エルツ城 のバックアップの現在との差分(No.3)
城娘ステータス: 全城娘一覧(刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | その他 || 平属性 | 平山属性 | 山属性 | 水属性 | 地獄属性 | 無属性)初期ステータス 装備品: 刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | その他 || 施設 || 消耗品 | 城娘: 特技(攻撃系 / 防御系 / 弱体化他) | 所持特技 | 編成特技 | 大破特技 | 特殊攻撃 | 特殊能力 | 武器切替 | 計略(伏兵以外 / 伏兵) | 都道府県別 | 令制国別 | 季節限定城娘 | 特定カテゴリ |
赤数字は無印での最大レベルかつ絆100%時の値です。★1=Lv90、★2=Lv95、★3=Lv100、★4=Lv105、★5=Lv110、★6=Lv115、★7=Lv120
ゲーム上の性能・評価エルツ城の使い方は四種類あるだろうか。 一 巨大化を進めず敵の中に置いて大破させる。 手っ取り早いがダメージが低いので非推奨。 二 巨大化を進めてからひっこめて、敵の中に置いて大破させる。 ダメージは本などを上回る威力となる。 しかし計略は完全に使えない、気力をかなり消費する、巨大兜や固い中型兜などを倒すにはほど遠い。 そしてエルツ城は長期不在となり、一人ほぼ足りないまま戦線を持たせなければならない。 リスクが大きいので、エルツ城より本などの方が無難という結論になってしまう。 エルツ城を改にすると特技エルツ・バッフェルホーンで再配置時間を40%短縮できる。 しかし撤退時間は最大耐久に比例するため、最大巨大化したら撤退時間もさらに長くなる、40%減では焼け石に水と言ったところ。 三 前線でもたせて、いざという時に計略を使って大破させる。 これが一番良さそうだが、非常に難しい。とにかくか弱い鎌なので、いざという前に大破する事が多い。 最近の兜の火力インフレは激しく、歌舞や防御計略や巨大化を使ってももたないだろう。 四 盾などの後ろに置いて後方支援に徹する。 鎌らしからぬ運用だが、エルツ城を使うならこれが現実的だろうか。 鎌はほどほど射程を伸ばせるので、盾の後ろから防御無視攻撃で援護できる。 強敵が来たら計略も使える、エルツ城は大破してもしなくても問題ない。 特技エルツ・バッフェルホーン再配置時間40%短縮は無用の長物となってしまうが。 色々特徴はあるが、微妙にかみ合っておらず残念な印象を受けてしまう。
キャラクターボイスCV担当:日笠陽子
画像イラストレーター:
城娘の元ネタ情報【デザイン】 【特技・計略】 エルツ・リッターザール(クリックで表示) リッターザール(Ritter saal)はドイツ語で直訳すれば「騎士の間」で騎士たちが集まる場所、 金獅子の斧・銀色の獅子(クリックで表示) 金獅子の斧、銀色の獅子、エルツ・バッフェルホーン(クリックで表示) 金獅子はエリアス家の家紋、銀色の獅子はヴィルヘルム家の家紋で、 それぞれ家紋に由来して「金色獅子のエルツ」「銀色獅子のエルツ」と呼ばれていた。 残りのディートリヒ家は「水牛の角のエルツ」である。 エルツ城は3兄弟から発する3家が住んでおり、 長男のエリアス家は金獅子の家紋に由来して「金色獅子のエルツ」、 2男のヴィルヘルム家の家紋は銀色の獅子で「銀色獅子のエルツ」、 3男のディートリヒ家は「水牛の角(バッフェルホーン/Büffelhörnern)のエルツ」とそれぞれ呼ばれている。 【セリフ】 アグネス(クリックで表示) 16世紀、エルツ家16代当主ヨハン・エーベルハルトの娘にマリア・フランツィスカ・アグネスという娘がいた。 伝説では彼女は幼い頃ブラウンスバーグ家の男子と婚約が交わされた。 時が経ち婚約パーティーが開かれたが、彼女は婚約者が気に入らなかった。 持参金や結納の儀が交わされ、婚約者が彼女にキスをしようとしたが、これを酷く嫌い婚約者を引っ叩き、さらに手袋を投げつけてしまう。 手袋は高貴な物に直接触れないための礼儀のほかに、穢らわしい物に触れないための保護具でもあった。 脱いだ手袋は穢れそのもので汚物に等しく、それを相手に投げつける行為は侮辱以外何物でもなかった。