木幡山伏見城 のバックアップの現在との差分(No.23)
城娘ステータス: 全城娘一覧(刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | その他 || 平属性 | 平山属性 | 山属性 | 水属性 | 地獄属性 | 無属性)初期ステータス 装備品: 刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | その他 || 施設 || 消耗品 | 城娘: 特技(攻撃系 / 防御系 / 弱体化他) | 所持特技 | 編成特技 | 大破特技 | 特殊攻撃 | 特殊能力 | 武器切替 | 計略(伏兵以外 / 伏兵) | 都道府県別 | 令制国別 | 季節限定城娘 | 特定カテゴリ |
赤数字は無印での最大レベルかつ絆100%時の値です。★1=Lv90、★2=Lv95、★3=Lv100、★4=Lv105、★5=Lv110、★6=Lv115、★7=Lv120
木幡山伏見城/ステータス※絆100%ボーナス込みの数値です。項目の「突破」はそのレベルに到達するのに必要な限界突破の回数を表しています。
ゲーム上の性能・評価
キャラクターボイスCV担当:釘宮理恵 画像イラストレーター:水野魚月
改壱
城娘の元ネタ情報【デザイン】 【特技・計略】 桃山丘陵(クリックで表示) 木幡山伏見城が築かれた京都市伏見区の丘陵。廃城ののち元禄時代頃までに桃の木が植えられ安永9年(1780年)の『伏見鑑』発行の頃から「桃山」と呼ばれるようになった。 醍醐の花見(クリックで表示) 豊臣秀吉が最晩年の慶長3年3月15日(1598年4月20日)に京都・醍醐寺三宝院裏の山麓において催した花見の宴。 伏見の御香水(クリックで表示) 木幡山伏見城から西に1kmほどのところに鎮座する御香宮神社境内の湧き水。 【セリフ】 露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことも 夢のまた夢(クリックで表示) 豊臣秀吉の辞世の句。露のようにこの世に身を置き、露のようにこの世から消えてしまうわが身である。大坂城を築き栄華を誇ったことも、さまざまな何事もすべて夢の中の夢である。 頼み申し候 頼み申し候(クリックで表示) 豊臣秀吉自筆遺言状案からで、大河ドラマ『真田丸』にも出てきた。 原文は「返々、秀より事、たのミ申候、五人のしゆ(衆)たのミ申候〱」五人の衆は徳川家康・前田利家・毛利輝元・上杉景勝・宇喜多秀家の五大老の事で、 原文は「返々、秀より事、たのミ申候、五人のしゆ(衆)たのミ申候〱」五人の衆は徳川家康・前田利家・毛利輝元・上杉景勝・宇喜多秀家の五大老の事で、 「たのミ申候〱」の「〱」は平仮名の「く」ではなく「踊り字」で、もう一度「たのミ申候」を繰り返す記号である。 ボクが造った取って置きのお酒を飲ませてあげるよ。(クリックで表示) 伏見は安土桃山時代から続く日本有数の酒処として知られている。 聚楽第の奴、まだ怒ってるんだろうな。(クリックで表示) 豊臣秀吉の養嗣子で聚楽第を邸宅とした秀次を当時木幡山伏見城を居城としていた秀吉が強制的に出家させ高野山青巌寺に蟄居となった後に切腹させたいわゆる秀次事件から。 豊臣秀吉の養嗣子で聚楽第を邸宅とした秀次を当時木幡山伏見城を居城としていた秀吉が強制的に出家させ高野山青巌寺に蟄居となった後に切腹させたいわゆる秀次事件から。 現実の城情報指月伏見城が慶長伏見地震によって倒壊した後、豊臣秀吉が直ちに場所を移して再建した、第3期にあたる伏見城。 指月伏見城が慶長伏見地震によって倒壊した後、豊臣秀吉が直ちに場所を移して再建した、第3期にあたる伏見城。 指月の岡の北東に位置し、東山丘陵の最南端にあたり宇治川に面する木幡山に、より本格的な城郭として築かれた。 木幡山伏見城は大坂城とともに豊臣政権の中核的城郭となり、城下には諸大名が屋敷を構え、秀吉晩年の居城となったが、秀吉は慶長3年(1598年)に在城わずか4年で死去した。 翌年には徳川家康が入城し、『多聞院日記』では家康の伏見入城を「天下殿ニ被成候」と記し、木幡山伏見城が天下人の城として認識されていたことがうかがえる。しかし、その家康もすぐに大坂城へと移った。 翌年には徳川家康が入城し、『多聞院日記』では家康の伏見入城を「天下殿ニ被成候」と記し、木幡山伏見城が天下人の城として認識されていたことがうかがえる。しかし、その家康もすぐに大坂城へと移った。 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの際には、家康の家臣鳥居元忠が城代となり1800の兵で守っていたが、宇喜多秀家を総大将とする西軍4万に攻められ落城、全焼した。 続きをクリックで表示 木幡山伏見城跡は現在、ほぼ全域が宮内庁の桃山御陵地(明治天皇陵)となっているため、立ち入って調査をすることはできないが、その一方で桃山御陵と桃山東陵の築造で改変された部分以外は開発を免れたため、遺構はよく残っている。
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