山中城 のバックアップの現在との差分(No.17)
城娘ステータス: 全城娘一覧(刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | その他 || 平属性 | 平山属性 | 山属性 | 水属性 | 地獄属性 | 無属性)初期ステータス 装備品: 刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | その他 || 施設 || 消耗品 | 城娘: 特技(攻撃系 / 防御系 / 弱体化他) | 所持特技 | 編成特技 | 大破特技 | 特殊攻撃 | 特殊能力 | 武器切替 | 計略(伏兵以外 / 伏兵) | 都道府県別 | 令制国別 | 季節限定城娘 | 特定カテゴリ |
赤数字は無印での最大レベルかつ絆100%時の値です。★1=Lv90、★2=Lv95、★3=Lv100、★4=Lv105、★5=Lv110、★6=Lv115、★7=Lv120
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山中城/ステータス※絆100%ボーナス込みの数値です。項目の「突破」はそのレベルに到達するのに必要な限界突破の回数を表しています。
ゲーム上の性能・評価
キャラクターボイスCV担当:小松未可子
画像イラストレーター:朝日川日和
改壱
城娘の元ネタ情報【デザイン】 【特技・計略】 障子堀(クリックで表示) 堀の底に設けられた堀底を仕切るような土塁状の障害物を障子あるいは堀障子といい、障子のある堀を障子堀と呼ぶ。 小田原城などの後北条氏の城を中心に日本各地の城で確認されているが、山中城のものが特によく知られている。 堀の周辺からは礫(つぶて)などが出土しており、堀底から這い上がろうとする敵めがけて曲輪から投石していたとみられる。 【セリフ】 現実の城情報後北条氏が西側の武田氏に対する備えとして築城した小田原城の支城で、箱根十城の一つ。 箱根十城は城主を置かずに守将を派遣する、いわゆる番城という位置づけで「口利きできるほど偉くない」かもしれないが、山中城にはのちに松田康長が城主として入り、さらに玉縄城主の北条氏勝が援将として加わることになる。 箱根十城は城主を置かずに守将を派遣する、いわゆる番城という位置づけで「口利きできるほど偉くない」かもしれないが、山中城にはのちに松田康長が城主として入り、さらに玉縄城主の北条氏勝が援将として加わることになる。 続きをクリックで表示 後北条氏と豊臣秀吉との対決が現実味を帯びてくると、小田原城の西側にある山中城は天正15年(1587年)頃から後北条氏により改修整備された。 さらに東海道を谷で挟んだ反対側の尾根では二の丸に西の丸を増築して周囲に障子堀・畝堀を巡らせ、先端に角馬出を設けて岱崎出丸と連携した防衛線を構えるなど、防備が固められていった。 さらに東海道を谷で挟んだ反対側の尾根では二の丸に西の丸を増築して周囲に障子堀・畝堀を巡らせ、先端に角馬出を設けて岱崎出丸(だいさきでまる)と連携した防衛線を構えるなど、防備が固められていった。 しかし完成前に秀吉が後北条氏家臣で沼田城代の猪俣邦憲による名胡桃城占拠を惣無事令違反として小田原征伐を行うこととなり、山中城は韮山道で通じる韮山城や足柄峠の足柄城と共に、後北条氏の最前線の城となった。 しかし完成前に秀吉が後北条氏家臣で沼田城代の猪俣邦憲による名胡桃城占拠を惣無事令違反として小田原征伐を行うこととなり、山中城は韮山道で通じる韮山城や足柄峠の足柄城と共に、後北条氏の最前線の城となった。 特に山中城は箱根峠を越えて小田原城へ向かう際に必ず通過する城であったため、豊臣軍の最優先攻撃目標とされた。 天正18年3月29日(1590年5月3日)、豊臣秀次が率いる約7万の軍勢に約4千の守備兵で抗戦したが多勢に無勢であり、「槍の勘兵衛」こと渡辺了(わたなべ さとる。勘兵衛は通称)を先鋒とする豊臣軍の犠牲を顧みない力攻めによって半日で落城し、城主の松田康長等は北条氏勝を逃したのちに戦死した。 しかし、豊臣方も黒田官兵衛の妹婿にあたる一柳直末を間宮康俊により討ち取られており、官兵衛からの報告を受けた秀吉は食事中だったため箸を落とし、「関東を得る喜びも失われた」と嘆き悲しんだという。 氏勝は本拠地の玉縄城まで退いて籠城したが徳川軍に包囲されて降伏し、山中城は戦後に廃城となった。 山中城は標高約580メートルに位置し、急峻な地形を活用した山城であるが、畝堀や障子堀、角馬出など後北条氏の大規模な築城術が随所に見られ、北条流築城術の集大成といえる。 これらの畝堀や障子堀の構造は復元整備されており、現在でも精密な築城術を確認できる。 城跡は現在は公園として整備されており、400年前の遺構がそのまま復元された石を使わない土だけの山城は全国的にも非常に珍しく、昭和5年(1930年)に国指定史跡となっており、平成18年(2006年)には日本100名城にNo40で選定された。 平成27年(2015年)12月14日、南西には日本最長400メートルの人道吊橋「三島スカイウォーク」がオープンし1年で来場者数が160万人を突破した上に、山中城からも富士山を眺めることができるためか山城としては比較的観光客は多い。 調査で多数の銃弾が出土しており、白く錆びた鉛製の玉は豊臣方、青く錆びた青銅製の玉は北条方のもので、より大口径の鉄製の弾も出土しているがどちらが使ったものかは分かっていない。先述の一柳直末の討死も銃弾によるものであり、戦国最末期だけあって双方ともに鉄砲が普及し、激しい銃撃戦となったことを物語っている(城娘は槌装備だが)。また、堀から手頃な大きさの石つぶても発見されていて、投石という原始的な攻撃も同時に行われていた点も面白い。 現在の城跡は公園として整備されており、畝堀や障子堀の構造は復元整備されており、現在でも精密な築城術を確認できる。400年前の遺構がそのまま復元された石を使わない土だけの山城は全国的にも非常に珍しく、昭和5年(1930年)に国指定史跡となり、平成18年(2006年)には日本100名城にNo40で選定された。 平成27年(2015年)12月14日、南西に1kmほど離れた場所に日本最長(400m)の観光用人道吊橋「三島スカイウォーク」がオープンし1年で来場者数が160万人を突破した上に、山中城からも富士山を眺めることができるため山城としては比較的観光客は多い。 交通機関を使う場合、三島駅から元箱根行きのバスで城の入り口まで行くことができ、三島スカイウォークの方面なので1時間に1本の便があるため、山城ではあるがアクセスが良い。「山中城跡」バス停は岱崎出丸の入口にあり、そこから1つ登った「山中」バス停が本丸のそばにある。名前が似ているので注意しよう。 山中城が位置する箱根西麓では三嶋大社の例大祭に合わせて大文字焼きが行われ、県内外から観光客を集めてきたが、現在は残念ながら行われていない。
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