ようは(`・ω・)m∩m このためパーティーは一気に殺伐としたものとなり、アグネスは流血騒ぎにならないよう必死に止める事しかできなかった。 エルツ城ではブラウンスバーグ家が攻めてくることを恐れ、厳戒態勢が執られた。宣戦布告したのと同じで当然である。 しかし1ヶ月経っても攻めてこなかったので、父や兄弟たちは狩りへ出かけてしまった。 これを待っていたかのように深夜ブラウンスバーグ家が攻めてきた。 この時、ブラウンスバーグ家の従者たちは鎧に身を包み手に弩を持ち、指揮を執る騎士の姿を見た。 総指揮官と見たブラウンスバーグ家の従者は彼に狙いを定め、弩を放ち討ち取った。 そして、兜を脱がすとそれはアグネスであった。 討ち取られた無念さから、彼女の魂は今もこの城にあり、照明が切り替わったり、扉の鍵が外れる等の行為が行われるという。 また彼女の鎧だと云われる、真ん中に弩で射られた鎧も現存している。 史実は全くの逆である。 鎧に身を包み手に弩を持ち、までは合っている。 アグネスは襲撃の報を聞くと真っ先に駆け、弩でブラウンスバーグ家の従者を討ち取ったのであった。 これに奮起したエルツ家の者達は一気に攻勢をかけ、多勢だったブラウンスバーグ家を追い払ってしまう。 捕らえた従者からブラウンスバーグ家を聞き出し、詰め寄った結果「無かった事にしましょう」となった。 その後アグネスはエルツ城で生涯独身で過ごし、1702年75歳で死去した。 何故逆になったかというと、断絶した家に全てをおっ被せるのはよくあることである。 アグネス(クリックで表示) かつてエルツ城には男兄弟に囲まれて育ったアグネスという女性が居た。彼女には幼い頃から決められていた シュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテ(クリックで表示) エルツ城が一番愛するお菓子。 現実の城情報ノイシュヴァンシュタイン城・ホーエンツォレルン城と並び称される、高さ70mの山にある「ドイツ三大美城」の1つである。ブルク・エルツ城とも。 始まりは1152年、主要ルートからは外れてはいるが、帝国の交易ルートの1つで戦略拠点であったので、 神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世がルドルフ・フォン・エルツに命じて築かせた。 ノイシュヴァンシュタイン城・ホーエンツォレルン城と並び称される、高さ70mの山にある「ドイツ三大美城」の1つである。ブルク・エルツ城とも。 語源は近くを流れるエルツ川からで、エルツは植物のハンノキ(ニホンハンノキではなく、ハンノキ属)からきている。 始まりは1152年、主要ルートからは外れてはいるが、帝国の交易ルートの1つで戦略拠点であったので、神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世がルドルフ・フォン・エルツに命じて築かせた。 このロマネスク様式の住居部分が現存しており、煙突・アーチ窓はドイツ最古の物である。 続きをクリックで表示 1268年、エリアス・ヴィルヘルム・ディートリヒ3兄弟で相続争いが起きると、3家で分けられ共同相続となった。 1268年、ルドルフのひ孫エリアス・ヴィルヘルム・ディートリヒ3兄弟で相続争いが起きると、3家で分けられ共同相続となった。 この共同相続城は歴史上見られるが、実際どういう統治が行われたか分かっていない所も多いが、エルツ城は建物・歴史がきちんと残っている数少ない城である。 なお、山城で土地が少なかったため上へ上へと増築されていったので、時代様式別が組み合わさった歪な感じがある。 また城内平和*2や城内裁判等の記録も残っており、城内政治の歴史から見ても重要な城でもある。 なお、山城で土地が少なかったため上へ上へと増築されていったので、時代様式が組み合わさっている。 1331年、選帝侯トリーア大司教のバルドゥイン・フォン・ルクセンブルクが推した兄が皇帝になると拡大に勤しんだ為、これに対抗した。 同年、大司教軍が攻め寄せるもこれを防ぐが、今度は北側に陣城が築城され、投石機等での攻撃や兵糧攻めが行われ、 2年後の1333年、降伏しトリーア大司教に仕える騎士となった。