シャンティイ城 のバックアップの現在との差分(No.6)
城娘ステータス: 全城娘一覧(刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | その他 || 平属性 | 平山属性 | 山属性 | 水属性 | 地獄属性 | 無属性)初期ステータス 装備品: 刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | その他 || 施設 || 消耗品 | 城娘: 特技(攻撃系 / 防御系 / 弱体化他) | 所持特技 | 編成特技 | 大破特技 | 特殊攻撃 | 特殊能力 | 武器切替 | 計略(伏兵以外 / 伏兵) | 都道府県別 | 令制国別 | 季節限定城娘 | 特定カテゴリ |
赤数字は無印での最大レベルかつ絆100%時の値です。★1=Lv90、★2=Lv95、★3=Lv100、★4=Lv105、★5=Lv110、★6=Lv115、★7=Lv120
ゲーム上の性能・評価
キャラクターボイスCV担当:井上喜久子
画像イラストレーター: イラストレーター:朝日川日和
改壱
城娘の元ネタ情報【デザイン】 【特技・計略】 ル・グラン・コンデ(クリックで表示) 17世紀フランスの名将で数々の武功を挙げ、「大コンデ公」と呼ばれたコンデ公ルイ2世(1621-1686)のこと。 同時代の名将の一人でフランス大元帥に叙されたテュレンヌは10歳年長の又従兄でライバル。二人ともモンモランシー元帥の曾孫にあたる。 若干21歳でフランドル方面司令官を任されるとテュレンヌと共に現在のベルギー、オランダ、ドイツで数々の会戦に勝利し、三十年戦争におけるフランスの勝利を決定づけた。 フロンドの乱が起きると当初は鎮圧側に立っていたが、当時の宰相マザランとの対立から反乱側に回り、マザラン&テュレンヌと激しく戦う。 一時は優勢に立ったこともあったが反乱側の内部分裂などから最終的には破れ、反乱罪で追われて国外に脱出する。 その後スペインの客将となり、ネーデルラントを中心にフランス軍を率いるテュレンヌと激しい戦いを繰り広げた。 1659年にフランスとスペインが講和すると罪を許されてフランスに復帰し、ルイ14世の元テュレンヌとともにネーデルラント継承戦争・仏蘭戦争で勝利を重ねる。 しかし仏蘭戦争中にテュレンヌが戦死すると気落ちしたのかシャンティイ城に隠退した。 若い時から指揮官として勝利を重ねる一方、軍勢の先頭に立って陣地に突撃することもたびたびあった。しかし戦闘で負傷したのはトルハウスの戦いただ1回だったとされている。 博馬の大厩舎(クリックで表示) シャンティイ城に隣接する「グラン・エキュリー」(大厩舎)。現在は「馬の博物館」として使用されている。 競馬のみならず、人間と馬の関わりの歴史と文化全般についての史料や実物の道具を収集・研究・公開している。 模型や人形、絵画なども収集の対象となっており、各国の馬事協会とも連携している。 また馬の調教訓練の公開デモンストレーションや、訓練された馬によるショーなども行われている。 この大厩舎は厩舎部分だけでも幅186mあり世界最大級の厩舎とされ、世界で最も美しい厩舎とも呼ばれている。 18世紀に7代目コンデ公ルイ4世が建築家ジャン・オベールに依頼して建てたもので、最盛期には馬240頭と犬500頭を飼育していた。 このコンデ公は輪廻転生を信じ「生まれ変わったら馬になる」と言っていたという話が残るほどの馬好きだったと言われている。 18世紀には一般に公開されるようになっており、1765年に出版された観光ガイドブックにも名所として記載されていたほど。 フランス革命から帝政時代や二度の世界大戦では騎兵隊に占拠され、その厩舎として使われていたこともある。 20世紀後半に修復作業が進められ、1982年から「生きている馬の博物館」として公開される。2013年に大改装を経て再オープンした。 装備名「公爵の時祷書」(クリックで表示) 最も豪華な装飾写本と謳われる「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」のこと。 コンデ公爵家の資産を相続したオマール公アンリが英国亡命中に購入、彼の帰仏後、シャンティイ城に所蔵されている。 【セリフ】 クレーム・シャンティイ(クリックで表示) クレーム・シャンティイ&エクレール・シャンティイ(クリックで表示) 泡立て器やハンドミキサーを用いて空気を多く含んで軽くなるまで泡立てられたクリーム。ホイップクリームの別名、あるいはホイップクリームに甘味をつけたもの。 泡立て器やハンドミキサーを用いて空気を多く含んで軽くなるまで泡立てられたクリーム。ホイップクリーム(フランス語でエクレール・シャンティイ)の別名、あるいはホイップクリームに甘味をつけたもの。 17世紀半ばにシャンティイ城のメートル・ドテル(給仕長)を務めていたフランソワ・ヴァテールによって考案されたと言われているが根拠はなく、シャンティイ城が美食の象徴的存在となっていたため命名されたとする説もある。 