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浜松城 のバックアップ(No.38)
城娘ステータス: 全城娘一覧(刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | 茶器 | その他 || 平属性 | 平山属性 | 山属性 | 水属性 | 地獄属性 | 無属性)初期ステータス 装備品: 刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | 茶器 | その他 || 施設 || 消耗品 | 城娘: 特技(攻撃系 / 防御系 / 弱体化他) | 所持特技 | 編成特技 | 大破特技 | 特殊攻撃 | 特殊能力 | 武器切替 | 計略(伏兵以外 / 伏兵) | 都道府県別 | 令制国別 | 季節限定城娘 | 特定カテゴリ |
赤数字は無印での最大レベルかつ絆100%時の値です。★1=Lv90、★2=Lv95、★3=Lv100、★4=Lv105、★5=Lv110、★6=Lv115、★7=Lv120
浜松城/ステータス
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| 初期配置 | 巨大化 | |||||||||||||
| 突破 | Lv | 耐久 | 攻撃 | 防御 | 射程 | 回復 | Lv | 耐久 | 攻撃 | 防御 | 射程 | 回復 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 無 印 ★ 6 | 0 | 50 | 150 | 20 | 50 | |||||||||
| 0 | 55 | 150 | 21 | 55 | ||||||||||
| 0 | 60 | 150 | 22 | 60 | ||||||||||
| 0 | 65 | 150 | 23 | 65 | ||||||||||
| 0 | 70 | 150 | 24 | 70 | ||||||||||
| 0 | 75 | 150 | 25 | 75 | ||||||||||
| 1 | 80 | 150 | 26 | 80 | ||||||||||
| 1 | 85 | 150 | 27 | 85 | ||||||||||
| 2 | 90 | 150 | 28 | 90 | ||||||||||
| 2 | 95 | 150 | 29 | 95 | ||||||||||
| 3 | 100 | 150 | 30 | 100 | ||||||||||
| 3 | 105 | 150 | 31 | 105 | ||||||||||
| 4 | 110 | 150 | 32 | 110 | ||||||||||
| 4 | 115 | 150 | 33 | 115 | 270 | |||||||||
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地形ボーナス込みステータス
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| 初期配置 | 巨大化 | |||||||||||||
| 突破 | Lv | 耐久 | 攻撃 | 防御 | 射程 | 回復 | Lv | 耐久 | 攻撃 | 防御 | 射程 | 回復 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 改 壱 ★ 7 | 0 | 50 | 50 | |||||||||||
| 0 | 55 | 55 | ||||||||||||
| 0 | 60 | 60 | ||||||||||||
| 0 | 65 | 65 | ||||||||||||
| 0 | 70 | 70 | ||||||||||||
| 0 | 75 | 150 | 25 | 75 | 270 | |||||||||
| 0 | 80 | 5139 | 361 | 332 | 150 | 26 | 80 | 10791 | 685 | 697 | 270 | 41 | ||
| 1 | 85 | 150 | 27 | 85 | 270 | |||||||||
| 1 | 90 | 150 | 28 | 90 | 270 | |||||||||
| 2 | 95 | 150 | 29 | 95 | 270 | |||||||||
| 2 | 100 | 150 | 30 | 100 | 270 | |||||||||
| 3 | 105 | 150 | 31 | 105 | 270 | |||||||||
| 3 | 110 | 150 | 32 | 110 | 270 | |||||||||
| 4 | 115 | 115 | ||||||||||||
| 4 | 120 | 150 | 34 | 120 | 270 | 54 | ||||||||
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地形ボーナス込みステータス
