | ||||||||||||
| 0 | 70 | 70 | ||||||||||||
| 0 | 75 | 2450 | 205 | 195 | 200 | 25 | 75 | 4900 | 369 | 390 | 360 | 37 | ||
| 0 | 80 | 2504 | 214 | 204 | 200 | 26 | 80 | 5008 | 385 | 408 | 360 | 39 | ||
| 1 | 85 | 85 | ||||||||||||
| 1 | 90 | 90 | ||||||||||||
| 2 | 95 | 95 | ||||||||||||
| 2 | 100 | 100 | ||||||||||||
| 3 | 105 | 105 | ||||||||||||
| 3 | 110 | 110 | ||||||||||||
| 4 | 115 | 115 | ||||||||||||
| 4 | 120 | 120 | ||||||||||||
| ▼ | クリックで地形ボーナス込みのステータスを表示 |
地形ボーナス込みステータス
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詳細(クリックで表示)
CV担当:近藤玲奈
イラストレーター:朝日川日和
| ▼ | ←クリックすると御嬢、城娘画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。 |
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【デザイン】
【特技・計略】
御由緒六家・草創七手家老(クリックで表示)
御由緒六家とは後北条氏初代・伊勢宗瑞盛時(北条早雲)の伊豆・相模制圧に従ったとされる6人の家臣とその家のこと。
具体的には大道寺、多目、荒木、山中、荒川、在竹の六家を指す。
素浪人時代の早雲と共に「誰か一人が大名となったら残りはその家臣となる」と誓いを立てたといういわゆる「伊勢の誓い」のエピソードが有名だが、伊勢宗瑞の出自が名門伊勢家*2であることが確定した現在ではおそらく最初から主君と家臣の上下関係にあったとみられる。
これに相模の有力豪族でいち早く宗瑞に下り協力した松田家を加えて「草創七手家老」とする場合もある。
六家のうち大道寺と多目は実際に重臣として存続したが、その他の4氏は衰微したか、少なくとも武将としての功績は伝わっていない。
大道寺氏はもともと伊勢氏の親族で、初代の大道寺太郎重時は宗瑞の従兄弟(かつ乳兄弟?)だったという。
多目氏は多米とも書き三河東部・多米付近の豪族だったと見られ、今川氏を経由して宗瑞に従ったと考えられている。
平井城制圧後、城代として入れられた多目元忠は多目氏の出身である。
機略の法螺(クリックで表示)
多目元忠が、川越城の戦い(河越夜戦)で突出しすぎた北条氏康に対して法螺を鳴らして引き上げさせたとされる逸話が元ネタ。
後衛を任されるだけでなく、軍の進退についても任されていた元忠の機略・戦の才と、氏康との信頼関係が窺える。
【セリフ】
五色備え隊の会合(クリックで表示)
関東管領を世襲した上杉氏の嫡流で、上野・越後・伊豆の守護も務めた山内上杉氏の本拠地。
山内上杉氏は室町幕府を創始した足利尊氏の従弟にあたる上杉憲顕を祖とし、同族の犬懸上杉氏が上杉禅秀の乱によって没落すると関東管領職を独占するようになった。
平井城は永享10年(1438年)、神流川の支流である鮎川西岸の台地上に築かれた館城で、西と南は丘陵に囲まれ、東は鮎川を隔てて丘陵が位置する、盆地状の要害の地に立地していた。
平井城の西南約1キロメートル、標高331メートルの金山には平井金山城が築かれ、平井城の詰城となっていた。
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山内上杉氏は上杉憲実の代に鎌倉公方足利持氏と対立して永享10年(1438年)に永享の乱が勃発し、「喜連川判鑑」には憲実が「山ノ内ヲ出テ上州平井ニ退去」とある。