姫路城とのお茶会(クリックで表示) 1989年に姫路城と姉妹城提携を結んでいる 現実の城情報パリから40kmほど北、オワーズ県シャンティイの森の中にある城館。 美術好きにとってはコンデ美術館として、競馬好きにとってはシャンティイ競馬場の所在地として知られる。 14世紀百年戦争時代のフランス大法官ピエール・ドルジュモン以来、彼の血縁によって相続されてきた歴史を持つ。 現在の城の礎を築いたのはフランス元帥にも叙された初代モンモランシー公アンヌ・ド・モンモランシーで、彼の時代にそれまでの戦闘用の居城から優美な城館へと大きく作り替えられた。 しかし当時の建物の多くはフランス革命で破壊されてしまい、現在の建物の大部分は19世紀にオマール公アンリ・ドルレアンによって新ルネサンス様式(復古様式)で再建されたものである。 城と建物と収蔵品はオマール公からフランス学士院に全て寄付され、コンデ美術館として現在も公開されている。 続きをクリックで表示 シャンティイはフランスの古都サンリスとパリをつなぐ古い街道を扼する重要地点であった。 初めて築城したのはカロリング朝の王ルイ6世の家宰、ギー・ド・サンリスで、14世紀に手放すまでその一族が城を相続した。 この頃の城はノネット川から引き込んだ水堀と沼地で囲まれ、七つの塔を持っていた囲郭式の城だったとされている。 14世紀後半にピエール・ドルジュモンが城と領地を手に入れた頃には城は荒れていたらしいが、その後修復された。 ドルジュモン家は1484年にピエール3世が嫡子なく断絶し、甥にあたるギョーム・ド・モンモランシーが相続する。 このギョームの息子がフランス元帥にして初代モンモランシー公アンヌである(ちなみにアンヌは一般に女性名だが男性にもまれに使われる)。 アンヌはシャンティイ城やエクアン城といった自分の持ち城を、建築家ジャン・ビュランと共に戦闘用の城から城館へと改装した。 この時代のフランスを代表する有力貴族の一つであるモンモランシー家の居館として、その後もたびたび増改築が繰り返された。 1632年、当時のモンモランシー公が反逆の疑いで処刑されると、シャンティイ城は姉の夫であるコンデ公アンリ2世が相続した。 その息子で数々の武功を挙げた17世紀フランスの名将「大コンデ公」ルイ2世は、ヴェルサイユ宮殿の庭園も手掛けた名造園家アンドレ・ル・ノートルにシャンティイ城の庭園設計を依頼。現在見られる水堀や池を配した華やかな庭園の原型を完成させた。 シャンティイ城に美術品や調度品が飾られるようになったのも彼の時代からとされ、特に名将として知られる彼の武勲を表すために作られた絵画や像は現在も「戦闘の間」と呼ばれる一室や各所に飾られている。 コンデ家はブルボン王家の支流でやはり有力貴族であり、その後の当主も美術品を収集したりパトロンとなって作らせたりしていた。 しかしフランス革命時代には貴族の居館はヒステリックな暴動・打ちこわしに遭い、シャンティイ城も大きく破壊され、コレクションも散逸してしまった。 王政復古でコンデ家が城を取り戻したのち、コンデ公ルイ6世アンリがいくらかのコレクションを取り戻したものの往時の体制には戻らず、また城館の復旧工事も進まなかった。 ルイ6世の死後、フランス王ルイ・フィリップの5男でルイ6世が名付け親になった当時8歳のオマール公*3アンリがシャンティイ城とコレクションを相続した。 オマール公は成人後シャンティイ城の再建とコレクションの収集計画を推し進めた。二月革命によってイギリスに亡命していた時期も(むしろ旧所蔵品の売却先がイギリスに多かったこともあり)コレクションの収集は進められ、また元々の所蔵品だけでなくフランスの美術史に残るような美術品や古文書・写本といったものも収集していった。 1871年にフランスに帰国すると、中断していたシャンティイ城の再建工事を再開した。再建工事は当時の名建築家ドーメを中心に進められた。 再建当時、グランシャトーはほぼ土台以外は失われ、プチシャトーもあちこちが壊れていたという。 再建にあたってはフォンテーヌブロー宮殿などの宮殿も参考にされたと言われている。 そしてその内装は、設計段階からオマール公のコレクションを陳列展示するために作られた。 オマール公からフランス学士院に寄贈する際、そこには2つの条件が付けられていた。 それは「陳列する順番を変えないこと」「収蔵品を他に貸したり持ち出したりしないこと」。 そのため、シャンティイ城のコレクションはシャンティイ城に行かなければ見ることができないものになっており、この条件のために現在でも状態が保たれている。
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Published by (C)DMMゲームズ
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