リンディスファーン城 のバックアップの現在との差分(No.4)
城娘ステータス: 全城娘一覧(刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | その他 || 平属性 | 平山属性 | 山属性 | 水属性 | 地獄属性 | 無属性)初期ステータス 装備品: 刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | その他 || 施設 || 消耗品 | 城娘: 特技(攻撃系 / 防御系 / 弱体化他) | 所持特技 | 編成特技 | 大破特技 | 特殊攻撃 | 特殊能力 | 武器切替 | 計略(伏兵以外 / 伏兵) | 都道府県別 | 令制国別 | 季節限定城娘 | 特定カテゴリ |
赤数字は無印での最大レベルかつ絆100%時の値です。★1=Lv90、★2=Lv95、★3=Lv100、★4=Lv105、★5=Lv110、★6=Lv115、★7=Lv120
ゲーム上の性能・評価
キャラクターボイスCV担当:井澤詩織
画像イラストレーター:
改壱
城娘の元ネタ情報【デザイン】 【特技・計略】 ベブロウ・クラッグ(クリックで表示) リンディスファーン城が建っている岩山の名前。火山岩(玄武岩)でできており非常に堅牢。 リンディスファーン島はほとんど起伏のない平らな島だが、ベブロウ・クラッグの周辺のみ切り立った崖の小山になっており、防御設備を置くのに適していた。 ノーサンブリアの聖島(クリックで表示) 城情報にもあるとおり、634年から635年にかけて聖エイダンによってこの地に修道院が築かれ、布教と研究の中心地となった。 当時のイングランドはローマ帝国が崩壊したのち、アングロサクソン人の侵入によってキリスト教が衰退していた。 これらのアングロサクソン系諸王国への布教のため、キリスト教信仰が残っていた(厳密には地元のケルト文化とも混ざっており、ケルト系キリスト教と呼ばれる)アイルランドからブリテン諸島各地に修道士が派遣されるようになる。 その一派がスコットランド・ヘブリディーズ諸島にアイオナ修道院を開き、さらにそこから派遣されたのが聖エイダンであった。 聖エイダンと彼の弟子たちはノーサンバーランドをはじめ各地に布教を行い、遠くフランスやフランドルまで足を延ばした人もいた。 さらに聖カスバートの奇蹟(遺体が腐らなかった、あるいは遺物に触れた人の病を癒したなど)からリンディスファーンは巡礼地の一つとなり、やがて聖なる島と呼ばれるようになっていった。 ヴァイキングの侵攻を受けて修道院は一度消滅するが、11世紀末にベネディクト派によって再興された。 リンディスファーンの福音書(クリックで表示) リンディスファーン修道院の修道士たちによって、7世紀末頃から8世紀にかけて作成された装飾写本。 装飾写本とは聖書などの宗教的なテキストの写本をそれぞれの様式によって装飾したもので、主に儀式などに用いられた。 マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四福音書の写本にケルト様式の様々な模様や装飾が施され、さらに表紙は宝石や貴金属できらびやかに飾られた革で出来ていた。 豪華な表紙はヴァイキングの侵攻を受けた時代に失われたが、本文部分はその後も聖カスバートの聖遺物とともにダラム修道院に収められた。 本文の行間部分にはのちに英語(古英語)で翻訳文が書き添えられ、イングランドで初めての英語訳福音書となった。 ヘンリー8世の宗教改革で修道院が解散させられると、福音書はダラム大聖堂から政府関係者と大英博物館を経て大英図書館に移され、現在も保管されている。またダラム大聖堂にも精密な複製品が所蔵されている。 アイルランドのダロウ修道院で作られた『ダロウの書』、前述のアイオナ修道院で作り始めた*3『ケルズの書』、そしてこの『リンディスファーンの福音書』が現存する三大ケルト装飾写本として有名である。 (ちなみに、ダロウの書が最も古く、ケルズの書が最も豪華で、リンディスファーンの福音書が本文の保存状態が最も良い、らしい) 【セリフ】 現実の城情報リンディスファーン城は、イングランドの東海岸ノーサンバランド地方の沖に浮かぶ島・リンディスファーン島にある城。 