また再び山内上杉氏と鎌倉公方が対立し、享徳3年(1454年)に勃発した享徳の乱では「上杉房顕ハ上州平井ニ住ス。後ニ鎌倉山内ニ移ル」とあるように、この頃までには平井城が山内上杉氏の本拠地であったと考えられてきた。
しかし近年では永正9年(1512年)に起こった永正の乱、あるいは大永年間(1521~1527年)以降に雉岡城から、本拠地になったと考えられている。
享徳の乱で鎌倉公方足利成氏は下総の古河城を本拠地として古河公方と称されるようになり、山内上杉氏は武蔵を本拠に上野と北武蔵を領国化していった。
この乱において山内上杉氏は両陣営の境界に位置し、本国である上野への連絡を確保するために五十子陣を築き、本陣とした。
五十子陣は山内上杉氏の守護所としての役割も果たしており、文明9年(1477年)に長尾景春に攻め落とされるまで山内上杉氏の拠点として機能した。
翌年、長尾景春の居城である鉢形城を扇谷上杉家の家宰・太田道灌が攻略し、山内上杉氏の顕定が入り拠点とした。
鉢形城は顕定の養子である顕実が在城していたが、同じく養子の憲房が平井城を拠点に近隣の諸勢力を結集して永正9年(1512年)に鉢形城に攻め寄せ、これを落とし顕実は古河に敗走した。
こうして新たに山内上杉氏の当主となった憲房の代で、平井城が山内上杉氏の本拠地として定まったと考えられる。
憲房は平井城を本拠地に上野一国・下野足利領・北武蔵を支配していたが、直接支配する領国は平井城とその有力支城周辺に限られ、上野では国峰城の小幡氏、箕輪城の箕輪長野氏、総社城の総社長尾氏、厩橋城の厩橋長尾氏、大胡城の大胡氏、赤石城の那波氏、白井城の白井長尾氏、沼田城の沼田氏、岩下城の斎藤氏、新田金山城の横瀬氏がおり、下野の足利城には足利長尾氏が、武蔵には深谷城の深谷上杉氏、忍城の成田氏、花園城の藤田氏らがおり、これらの国衆が山内上杉方として行動した。
やがて武蔵に小田原城を本拠地とする北条氏綱が進出してくると、山内上杉氏は扇谷上杉氏や武田氏と連携して氏綱に対抗したが、享禄2年(1529年)に山内上杉氏の内乱である関東享禄の内乱が起こり、上野の国衆が憲房の養子で山内上杉氏当主の憲寛方と、憲房の遺児である竜若丸(のちの上杉憲政)方に分かれて戦った。
内乱は享禄4年(1531年)に集結し、上杉憲政が山内上杉氏の当主となった。
憲政は天文15年(1546年)の川越城をめぐる北条氏康との戦いに敗れ、この戦いで扇谷上杉氏は滅亡し、憲政は平井城へと敗走した。
これ以降氏康による北武蔵・上野への攻勢は強まり、西上野の山内上杉氏の有力被官だった国峰城の小幡憲重が氏康に内応し、平井城を攻めている。
天文18年(1549年)には花園城の藤田泰邦や深谷城の上杉憲賢らも氏康に従属し、翌年には氏康自らが平井城を攻撃した。
さらに翌年の天文20年(1551年)12月には氏康は江戸城から平井城へと出陣し、翌年2月には氏康によって金鑚御嶽城が落城し、この時に憲政の名代として在城していた嫡男の龍若丸が氏康に捕らえられ、のちに処刑された。
金鑚御嶽城の落城で山内上杉氏は武蔵を完全に失い、また赤石城の那波宗俊ら上野の山内上杉方の国衆が次々と氏康に従属し、さらに憲政の馬廻り衆も氏康に降ったことで憲政は平井城を追われた。
憲政はその後金山城の横瀬成繁や足利城の長尾当長を頼ろうとするが後北条方と戦闘中であったため入城できず、一時は北上野の白井城の白井長尾憲景を頼ったのち、越後の長尾景虎を頼って落ち延び、山内上杉氏は没落した。
憲政はのちに景虎に上杉の名跡と関東管領を譲り、天正6年(1578年)の御館の乱で討死した。
平井城は関東に出兵した景虎によって永禄3年(1560年)に奪還されたが、景虎は厩橋城を関東における拠点としたため、平井城は廃城となった。
| 所在地 | 群馬県藤岡市西平井 |
| 現存状態 | なし |
| 城郭構造 | 平山城 |
Published by (C)DMMゲームズ
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