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		上赤坂城  のバックアップ(No.13)
		
		 
		
 城娘ステータス: 全城娘一覧(刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | 茶器 | その他 || 平属性 | 平山属性 | 山属性 | 水属性 | 地獄属性 | 無属性)初期ステータス 装備品: 刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | 茶器 | その他 || 施設 || 消耗品 | 城娘: 特技(攻撃系 / 防御系 / 弱体化他) | 所持特技 | 編成特技 | 大破特技 | 特殊攻撃 | 特殊能力 | 武器切替 | 計略(伏兵以外 / 伏兵) | 都道府県別 | 令制国別 | 季節限定城娘 | 特定カテゴリ | 
 赤数字は無印での最大レベルかつ絆100%時の値です。★1=Lv90、★2=Lv95、★3=Lv100、★4=Lv105、★5=Lv110、★6=Lv115、★7=Lv120 
 
 
 ゲーム上の性能・評価  
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イラストレーター:
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【デザイン】
【特技・計略】
【セリフ】
南北朝の動乱期、この城の周辺は楠木正成一族の拠点であり、上赤坂城は楠木七城の本城にあたり、「楠木城」「小根田城」「桐山城」とも呼ばれる。
『太平記』では上赤坂城と下赤坂城は区別されておらず赤坂城と記され、上赤坂城のことと思われる記述では三方が崖に囲まれ、一方が平地とされている。
正成は鎌倉幕府の打倒を目指す後醍醐天皇に与して挙兵し、元弘2年(1332年)に下赤坂城が落城した後にこの城に移り、元弘3年(1333年)に籠城戦を展開したが間もなく城は落ち、千早城に移った。
延元元年・建武3年(1336年)の正成の死後もその子孫たちは北朝を相手に戦いを繰り広げるが、この時期の城の詳細は不明であり、現在の遺構はむしろ戦国末期の畿内における築城技術を端的に示している。
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戦国期の河内国における戦乱の中心となったのが、室町幕府において管領を務めた守護畠山氏で、15世紀半ばに畠山政長派と畠山義就派に分かれての家督争いが起こり、畠山氏の当主は高屋城を守護所に定めるようになった。
以後畠山氏は一方が高屋城を奪取すると他方は紀伊に逃れて再起を図るという構図が繰り返され、特に畠山高政は飯盛山城の三好長慶と対立し、永禄元年~11年(1558~68年)にかけて4回にわたって紀伊に逃れている。
これらの抗争において、河内・大和・紀伊の国境付近に位置する上赤坂城は、同じ楠木七城である嶽山城、烏帽子形城、金胎寺城などとともにたびたび合戦の舞台となり、改修が繰り返された。
両畠山氏の争乱が終息すると上赤坂城の重要性は失われ、16世紀後半に廃城となった。
上赤坂城は東西の尾根部分とその間の谷部分との3つに分かれ、尾根上には連郭式に曲輪が配置され、堀切で遮断して防御を固めていた。
南側は横堀が通って堀切とつながっており、一部には帯曲輪も設けられている。北側には「そろばん橋」と呼ばれる連続堀切があり、竪堀群とともに尾根筋を遮断した。
全体としては高天神城のような一城別郭の構造に近いものの、堀切と堀切をつなぐ横堀や帯曲輪によって城域や防衛線を設定する構造は、戦国時代末期の畿内によく見られるものであり、上赤坂城が戦国時代においても使用されていたことを物語っている。
| 所在地 | 大阪府南河内郡千早赤阪村 | 
| 現存状態 | 曲輪、堀切、空堀など | 
| 城郭構造 | 連郭式山城 | 
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