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		勝竜寺城  のバックアップ(No.25)
		
		 
		
 城娘ステータス: 全城娘一覧(刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | 茶器 | その他 || 平属性 | 平山属性 | 山属性 | 水属性 | 地獄属性 | 無属性)初期ステータス 装備品: 刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | 茶器 | その他 || 施設 || 消耗品 | 城娘: 特技(攻撃系 / 防御系 / 弱体化他) | 所持特技 | 編成特技 | 大破特技 | 特殊攻撃 | 特殊能力 | 武器切替 | 計略(伏兵以外 / 伏兵) | 都道府県別 | 令制国別 | 季節限定城娘 | 特定カテゴリ | 
 赤数字は無印での最大レベルかつ絆100%時の値です。★1=Lv90、★2=Lv95、★3=Lv100、★4=Lv105、★5=Lv110、★6=Lv115、★7=Lv120 
 
 勝竜寺城/ステータス  
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| 初期配置 | 巨大化 | |||||||||||||
| 突破 | Lv | 耐久 | 攻撃 | 防御 | 範囲 | 回復 | Lv | 耐久 | 攻撃 | 防御 | 範囲 | 回復 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 改 壱 ★ 7  | 0 | 50 | 50 | |||||||||||
| 0 | 55 | 55 | ||||||||||||
| 0 | 60 | 60 | ||||||||||||
| 0 | 65 | 1878 | 179 | 136 | 300 | 23 | 65 | 3756 | 322 | 272 | 540 | 34 | ||
| 0 | 70 | 1923 | 187 | 141 | 300 | 24 | 70 | 3846 | 336 | 282 | 540 | 36 | ||
| 0 | 75 | 75 | ||||||||||||
| 0 | 80 | 2010 | 201 | 154 | 300 | 26 | 80 | 4020 | 361 | 308 | 540 | 39 | ||
| 1 | 85 | 2055 | 208 | 162 | 300 | 27 | 85 | 4110 | 374 | 324 | 540 | 40 | ||
| 1 | 90 | 2098 | 215 | 168 | 300 | 28 | 90 | 4196 | 387 | 336 | 540 | 42 | ||
| 2 | 95 | 2142 | 223 | 175 | 300 | 29 | 95 | 4284 | 401 | 350 | 540 | 43 | ||
| 2 | 100 | 2187 | 231 | 181 | 300 | 30 | 100 | 4374 | 415 | 362 | 540 | 45 | ||
| 3 | 105 | 105 | ||||||||||||
| 3 | 110 | 110 | ||||||||||||
| 4 | 115 | 115 | ||||||||||||
| 4 | 120 | 120 | ||||||||||||
| ▼ | クリックで地形ボーナス込みのステータスを表示 | 
 地形ボーナス込みステータス 
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性能の変遷の詳細(クリックで表示)
CV担当:平田真菜
| ▼ | ←クリックすると台詞一覧が表示されます。 | 
 ※計略のない城娘の計略発動ボイスなど、通常流れないボイスはゲーム内の図鑑で聞くことができます。 
 
