三原城 のバックアップの現在との差分(No.7)
城娘ステータス: 全城娘一覧(刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | その他 || 平属性 | 平山属性 | 山属性 | 水属性 | 地獄属性 | 無属性)初期ステータス 装備品: 刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | その他 || 施設 || 消耗品 | 城娘: 特技(攻撃系 / 防御系 / 弱体化他) | 所持特技 | 編成特技 | 大破特技 | 特殊攻撃 | 特殊能力 | 武器切替 | 計略(伏兵以外 / 伏兵) | 都道府県別 | 令制国別 | 季節限定城娘 | 特定カテゴリ |
赤数字は無印での最大レベルかつ絆100%時の値です。★1=Lv90、★2=Lv95、★3=Lv100、★4=Lv105、★5=Lv110、★6=Lv115、★7=Lv120
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三原城/ステータス※絆100%ボーナス込みの数値です。項目の「突破」はそのレベルに到達するのに必要な限界突破の回数を表しています。
ステ修正済20/11/08 ゲーム上の性能・評価他の使い手が鳥取城(計略を含めれば小田原城、伊賀上野城、万里の長城)のみの珍しい範囲内鈍足特技を持つ。 地味に築城時間も2:00:00と、★3の中では平戸城についで長い。 自身の攻撃力・武器の石弓の全体的な火力の高さから★3ながらも火力面は優秀。(初期の攻撃力78は改築前の多賀城と同等。★4の水戸城や★5の松本城を上回る) 攻撃範囲も最大化時では390と中々で、近衛の弩装備なら400越えも可能。 性能としては攻撃範囲内の敵の進軍を妨げ、同時にダメージを蓄積させる事に特化している。鈍足により攻撃範囲内の敵をより多い手数で攻撃出来るため、複数の敵を相手取る場合は無双弩の装備も視野に入ってくる。 配置・巨大化にかかる気コストもやや安く、特技の早期発動も容易。自身の戦闘力を特技で底上げする事が出来ないため、平山水属性故の地形ボーナスを得やすいのも何気に有難い。 また範囲鈍足は敵隊列を圧縮する効果もある。攻撃範囲内に入った敵集団に連鎖的な渋滞が発生するため、攻撃計略の使い手や槌・大砲使い、無双弩を装備した他の石弓使いとの併用が効果的。 三原城が無双弩の使い手に適した石弓使い+平水属性という事を加味すると、それらの恩恵を大きく活かせる計略を持つ伊予松山城辺りとの併用もあり。 以上から、特技の鈍足と高めの火力を活かせる戦い方は以下の通りになる。
キャラクターボイスCV担当:中村桜
特殊ボイス: 利用可能 画像イラストレーター:和音 イラストレーター:和音
改壱
城娘の元ネタ情報【デザイン】 【特技・計略】 【セリフ】 現実の城情報毛利元就の三男で、毛利三兄弟の「三本の矢」の逸話でも知られる豊臣五大老の一人でもあり智将と名高い小早川隆景が、自身の管轄する水軍の拠点として瀬戸内海を軍事的に掌握する為に築いた城である。 毛利元就の三男で、毛利三兄弟の「三本の矢」の逸話でも知られる豊臣五大老の一人でもあり智将と名高い小早川隆景が、自身の管轄する水軍の拠点として瀬戸内海を軍事的に掌握する為に築いた城である。 隆景は天文13年(1544年)に養子として入った竹原小早川氏の家督を継ぎ、天文19年(1550年)には沼田小早川氏の家督も継いで両小早川氏を統一し、天文21年(1552年)に新高山城を築いて本拠とした。 その後永禄10年(1567年)に沼田川河口の小島をつないで三原城を築き、その特徴としては本丸東南に突出部を持つ船入櫓を備え、城内には造船施設を設けるなど、すなわち城郭と軍港の機能を兼ね備えたものであった。 背後の桜山にはかつて山名氏が築いた桜山城があり、大破時のセリフにあるように非常時に逃れる詰城として想定された。 続きをクリックで表示 三原城は天正10年(1582年)頃から本格的な整備が進められ、隆景はこの頃に居城を新高山城から三原城へと移している。 慶長2年(1597年)に隆景が急死すると三原城は毛利氏が管理し、関ヶ原の戦い後は福島正則に与えられ、正則は養子の正之を城代として三原城に入れた。 慶長2年(1597年)に隆景が急死すると三原城は毛利氏が管理し、関ヶ原の戦い後は福島正則に与えられ、正則は養子の正之を城代として三原城に入れた。 正則が減転封されると安芸には浅野長晟が入り、三原城には城代として浅野忠吉が入り、一国一城令下の例外で広島城の支城として三原城は存続し、幕末に至った。 そして明治維新後、城地は帝国海軍の鎮守府(西海鎮守府)建設のために政府が確保し、実際に仮設が行われていた。 現在は山陽新幹線とJR三原駅が天守台と本丸を貫くように建設されており、駅構内から直接天守台へと繋がるという他に例のない城跡となっており、南口を出て南東には船入櫓跡が残る。 天守台は日本一(江戸城と同程度)の規模を持ち、広島城の天守閣ならば6つも入ると言われる。 石垣は、当時最新技術だった海の底から直接石垣を組み立てる工法で建設された。 三原城には城下町の者たちが完成を祝って「やっさやっさ」と舞い踊ったとの伝承がある。
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