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CV担当:井上麻里奈
イラストレーター:Azusa
| ▼ | ←クリックすると御嬢、城娘画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。 |
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曳馬城(引馬城)を前身とする徳川家康の居城で出世城とされるが、この呼び名は浜松城に限った話ではなく、長浜城や清洲城、岐阜城、岡崎城なども該当する。
元亀元年(1570年)に岡崎城から移った家康が居城とし、元亀3年(1573年)の三方ヶ原の戦いではここから出陣している。
家康が天正14年(1586年)に駿府城に居城を移したあと、浜松城には城代として菅沼定政が置かれ、天正18年(1590年)からは秀吉の家臣・堀尾吉晴、その次男・忠氏が入城した。
吉晴は土造りだった城を石垣を備えた近世城郭として改修し、この頃に築かれたとされる野面積みの石垣はよく知られる。
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関ヶ原の戦い後、忠氏は出雲富田へ移り、徳川頼宣の領地だった時期以外は次々と譜代大名が入城した。
江戸時代に浜松城は最大規模の南北約500メートル、東西約450メートルの広さとなり、三の丸や城下町が整備され、城の最高所には姫路城、和歌山城、伊予松山城などでも見られる天守曲輪が設けられた。
浜松藩の藩主は江戸時代を通じて22人を数え、老中5人、大坂城代2人、京都所司代2人、寺社奉行4人と、幕府の要職に就いた城主を多数出したことから「出世城」と称された。
なお天保の改革で知られる水野忠邦も自ら望んで入城しているが、明治維新後には廃城になった。
| 所在地 | 静岡県浜松市中区元城町 |
| 現存状態 | 模擬天守、石垣、曲輪 |
| 城郭構造 | 梯郭式平山城 |
三方ヶ原の戦い(クリックで表示)
元亀3年12月22日(1573年1月25日)に行なわれた三方ヶ原の戦いでは、家康は当初は浜松城での籠城を想定していたが、武田信玄の軍勢が浜松城を素通りしようとしていると知ると「このまま素通りさせては末代までの恥」と出陣を決めた。
家康は祝田の坂を下ろうとする武田軍の背後を突こうとしたが、三方ヶ原台地では武田軍は魚鱗の陣を敷き待ち構えており、まんまと誘き出されたことに気付き焦りながらも鶴翼の陣を敷いて戦闘を開始したという。
だが、『軍法侍用集』によれば、魚鱗の陣は「小勢にて」、鶴翼の陣は「敵一倍の軍勢にて」用いるべき陣形であり、大いに疑問が残る。
『戦国の陣形』によれば、そもそも家康が鶴翼の陣を敷いたというのは大久保忠教の『三河物語』によるものだが、忠教は信玄による定型の八陣を知らず、秩序ある密集隊形を「魚鱗」、無秩序な散兵の集団を「鶴翼」と認識していたのだろうと推測されている。
いずれにせよ、徳川軍は死傷者2000人という壊滅的な損害を出し、夏目漱石の先祖である夏目吉信らが家康を逃がすための身代わりとなり討ち死にした。
浜松城まで敗走した家康は「空城の計」を用いて武田軍の攻撃を免れたという逸話もあり、ここから浜松城は幸運の城と言われることもある。
また、このとき家康は自らの戒めとして、いわゆる「しかみ像」を絵師に描かせたとも言われるが、平成27年(2015年)8月には、徳川美術館の学芸員である原史彦氏によって、これは江戸時代中期に紀伊徳川家から尾張徳川家に嫁いだ従姫の嫁入り道具であり、この時点では家康の肖像画と認識されていたとみられるものの別人を描いた可能性も指摘されるもので、三方ヶ原敗戦の図とされたのは昭和になってからのことと判明している。
他にも逃げ帰る途中に茶屋に寄って小豆餅を食べていると、武田軍が迫ってきたため代金も払わず逃げたが、茶屋の老婆は数キロ先まで追いかけて代金を受け取ったことから茶屋のあった場所を「小豆餅」、代金を受け取った場所を「銭取」と呼ぶようになったというが、いずれも信憑性は低い。
厭離穢土 欣求浄土
隠れていて非常にわかりにくいが、特技発動時のイラストの漢字は家康の馬印に使われている言葉である。
「おんり(えんりとも)えど ごんぐじょうど」と読み、穢れた土を厭いて離れ、浄き土を欣い求める、すなわち穢土たる現世を離れ仏の世界である浄土を求める、という意味である。
桶狭間の戦いで今川義元が討ち死にし、自らの菩提寺である三河国大樹寺で切腹しようとした家康を、当時の住職がこの言葉を説いて思いとどまらせたという。
意訳すると、この戦乱の世から離れ、平和な時代を目指すというのなら、仏法の守護を得る、という意味合いで、若き日の家康の理想となり、以来馬印に使うようになったという。
【過去ログ】
Vol1
Published by (C)DMMゲームズ
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