基肄城 のバックアップ(No.4)
現実の城情報
基肄城(きいのき)または椽城は、665年に佐賀県三養基郡基山町と福岡県筑紫野市の南西部に跨る基山一帯に築城された古代山城である。
城跡構造と考察(続きをクリックで表示) 城跡構造と考察
土塁跡・石塁跡においてはこの一帯の元来の険しい地形を利用ながら城内を取り囲んでいる。自然の急斜面頂部付近にある城内の境に城壁として土塁を巻いた形だ。 門跡は北帝門跡、東北門跡ともに明確な遺構が確認されている。北帝門は大宰府政庁から基肄城へ入城する正門であった。門の規模や隣接する城壁の様子から間違いなしと考えられている。 城域の別の場所では炭化した米と米倉礎石群の発見があり、先に大宰府政庁跡の不丁地区溝跡から出土した天平7年(735年)の木簡*2から、食料の貯蔵も基肄城の役目であったようだ。 コメント
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