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イラストレーター:
| ▼ | ←クリックすると御嬢、城娘画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。 | 
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| ▼ | ←クリックすると御嬢、城娘画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。 | 
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【デザイン】
着物の柄(クリックで表示)
御嬢絵、城娘絵とも着物にシダレザクラを柄にしていると思われる。
シダレザクラがあるかはわからないが、勝竜寺公園は春になると桜が咲き乱れるらしい。
【特技・計略】
蛇の女房(クリックで表示)
細川忠興と明智光秀の娘・明智玉子(細川ガラシャ)は「鬼の亭主と蛇の女房」と呼ばれていたらしい。
ある時忠興と玉が食事をしていた時、庭で木の剪定をしていた庭師が誤って枝を切りを落としてしまい、それを見ていた忠興は激怒して庭師を斬殺した。
その惨劇を目の当たりにしながら顔色一つ変えずに食事を続ける玉に対して忠興は「まるで蛇のように冷たい女だ。」と嫌味を言った。
それに対して玉は「些細なことで人を斬るあなたは鬼です。鬼の女房には蛇が似合いでしょう。」と答えたという。
明智藪(クリックで表示)
山崎の戦いに敗れ勝龍寺城から坂本城へ落ち延びる途中で土民の落ち武者狩りに遭い自刃した明智光秀終焉の地。現在の住所は京都市伏見区小栗栖小阪町。明智藪の土地を所有している本経寺には光秀の供養塔がある。
【セリフ】
竹(クリックで表示)
付近一帯が竹と筍の産地で、竹取物語の舞台と思われていることから。
京都盆地の西南部、京西郊の西岡と呼ばれる一帯の、小畑川と犬川が合流し西国街道と久我畷が交差する地点という交通の要衝に築かれた平地城館。
城の名前はこの地に今も残る勝龍寺という寺院に由来し、中世の勝龍寺はいくつもの坊舎が連なる大寺院だった。
戦国時代でも随一の教養人である細川藤孝(幽斎)の居城としても知られ、幽斎の嫡男で小倉城を築くことになる細川忠興と、[[明智光秀]>現実の人物情報#m8cf1461]の娘・玉(ガラシャ)が天正6年(1578年)8月に盛大な結婚式を挙げて、新婚時代を過ごした城でもある。
昭和63年(1988年)の発掘調査で織田期の城に特徴的な、五輪塔などの転用石材が多い石垣造りの城であることが明確となり、平成4年(1992年)には都市公園として整備されたが土橋や虎口が伴った土塁や空堀が当時のまま残り、織田期の遺構としては希少な例となっている。
土塁はクランク状に曲げられて敵兵を側面から攻撃できるように工夫されており、この部分は当時の姿に近づける形で平成26年(2014年)に公園化された。
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藤孝は和泉守護家の細川元常の養子と考えられていたため、勝竜寺城は明応6年(1497年)に元常の父・元有が築いた、あるいは暦応2年(1339年)に元常の遠祖にあたる頼春が築いたという説があったが、近年の研究で藤孝は別家の細川晴広の養子であったと指摘されており、元有や頼春が築いたという説は勝竜寺城と細川家との関係を強調するための創作と考えられている。
『東寺百合文書』によると康正3年(1457年)に畠山義就が室町幕府の第8代将軍足利義政の石清水八幡宮参詣にあたり、その警備の人足を勝龍寺に集めたとあり、勝龍寺は公的な場として機能していた。
また『野田泰忠軍忠状』には、応仁の乱の際に義就の軍勢が勝龍寺に陣を構えたとあるが、この段階ではあくまで戦時に用いた陣城であり恒常的に城が維持されていたわけではなかった。
戦国時代後半になると勝竜寺城は恒常的に維持されるようになり、『観修寺文書』には細川国慶の家臣筆頭で、松永久秀を介して三好長慶に近づき京周辺の支配に参加していた今村慶満が勝竜寺城に帰城したと記されており、またルイス・フロイスの『日本史』には、京を追放されて居場所がなくなった宣教師に対し慶満が勝竜寺城にしばらく留まるよう勧めたとあり、勝竜寺城は慶満の居城だったことがうかがえる。
永禄6年(1562年)には畿内を支配していた長慶が六角氏と畠山氏との挟み撃ちにあい、その際に慶満は勝竜寺城で防戦したと『長享年後畿内兵乱記』に記されている。
長慶の死後、三好氏は三好三人衆方と松永方に分裂して争い、永禄9年(1566年)には勝竜寺城は松永方の兵が籠城し、これに対し三好三人衆の一人である三好長逸の家臣・板東季秀が勝竜寺城の北に攻城用の付城を築いた様子が『冑山文庫』で描かれている。
『永禄九年記』には、西岡の国人で松永方についた土川氏と志水氏は勝竜寺城に籠城し、三好三人衆方の付城には物集女氏が入り長期戦となったが、籠城兵が謝金を支払って開城し三好三人衆の一人である岩成友通が勝竜寺城を受け取ったとある。
その後勝竜寺城は友通の居城となったが、永禄11年(1568年)には足利義昭を奉じて上洛してきた織田信長と三好三人衆方との間で戦いが始まり、信長の軍勢が勝竜寺城に迫ると友通は早々に和睦を結び城を明け渡したと『言継卿記』に記されている。
やがて勝竜寺城には第15代将軍となった義昭の近臣である藤孝が入城し、元亀2年(1571年)には勝竜寺城に近い高槻城主の和田惟政が三好三人衆方に攻撃され敗死するなど、三好三人衆方に対して防備を固める必要に迫られ、『細川家文書』によると信長は藤孝に対し西岡一帯で人夫を徴発して勝竜寺城を普請するよう命じたという。なお勝竜寺城に現在も残る遺構は、この時の普請によるものと考えられている。
天正元年(1573年)に信長と義昭が対立すると藤孝は信長方につき、西岡一帯の支配を信長に任された藤孝はこの頃から長岡の地名を名字として用い、長岡藤孝を名乗るようになる。
天正8年(1580年)には藤孝が丹後に国替えとなり宮津城に移ったが勝竜寺城は廃城にはならず、『信長公記』『東文書』によると翌年に京都所司代である村井貞勝の家臣・矢部家定と猪子高就が城代となった。
天正10年(1582年)の本能寺の変後には明智光秀が勝竜寺城を所有し、羽柴秀吉に山崎の戦いで敗れた後に勝竜寺城に入ったが坂本城へと落ち延び、その途中で死去した。
その後勝竜寺城は用いられなくなり、寛永10年(1633年)に永井直清がこの地に入ったが水はけの悪い勝竜寺城は避けられ、北側に神足館を構えた。直清は慶安2年(1649年)に高槻へ転封となり、神足館も廃されることとなった。
| 所在地 | 京都府長岡京市勝竜寺 | 
| 現存状態 | 堀、土塁、石垣など | 
| 城郭構造 | 梯郭式平城 | 
Published by (C)DMMゲームズ
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