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柳川城 のバックアップ(No.8)
城娘ステータス: 全城娘一覧(刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | 茶器 | その他 || 平属性 | 平山属性 | 山属性 | 水属性 | 地獄属性 | 無属性)初期ステータス 装備品: 刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | 茶器 | その他 || 施設 || 消耗品 | 城娘: 特技(攻撃系 / 防御系 / 弱体化他) | 所持特技 | 編成特技 | 大破特技 | 特殊攻撃 | 特殊能力 | 武器切替 | 計略(伏兵以外 / 伏兵) | 都道府県別 | 令制国別 | 季節限定城娘 | 特定カテゴリ |
赤数字は無印での最大レベルかつ絆100%時の値です。★1=Lv90、★2=Lv95、★3=Lv100、★4=Lv105、★5=Lv110、★6=Lv115、★7=Lv120
柳川城/ステータス
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| 初期配置 | 巨大化 | 実 測 | |||||||||||||
| 突破 | Lv | 耐久 | 攻撃 | 防御 | 範囲 | 回復 | Lv | 耐久 | 攻撃 | 防御 | 範囲 | 回復 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 無 印 ★ 3 | 0 | 50 | 2016 | 202 | 139 | 260 | 20 | 50 | 3628 | 331 | 250 | 426 | 28 | ○ | |
| 0 | 55 | 2068 | 213 | 146 | 260 | 21 | 55 | 3772 | 349 | 262 | 426 | 29 | |||
| 0 | 60 | 2119 | 223 | 154 | 260 | 22 | 60 | 3814 | 365 | 277 | 426 | 30 | |||
| 1 | 65 | 2171 | 234 | 161 | 260 | 23 | 65 | 3907 | 383 | 289 | 426 | 32 | |||
| 1 | 70 | 2222 | 244 | 169 | 260 | 24 | 70 | 3999 | 400 | 304 | 426 | 33 | |||
| 2 | 75 | 2273 | 255 | 177 | 260 | 25 | 75 | 4091 | 418 | 318 | 426 | 35 | |||
| 2 | 80 | 2325 | 266 | 184 | 260 | 26 | 80 | 4185 | 436 | 331 | 426 | 36 | |||
| 3 | 85 | 2377 | 276 | 192 | 260 | 27 | 85 | 4278 | 452 | 345 | 426 | 37 | |||
| 3 | 90 | 2427 | 287 | 200 | 260 | 28 | 90 | 4368 | 470 | 360 | 426 | 39 | |||
| 4 | 95 | 2479 | 297 | 207 | 260 | 29 | 95 | 4462 | 487 | 372 | 426 | 40 | |||
| 4 | 100 | 2531 | 308 | 215 | 260 | 30 | 100 | 4555 | 505 | 387 | 426 | 42 | |||
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地形ボーナス込みステータス
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CV担当:小倉唯
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※計略のない城娘の計略発動ボイスなど、通常流れないボイスはゲーム内の図鑑で聞くことができます。
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イラストレーター:けけもつ
| 入手 |
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イベント画像 |
豊臣秀吉から「その忠義、鎮西一。その剛勇、また鎮西一。」と称えられた西国無双の名将、立花宗茂の城として知られる。
「柳川」は鎌倉時代からみえる地名で、柳川城は文亀年中(1501年~1504年)に蒲池の国人に当たる蒲池治久により、蒲池氏の本城である蒲池城の支城として築かれた。
