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		木幡山伏見城  のバックアップ(No.39)
		
		 
		
 城娘ステータス: 全城娘一覧(刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | 茶器 | その他 || 平属性 | 平山属性 | 山属性 | 水属性 | 地獄属性 | 無属性)初期ステータス 装備品: 刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | 茶器 | その他 || 施設 || 消耗品 | 城娘: 特技(攻撃系 / 防御系 / 弱体化他) | 所持特技 | 編成特技 | 大破特技 | 特殊攻撃 | 特殊能力 | 武器切替 | 計略(伏兵以外 / 伏兵) | 都道府県別 | 令制国別 | 季節限定城娘 | 特定カテゴリ | 
 赤数字は無印での最大レベルかつ絆100%時の値です。★1=Lv90、★2=Lv95、★3=Lv100、★4=Lv105、★5=Lv110、★6=Lv115、★7=Lv120 
 
 木幡山伏見城/ステータス  
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| 初期配置 | 巨大化 | |||||||||||||
| 突破 | Lv | 耐久 | 攻撃 | 防御 | 範囲 | 回復 | Lv | 耐久 | 攻撃 | 防御 | 範囲 | 回復 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 無 印 ★ 7  | 0 | 50 | 1664 | 147 | 111 | 280 | 20 | 50 | 3328 | 264 | 210 | 490 | 20 | |
| 0 | 55 | 1706 | 155 | 115 | 280 | 21 | 55 | 3412 | 279 | 218 | 490 | 21 | ||
| 0 | 60 | 1749 | 162 | 122 | 280 | 22 | 60 | 3498 | 291 | 231 | 490 | 22 | ||
| 0 | 65 | 1790 | 169 | 127 | 280 | 23 | 65 | 3580 | 304 | 241 | 490 | 23 | ||
| 0 | 70 | 1833 | 178 | 134 | 280 | 24 | 70 | 3666 | 320 | 254 | 490 | 24 | ||
| 0 | 75 | 1875 | 185 | 140 | 280 | 25 | 75 | 3750 | 333 | 266 | 490 | 25 | ||
| 0 | 80 | 1916 | 194 | 146 | 280 | 26 | 80 | 3832 | 349 | 277 | 490 | 26 | ||
| 1 | 85 | 1959 | 202 | 152 | 280 | 27 | 85 | 3918 | 363 | 288 | 490 | 27 | ||
| 1 | 90 | 2000 | 210 | 157 | 280 | 28 | 90 | 4000 | 378 | 298 | 490 | 28 | ||
| 2 | 95 | 2042 | 218 | 163 | 280 | 29 | 95 | 4084 | 392 | 309 | 490 | 29 | ||
| 2 | 100 | 2085 | 226 | 170 | 280 | 30 | 100 | 4170 | 406 | 323 | 490 | 30 | ||
| 3 | 105 | 105 | ||||||||||||
| 3 | 110 | 110 | ||||||||||||
| 4 | 115 | 115 | ||||||||||||
| 4 | 120 | 120 | ||||||||||||
| ▼ | クリックで地形ボーナス込みのステータスを表示 | 
 地形ボーナス込みステータス 
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性能の変遷の詳細(クリックで表示)
CV担当:釘宮理恵
| ▼ | ←クリックすると台詞一覧が表示されます。 | 
 ※計略のない城娘の計略発動ボイスなど、通常流れないボイスはゲーム内の図鑑で聞くことができます。 
 