なおこれが唯一の戦闘経験である。 1331年、神聖ローマ帝国選帝侯トリーア大司教のバルドゥイン・フォン・ルクセンブルクが推した兄、ハインリヒ7世が皇帝になると権力を傘に拡大してきたので、これに対抗した。 同年大司教軍が攻め寄せるもこれを防ぐが、今度は北側に陣城トルツェルツ城が築城され、投石機等での攻撃や兵糧攻めが行われた。またドイツ国内では最初の大砲の使用が認められる。 2年後の1333年降伏、開城し外城壁等防衛施設が取り払われてしまった。なおこれが唯一の戦闘経験である。 1337年調印が結ばれ、トリーア大司教に仕える騎士となったが、ハインリヒ7世の孫カール4世の時、帝国に仕え続けたエルツ家の功績が認められ独立した。 1490年、ローデンドルフ家の娘と結婚すると、新たに4つ目の別家ローデンドルフ家が城内に建てられた。 1567年、ヤコブ・エルツがトリーア大司教に選ばれており、1624年にはハンス・エルツがトリーア大司教騎士団のトップになると、 以降トリーア騎士団はエルツ家が代々指揮を執る事となった。 1688年、プファルツ継承戦争が勃発すると、フランス軍によってコッヘム・ライヒスブルク城等、数々の城が破壊されたが、 エルツ家の1人がフランス軍将校であった為、何とか難を逃れることができた。 1794年から始まったフランス革命戦争で、フランス統治下に入るとエルツ家は移民とし扱われ、財産や領土の没収が行われたが、 エリアス家のフィリップ・エルツが所領を買い戻し、エルツ城も統一された。 1845年~1888年と2009年~2012年にかけて大修復工事が行われたが、歴史的価値が認められ大きく改変されることはなかった。 1567年、ヤコブ・エルツがトリーア大司教に選ばれており、1624年にはハンス・エルツがトリーア大司教騎士団のトップになると、以降トリーア騎士団はエルツ家が代々指揮を執る事となった。 1604年から1661年にかけて城内住居の改築が行われ、ロマネスク・ゴシック・ルネサンス・バロックの各様式が歪ながら調和のとれた姿が完成した。 1688年、プファルツ継承戦争が勃発すると、フランス軍によってトリーア司教区は数々の街が放火や破壊・略奪され、さらにコッヘム・ライヒスブルク城など幾多の城が破壊されるといった大きな被害を被ったが、エルツ家の1人がフランス軍将校であったため、領地での略奪はあったものの城は何とか難を逃れることができた。 何故フランス軍将校にエルツ家の者が居たかというと、30年戦争中トリーア大司教はフランスと友好的で、かつフランス・スペイン戦争中、スペイン領ネーデルラント軍*3がトリーア領を占領した時、フランス軍がこの解放に協力した縁でフランス軍に入り込むことができたのであった。 この戦争中1つの事件が起こる。 エルツ家16代当主ヨハン・エーベルハルトの娘にマリア・フランツィスカ・アグネスという娘がいた。詳しくは元ネタ項目をご覧ください。 ただ、史実ではアグネスは襲撃の際真っ先に駆け相手方の従者を討ち取り、修道院に入ることなく生涯独身のまま城で過ごし1702年75歳で帰天している。 彼女の鎧だと云われる真ん中に弩で射られた男性用の鎧が現存しているが、いったい誰の物であろうか・・・ 1794年から始まったフランス革命戦争で、フランス統治下に入るとエルツ家は移民とし扱われ、財産や領土の没収が行われたが、エリアス家のフィリップ・エルツが所領を買い戻し、エルツ城は1家に統一された。 1845年~1888年にかけて大修復工事が行われたが、歴史的価値が認められ大きく改変されることはなかった。 修復の場合、当時の流行に添って余計な物を足したり再現と称して改造を行ったりするが*4これが殆ど無く、装飾がなくのっぺりとした外観はロマネスク様式の特徴であり、現代から見ても価値のある修築であった。 現在もエルツ家所有だが居住はしていない。2010年、日本城郭協会によってヨーロッパ100名城の1つに選定されている。 余談だがテオドリッヒ家とローデンドルフ家は断絶してしまったが、ヴィルヘルム家は今も末裔がおり別な城を住居としている。
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