1550年に当時のイングランド王ヘンリー8世によって、スコットランドなど対立する諸国からの攻撃に備えて建設された。 同じ海岸線の北側には国境の城塞都市ベリック・アポン・ツイード、南には古い歴史を持つ堅城バンバラ城があり、共に防衛線を形成した。 リンディスファーン城の建材には、この島にあった有名な「リンディスファーン修道院」のものが使われている。 城を作らせたヘンリー8世は、宗教改革を行って国内の数多くの修道院を解散させ、その財産や土地を没収したことで知られている。 そして解散した国内各地の修道院の石材は、リンディスファーン城やディール城のような海岸防衛のための城砦の建材として使われた。 とは言え、こちらでは立地の制約などのためディール城のような同心円状の「ヘンリシアン」様式は採用されず、地形に合わせた形で建てられた。 続きをクリックで表示 リンディスファーンはモン・サン=ミッシェルやアイリーン・ドナン城のように、満潮時だけ本土から切り離されて島になる潮間島である。 634年、ノーサンブリア王オズワルドによってスコットランドのアイオナ修道院から招かれた修道士・聖エイダンが島に修道院を建設した。 このリンディスファーン修道院はキリスト教布教の拠点となり、エイダンとその弟子たちはイングランド北部・東部へ布教に旅立った。 これらの地域はかつてローマ帝国の頃に一度キリスト教が広まったが、その後衰えていたのである。 また7世紀後半の修道院長・聖カスバートはいくつかの奇跡を起こしたとされる聖人であり、彼の遺物に触れると御利益があるとされ、修道院は信者の信仰を集めるようになった。のちに福音書の翻訳も行われるようになっていく(詳細は元ネタ集に)。 しかし8世紀末ごろからヴァイキングによって襲撃されるようになり、ついに875年に修道士たちは修道院を放棄して本土に逃れた。 彼らが聖カスバートの遺骸と共にたどり着いたのがダラム城(ダラム大聖堂)であり、聖カスバートの遺骸は現在も大聖堂に安置されている。 のちにウィリアム1世がノルマン朝を開くと、1093年にヨーロッパ大陸から招かれたベネディクト修道会によって修道院は再興された。 その後も修道院は聖人ゆかりの場所として信仰を集めていたが、ヘンリー8世の時代に宗教改革の名の元に解散させられ、建物も多くが破壊された。 その後、ジェームス1世が即位してイングランドとスコットランドの合同が達成され、スコットランドに備えていた各地の城は存在意義を失った。 リンディスファーン城は一応は王室(政府)に残ったが、有事の際にはベリックやバンバラから兵士を派遣することになり、常駐の守備隊は置かれなくなった。 このように手薄であったため、1715年のジャコバイト反乱に呼応して少数の反乱者によって占拠されてしまう。しかし駆け付けた兵士によって奪還され、反乱者たちは逮捕・投獄された。 1860年代には城の敷地内に石灰窯(生石灰を生産するための窯)が建設された。 この窯はノーサンバランドで有数の規模を持ち、材料や製品の輸送のために島内に馬車鉄道が引かれたほどだった。石灰の生産は20世紀初めころまで続いた。 1903年、雑誌「カントリースタイル」の社長エドワード・ハドソンが城を購入。著名な建築家エドウィン・ラッチェンスの友人でありファンであったハドソンは、リンディスファーン城をラッチェンスの「アーツ・アンド・クラフツ」様式の別邸にしようと考え、ラッチェンスに改築を設計から施工まで全て任せた。 この改築作業には1903年から1906年までかかり、城塞から上流階級の週末の別宅へと大きく姿を変えた。 (一応言い添えるなら、このように古い城を屋敷や別荘に改装・改築するのは当時よくあったことである) 現在残っている城の主要な建物はこの時に改築されたものであり、エドワード朝当時の別荘様式が表れている。 また、海辺に立つ岩山の古城という風景から1971年の映画『マクベス』を筆頭に、映画やテレビドラマのロケ地にもたびたびなっている。
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