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イラストレーター:水野魚月
| ▼ | ←クリックすると御嬢、城娘画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。 | 
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| ▼ | ←クリックすると御嬢、城娘画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。 | 
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【デザイン】
【特技・計略】
桃山丘陵(クリックで表示)
木幡山伏見城が築かれた京都市伏見区の丘陵。廃城ののち元禄時代頃までに桃の木が植えられ安永9年(1780年)の『伏見鑑』発行の頃から「桃山」と呼ばれるようになった。
現在は明治天皇の墓である伏見桃山陵や明治天皇の後を慕って殉死した陸軍大将・乃木希典を祀る乃木神社、伏見桃山城模擬天守などがある。
醍醐の花見(クリックで表示)
豊臣秀吉が最晩年の慶長3年3月15日(1598年4月20日)に京都・醍醐寺三宝院裏の山麓において催した花見の宴。
九州平定直後に北野天満宮で催された北野大茶湯と双璧を成す秀吉一世一代の催し物として知られる。
これにならい昭和27年(1952年)から毎年4月第2日曜日に醍醐寺で「豊太閣花見行列」が開催されている。
伏見の御香水(クリックで表示)
木幡山伏見城から西に1kmほどのところに鎮座する御香宮神社境内の湧き水。
貞観4年(862年)に良い香りの水が湧き出しその水を飲むと病が治ったので、時の清和天皇から「御香宮」の名を賜ったという。
現在でも霊水として病気平慰、茶道、書道用に持ち帰る人が多く、昭和60年(1985年)に環境庁(現・環境省)により名水百選に選定されている。
【セリフ】
露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことも 夢のまた夢(クリックで表示)
豊臣秀吉の辞世の句。露のようにこの世に身を置き、露のようにこの世から消えてしまうわが身である。大坂城を築き栄華を誇ったことも、さまざまな何事もすべて夢の中の夢である。
頼み申し候 頼み申し候(クリックで表示)
豊臣秀吉自筆遺言状案からで、大河ドラマ『真田丸』にも出てきた。
原文は「返々、秀より事、たのミ申候、五人のしゆ(衆)たのミ申候〱」五人の衆は徳川家康・前田利家・毛利輝元・上杉景勝・宇喜多秀家の五大老の事で、
「たのミ申候〱」の「〱」は平仮名の「く」ではなく「踊り字」で、もう一度「たのミ申候」を繰り返す記号である。
ボクが造った取って置きのお酒を飲ませてあげるよ。(クリックで表示)
伏見は安土桃山時代から続く日本有数の酒処として知られている。
聚楽第の奴、まだ怒ってるんだろうな。(クリックで表示)
豊臣秀吉の養嗣子で聚楽第を邸宅とした秀次を当時木幡山伏見城を居城としていた秀吉が強制的に出家させ高野山青巌寺に蟄居となった後に切腹させたいわゆる秀次事件から。
指月伏見城が慶長伏見地震によって倒壊した後、豊臣秀吉が直ちに場所を移して再建した、第3期にあたる伏見城。
指月の岡の北東に位置し、東山丘陵の最南端にあたり宇治川に面する木幡山に、より本格的な城郭として築かれた。
木幡山伏見城は大坂城とともに豊臣政権の中核的城郭となり、城下には諸大名が屋敷を構え、秀吉晩年の居城となったが、秀吉は慶長3年(1598年)に在城わずか4年で死去した。
翌年には徳川家康が入城し、『多聞院日記』では家康の伏見入城を「天下殿ニ被成候」と記し、木幡山伏見城が天下人の城として認識されていたことがうかがえる。しかし、その家康もすぐに大坂城へと移った。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの際には、家康の家臣鳥居元忠が城代となり1800の兵で守っていたが、宇喜多秀家を総大将とする西軍4万に攻められ落城、全焼した。
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木幡山伏見城跡は現在、ほぼ全域が宮内庁の桃山御陵地(明治天皇陵)となっているため、立ち入って調査をすることはできないが、その一方で桃山御陵と桃山東陵の築造で改変された部分以外は開発を免れたため、遺構はよく残っている。
このため城の構造を知るには絵図に頼らざるを得ず、『諸国古城之図』や『伏見御城槨幷屋敷取之絵図』、そして地元の郷土歴史家である加藤次郎氏が実際に城跡を踏査して作成した「秀吉在世時代伏見城丸の内図」で城の縄張を知ることができる。
木幡山伏見城は丘陵頂部の本丸を中心として、西に二の丸とその西側に石田治部少輔郭と南側に三の丸、東に名護屋丸、北東に松の丸、南に増田右衛門尉郭が配置され、それぞれが空堀で区画された。
これらの曲輪の北側を治部池から紅雪堀まで堀が取り囲み、その中央に角馬出の出丸が置かれ、山岡道阿弥、名束大蔵曲輪が置かれた。さらに堀の北側には巨大な空間があり、土塁で仕切られた万畳敷があった。宇治川で守られた南側に比べて北側は守りが弱かったため、このような防備が施されたのだろう。
南側は山里丸の先端に舟入があって宇治川と直結し、西側は惣構の土塁と堀がめぐり、その内側に大名屋敷があった。
| 所在地 | 京都市伏見区桃山町 | 
| 現存状態 | 石垣、堀など | 
| 城郭構造 | 梯郭式平山城 | 
Published by (C)DMMゲームズ
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