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吉田郡山城 のバックアップ(No.1)
城娘ステータス: 全城娘一覧(刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | 茶器 | その他 || 平属性 | 平山属性 | 山属性 | 水属性 | 地獄属性 | 無属性)初期ステータス 装備品: 刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | 茶器 | その他 || 施設 || 消耗品 | 城娘: 特技(攻撃系 / 防御系 / 弱体化他) | 所持特技 | 編成特技 | 大破特技 | 特殊攻撃 | 特殊能力 | 武器切替 | 計略(伏兵以外 / 伏兵) | 都道府県別 | 令制国別 | 季節限定城娘 | 特定カテゴリ |
赤数字は無印での最大レベルかつ絆100%時の値です。★1=Lv90、★2=Lv95、★3=Lv100、★4=Lv105、★5=Lv110、★6=Lv115、★7=Lv120
吉田郡山城/ステータス
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| 初期配置 | 巨大化 | |||||||||||||
| 突破 | Lv | 耐久 | 攻撃 | 防御 | 範囲 | 回復 | Lv | 耐久 | 攻撃 | 防御 | 範囲 | 回復 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 無 印 ★ 5 | 0 | 50 | 1552 | 136 | 104 | 280 | 20 | 50 | 2793 | 223 | 187 | 414 | 20 | |
| 0 | 55 | 1590 | 144 | 108 | 280 | 21 | 55 | 2862 | 236 | 194 | 414 | 21 | ||
| 0 | 60 | 1630 | 150 | 115 | 280 | 22 | 60 | 2934 | 246 | 207 | 414 | 22 | ||
| 0 | 65 | 1669 | 157 | 119 | 280 | 23 | 65 | 3004 | 257 | 214 | 414 | 23 | ||
| 0 | 70 | 1709 | 165 | 126 | 280 | 24 | 70 | 3076 | 270 | 226 | 414 | 24 | ||
| 1 | 75 | 1747 | 172 | 132 | 280 | 25 | 75 | 3144 | 282 | 237 | 414 | 25 | ||
| 1 | 80 | 1786 | 180 | 137 | 280 | 26 | 80 | 3214 | 295 | 246 | 414 | 26 | ||
| 2 | 85 | 1827 | 188 | 144 | 280 | 27 | 85 | 3288 | 308 | 259 | 414 | 27 | ||
| 2 | 90 | 1865 | 194 | 148 | 280 | 28 | 90 | 3357 | 318 | 266 | 414 | 28 | ||
| 3 | 95 | 1904 | 202 | 155 | 280 | 29 | 95 | 3427 | 331 | 279 | 414 | 29 | ||
| 3 | 100 | 1943 | 210 | 160 | 280 | 30 | 100 | 3497 | 344 | 288 | 414 | 30 | ||
| 4 | 105 | 1982 | 217 | 166 | 280 | 31 | 105 | 3567 | 355 | 298 | 414 | 31 | ||
| 4 | 110 | 2021 | 225 | 171 | 280 | 32 | 110 | 3637 | 369 | 307 | 414 | 32 | ||
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地形ボーナス込みステータス
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CV担当:西野陽子
| ▼ | ←クリックすると台詞一覧が表示されます。 |
※計略のない城娘の計略発動ボイスなど、通常流れないボイスはゲーム内の図鑑で聞くことができます。
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イラストレーター:神無
| ▼ | ←クリックすると御嬢、城娘画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。 |
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| ▼ | ←クリックすると御嬢、城娘画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。 |
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【デザイン】
兜の形状(クリックで表示)
厳島神社に収蔵されている、毛利元就が奉納したものと伝わる「孔雀羽縫付銀箔押烏帽子形兜」がモデルか。
また、御嬢姿で被っているものは、毛利元就が肖像画等にて被っている烏帽子だろうか。