永禄年中(1558〜1570年)に蒲池鑑盛が柳川城を蒲池氏の本城とし、城の周囲に掘割を縦横無尽に巡らせるなど本格的な改修を行い、この時に形成された城下町は現在の柳川市の元となった。
別名の舞鶴城の名は、鶴が舞うように美しいという城のシルエットによる。
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大友氏に忠義を尽くした鑑盛だったが、その子鎮漣は衰退する大友氏から離反し龍造寺隆信についた。鎮漣はやがて隆信と対立し柳川城を攻められるが、約300日にわたる籠城戦に耐え抜いたという。
しかし鎮漣は隆信の謀略によって殺害され下蒲池氏は滅亡し、隆信は柳川城に鍋島信生(のちの直茂)、ついで龍造寺家晴を置いた。
戦国時代の柳川城は度々の攻城戦に耐えた名城として知られ、立花宗茂の義父にあたる戸次道雪も家晴の守る柳川城を攻めあぐねたと伝えられる。
天正15年(1587年)、豊臣秀吉の九州平定に際して、立花宗茂の実父である高橋紹運は岩屋城で島津軍に徹底抗戦し玉砕したが、宗茂はその弔い合戦とばかりに奮戦し島津軍を次々と破った。
その功を認められた宗茂は南筑後三郡を与えられ、立花山城から柳川に城地を移し、本格的な城郭整備にとりかかった。
しかし宗茂は関ヶ原の戦いにおいて西軍に与したためわずか13年で改易され、宗茂の城郭整備事業はその後入城した田中吉政によって引き継がれた。
天守閣を備えた本格的な近世城郭は、この田中吉政の時代に築かれたと考えられる。
その田中家も吉政の子忠政に後継がなく断絶し、再び宗茂が柳川藩主として返り咲いた。関ヶ原で西軍に与し改易され旧領に復帰した武将は宗茂だけである。
宗茂は浪人中には加藤清正や前田利長に家臣になるように誘われるも拒絶しているが、これに対して清正は食客(要するに居候)としてならどうかと提案し、宗茂はこれを一時的に承諾している。
田中時代の柳川城がそのまま次の立花時代に引き継がれたかどうかは不明だが、これ以後柳川城は柳川藩立花家11万石の居城として明治維新を迎えることとなる。
明治5年(1872年)1月、天下の名城とうたわれた柳川城も失火により焼失し、石垣も海岸堤防の補強に使用されるなど、現在は柳城中学校の校庭の一隅に小浜と石垣の一部を残すのみとなっている。
| 所在地 | 福岡県柳川市本城町 |
| 現存状態 | 天守台、石垣、堀 |
| 廃城年 | 明治5年(1872年) |
| 城郭構造 | 平城 |
【デザイン】
容姿(クリックで表示)
別名が舞鶴城ということもあり、後ろ髪や着物など至る所に鶴の羽根のデザインが盛り込まれている。
そして、やや大きめのアホ毛は、鶴の頭部から首をモチーフにしたのかもしれない。
【特技・計略】
柳川三年(クリックで表示)
柳川城は城下町全体に水堀が張り巡らされた九州屈指の堅城である。
天正8年(1580年)には、龍造寺隆信軍が2万の兵で攻め寄せてきたが、およそ300日間の攻防に耐えきった。
また、天正12年(1584年)には、戸次道雪(立花道雪)・高橋紹運ら大友軍に攻められたが、やはり落城しなかった。
このような堅固さから柳川城は「凡将が籠城しても1年、名将が籠城したら3年は落ちない」「柳川三年、肥後三月、肥前、久留米は朝茶の子」(柳川城を攻め落とすには三年かかるが、熊本城は三ヶ月、佐賀城、久留米城は朝飯前という意味)と謳われている。
だが、この謳い文句が生まれた時期については要注意である。
天正期ならば熊本城は加藤清正による改築が完了していないし、佐賀城もまだ村中城であった。
三柱神社(クリックで表示)
柳川城から見て鬼門の方角に位置する神社で、その名称は戸次道雪、立花宗茂、立花誾千代の三体の神が祀られていることに由来する。
天明3年(1783年)に道雪が梅岳霊神の神号を贈られ、柳川城の三の丸にあった長久寺の中の梅岳宮に祀られたのが三柱神社の起源となる。
宗茂と誾千代は日吉神社の近くにあった唯一宮にそれぞれ祀られており、文政3年(1820年)に宗茂には松陰霊神、誾千代には瑞玉霊神の神号が贈られた。
同6年(1823年)、松陰霊神と瑞玉霊神が梅岳宮に遷宮合祀されて三柱神社となった。
しかしそのままでは藩の宗廟としては規模が小さかったため、三柱神社は規模を拡大して現在の地に造営されることとなった。
新たな三柱神社は「御新宮」と呼ばれ、現在も人々の崇敬を集めている。
【セリフ】
へ、へそくりなんてしてません。(クリックで表示)
天守は明治5年(1872年)の原因不明の火災で焼失しているが、天守台跡は現在、地元では「へそくり山」と呼ばれ親しまれている。
また、柳川銘菓として「へそ栗山」という栗饅頭が売られている。
Published by (C)DMMゲームズ
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