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国峰城
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現実の城情報 Edit

武蔵七党の一つ、児玉党の一族で平安時代末期に上野甘楽郡小幡を本拠地とした小幡氏の居城。
築城時期は明らかでないが、小幡氏は文明3年(1471年)頃には関東管領山内上杉氏傘下の長野氏を筆頭とする上州一揆を代表する国衆となり、国峰城もこの頃までに築かれていたとされる。
天文16年(1547年)の河越城の戦いに敗れた上杉憲政は居城の平井城にあって勢力を弱めていき、当時の国峰城主小幡憲重は信濃との境においては武田氏と連携し、一方で後北条氏の平井城攻めにも加わり、山内上杉氏の没落後は後北条氏から武蔵との国境の支配も任されるようになっていた。
そのなかで武田氏・後北条氏に対抗した長野業正は娘を憲重に嫁がせ、長野氏の本城である箕輪城を中心とする支城網に国峰城も組み込まれていた。
しかし永禄元年(1558年)以降に小幡氏では一族間の内紛が起こり、憲重は国峰城を追われた。一説にはこの内紛には業正が関わっていたともされる。


所在地群馬県甘楽郡甘楽町国峰
現存状態土塁、堀など
城郭構造山城、平山城

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