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		リンディスファーン城  のバックアップ(No.7)
		
		 
		
 城娘ステータス: 全城娘一覧(刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | 茶器 | その他 || 平属性 | 平山属性 | 山属性 | 水属性 | 地獄属性 | 無属性)初期ステータス 装備品: 刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | 茶器 | その他 || 施設 || 消耗品 | 城娘: 特技(攻撃系 / 防御系 / 弱体化他) | 所持特技 | 編成特技 | 大破特技 | 特殊攻撃 | 特殊能力 | 武器切替 | 計略(伏兵以外 / 伏兵) | 都道府県別 | 令制国別 | 季節限定城娘 | 特定カテゴリ | 
 赤数字は無印での最大レベルかつ絆100%時の値です。★1=Lv90、★2=Lv95、★3=Lv100、★4=Lv105、★5=Lv110、★6=Lv115、★7=Lv120 
 
 
 ゲーム上の性能・評価  
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 ※計略のない城娘の計略発動ボイスなど、通常流れないボイスはゲーム内の図鑑で聞くことができます。 
 
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イラストレーター:
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【デザイン】
【特技・計略】
【セリフ】
リンディスファーン城は、イングランドの東海岸ノーサンバランド地方の沖に浮かぶ島・リンディスファーン島にある城。
1550年に当時のイングランド王ヘンリー8世によって、スコットランドなど対立する諸国からの攻撃に備えて建設された。
同じ海岸線の北側には国境の城塞都市ベリック・アポン・ツイード、南には古い歴史を持つ堅城バンバラ城があり、共に防衛線を形成した。
リンディスファーン城の建材には、この島にあった有名な「リンディスファーン修道院」のものが使われている。
城を作らせたヘンリー8世は、宗教改革を行って国内の数多くの修道院を解散させ、その財産や土地を没収したことで知られている。
そして解散した国内各地の修道院の石材は、リンディスファーン城やディール城のような海岸防衛のための城砦の建材として使われた。
とは言え、こちらでは立地の制約などのためディール城のような同心円状の「ヘンリシアン」様式は採用されず、地形に合わせた形で建てられた。
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リンディスファーンはモン・サン=ミッシェルやアイリーン・ドナン城のように、満潮時だけ本土から切り離されて島になる潮間島である。
634年、ノーサンブリア王オズワルドによってアイルランドのアイオナ修道院から招かれた修道士・聖エイダンが島に修道院を建設した。
このリンディスファーン修道院はキリスト教布教の拠点となり、エイダンとその弟子たちはイングランド北部・東部へ布教に旅立った。
これらの地域はかつてローマ帝国の頃に一度キリスト教が広まったが、その後衰えていたのである。
また7世紀後半の修道院長・聖カスバートはいくつかの奇跡を起こしたとされる聖人であり、彼の遺物に触れると御利益があるとされ、修道院は信者の信仰を集めるようになった。のちに福音書の翻訳も行われるようになっていく(詳細は元ネタ集に)。
しかし8世紀末ごろからヴァイキングによって襲撃されるようになり、ついに875年に修道士たちは修道院を放棄して本土に逃れた。
彼らが聖カスバートの遺骸と共にたどり着いたのがダラム城(ダラム大聖堂)であり、聖カスバートの遺骸は現在も大聖堂に安置されている。
のちにウィリアム1世がノルマン朝を開くと、1093年にヨーロッパ大陸から招かれたベネディクト修道会によって修道院は再興された。
その後も修道院は聖人ゆかりの場所として信仰を集めていたが、ヘンリー8世の時代に宗教改革の名の元に解散させられ、建物も多くが破壊された。
その後、ジェームス1世が即位してイングランドとスコットランドの合同が達成され、スコットランドに備えていた各地の城は存在意義を失った。
リンディスファーン城は一応は王室(政府)に残ったが、有事の際にはベリックやバンバラから兵士を派遣することになり、常駐の守備隊は置かれなくなった。
このように手薄であったため、1715年のジャコバイト反乱に呼応して少数の反乱者によって占拠されてしまう。しかし駆け付けた兵士によって奪還され、反乱者たちは逮捕・投獄された。
1860年代には城の敷地内に石灰窯(生石灰を生産するための窯)が建設された。
この窯はノーサンバランドで有数の規模を持ち、材料や製品の輸送のために島内に馬車鉄道が引かれたほどだった。石灰の生産は20世紀初めころまで続いた。
1903年、雑誌「カントリースタイル」の社長エドワード・ハドソンが城を購入。著名な建築家エドウィン・ラッチェンスの友人でありファンであったハドソンは、リンディスファーン城をラッチェンスの「アーツ・アンド・クラフツ」様式の別邸にしようと考え、ラッチェンスに改築を設計から施工まで全て任せた。
この改築作業には1903年から1906年までかかり、城塞から上流階級の週末の別宅へと大きく姿を変えた。
(一応言い添えるなら、このように古い城を屋敷や別荘に改装・改築するのは当時よくあったことである)
現在残っている城の主要な建物はこの時に改築されたものであり、エドワード朝当時の別荘様式が表れている。
また、海辺に立つ岩山の古城という風景から1971年の映画『マクベス』を筆頭に、映画やテレビドラマのロケ地にもたびたびなっている。
| 所在地 | イングランド・ノーサンバーランド州・リンディスファーン島 | 
| 現存状態 | 城・庭園 | 
| 城郭構造 | 水城 | 
Published by (C)DMMゲームズ
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