御嬢姿での着物の模様(クリックで表示)
毛利家の家紋として知られる「一文字に三つ星」。
城娘姿での袖の模様(クリックで表示)
吉田郡山城跡の郡山公園は現在紅葉スポットになっている。
弓の形状(クリックで表示)
弓としてはかなりゴテゴテとしたデザインだが、中央の装飾が本丸周辺でその両端が底から段々に伸びる曲輪と、吉田郡山城の縄張りがモデルと思われる。
【特技・計略】
三矢の教え・三本の矢(クリックで表示)
毛利元就が死の間際に毛利隆元・吉川元春・小早川隆景の三人の息子に「1本の矢は容易く折れるが、3本まとめると容易には折れない」と結束するように教えたという有名な逸話より。
しかし、そもそも隆元は元就より8年早く亡くなっており史実とは言い難い。
現在毛利博物館に収蔵されている『三子教訓状』にて一致団結して毛利家を盛り立てるようにと諭しているため、ここから派生した逸話と考えられる。
【セリフ】
「事前準備は万全に。戦は用意と駆け引きで決まります。」(クリックで表示)
吉田郡山城城主の毛利元就が「謀多きは勝ち、少なきは負」や「ただただ武略、計略、調略こそ肝要にて候」と書き残したことから。
「晩酌に付き合ったりしています。私は飲みませんよ。」(クリックで表示)
毛利元就は土産品を持ってきた家臣に餅や酒をふるまってもてなしたと伝わっている。
ただ、祖父や父、兄が若くして亡くなったことで代々酒に弱い体質であると考え元就本人は酒を控えるよう心がけており、そのおかげか70歳を超える当時としては長命だった。
「理想は高く、天下の主を目指しましょう」(クリックで表示)
毛利元就が家臣に「天下の主になると祈願してようやく中国地方を抑えられる」と事始めの際に理想を高く持つ重要性を語ったという逸話から。
ただし元就は晩年、十ヶ国を手にいれたのは時の運のおかげでありむやみに勢力を拡大しようとしてはならないとも語る。
鎌倉幕府政所別当・大江広元の四男・季光を祖とし、戦国時代に大勢力を築き中国地方の覇者となった毛利氏の居城。
築城主や築城年は判然としないが、南北朝時代に吉田庄に入った毛利時親によって築かれたとされ、以後中世を通じて毛利氏は吉田を本拠とした。
毛利氏と吉田郡山城が大きく変わったのは毛利元就の時代で、吉田郡山城の支城である猿掛城にいた元就は大永3年(1523年)に家督を継ぐと吉田郡山城に入城し、大規模な改修に着手した。
天文9年(1540年)9月から天文10年(1541年)1月にかけて行なわれた吉田郡山城の戦いでは、元就は大内義隆が派遣した陶隆房(晴賢)らの援軍もあって、月山富田城主尼子詮久(晴久)が率いる3万の大軍を撃退した。
ただし、このときはまだ拡張工事も完了しておらず山城としては小規模で、戦いは野戦が主だった。
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その後、元就は標高約400メートルの郡山全体を城域とし、主郭部を中心に六方向に伸びる稜線上に築かれた270以上の曲輪を持つ、西日本最大級の中世山城として改築した。
国人出身の戦国大名の城らしく山上に構えられた雄大な山城だが、平時の居館も設けたため近世的な性格も持つ。
毛利輝元の代では、石垣や瓦葺きなどを用い、新たに堀を設けたり城下を整備したりと、引き続き改修が進められた。このとき天守も築いたとして、物見台跡を天守跡とする俗説もある。
輝元が広島城を築くと役目を失なったともされるが、以降も機能したかもしれず、やはり詳細は不明である。
島原の乱(正確には島原・天草一揆)のあとには、原城のような切支丹の立て籠もりを恐れた幕府によって徹底的に破壊された。
| 所在地 | 広島県安芸高田市吉田町吉田郡山 |
| 現存状態 | 曲輪、石垣、土塁、石塁、堀切、井戸 |
| 城郭構造 | 山城 |
元就と幼女の側室(クリックで表示)
愛妻家だった元就は長年側室を持たなかったが、正妻の妙玖が天文14年(1546年)に亡くなり、側室を迎え入れざるを得なくなった。
そこでとある家臣(三吉氏の者か?)が一族の者を側室として迎え入れて欲しいと願い出たが、都合のいい相手が幼女しかいなかった。
それでも一応、二人きりで舟遊びに出て器量を確かめようとしたところ、幼女はもじもじとして水に飛び込んでしまった。
家臣はこれでは側室になどしてもらえないだろうと落胆したが、意外にも元就は「明日にでも使いを出そう」と非常に喜んだ。
そして「もじもじしていたのは尿を我慢していたからで、子供なら厠へ駆け出すところ、水に飛び込んで誤魔化す才智が備わった良き女である。また、俺が救い上げたあとに相手の着物を濡らしてしまったことを気にかけており気立ても良かった」と褒め称えたという。
輝元と幼女の側室(クリックで表示)
輝元は児玉元良の幼き娘(二の丸殿。法号は清泰院、あるいは快楽院)が広島の児玉家門前で遊んでいるのを見かけると大変気に入り、たびたび児玉家を訪問するようになった。
しかし、元良は輝元の態度を快く思わず、娘が12歳になると杉元宣の妻にしてしまった。
それでも娘を諦めきれなかった輝元は椙山土佐・清兵衛親子、佐世元嘉らに命じて、娘を強奪し、のちに側室とした。
あまりの無法に怒った元宣は豊臣秀吉に直訴しようと出立したが、元宣に同情しつつも毛利家を守ろうとした小早川隆景によって野上庄沖にある大島の船隠で殺害された。
その後、毛利家の船が徳山湾の沖を通ると海が荒れるようになり、広島域中では奇怪な事件が相次ぐようになったという。
Published by (C)DMMゲームズ
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