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		府内城  のバックアップ(No.28)
		
		 
		
 城娘ステータス: 全城娘一覧(刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | 茶器 | その他 || 平属性 | 平山属性 | 山属性 | 水属性 | 地獄属性 | 無属性)初期ステータス 装備品: 刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | 茶器 | その他 || 施設 || 消耗品 | 城娘: 特技(攻撃系 / 防御系 / 弱体化他) | 所持特技 | 編成特技 | 大破特技 | 特殊攻撃 | 特殊能力 | 武器切替 | 計略(伏兵以外 / 伏兵) | 都道府県別 | 令制国別 | 季節限定城娘 | 特定カテゴリ | 
 赤数字は無印での最大レベルかつ絆100%時の値です。★1=Lv90、★2=Lv95、★3=Lv100、★4=Lv105、★5=Lv110、★6=Lv115、★7=Lv120 
 
 府内城/ステータス  
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| 初期配置 | 巨大化 | |||||||||||||
| 突破 | Lv | 耐久 | 攻撃 | 防御 | 範囲 | 回復 | Lv | 耐久 | 攻撃 | 防御 | 範囲 | 回復 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 改 壱 ★ 7  | 0 | 50 | 3542 | 258 | 219 | 150 | 20 | 50 | 7084 | 464 | 438 | 270 | 30 | |
| 0 | 55 | 3637 | 270 | 230 | 150 | 21 | 55 | 7274 | 486 | 460 | 270 | 31 | ||
| 0 | 60 | 3732 | 282 | 242 | 150 | 22 | 60 | 7464 | 507 | 484 | 270 | 33 | ||
| 0 | 65 | 3826 | 295 | 254 | 150 | 23 | 65 | 7652 | 531 | 508 | 270 | 34 | ||
| 0 | 70 | 3921 | 308 | 266 | 150 | 24 | 70 | 7842 | 554 | 532 | 270 | 36 | ||
| 0 | 75 | 75 | ||||||||||||
| 0 | 80 | 80 | ||||||||||||
| 1 | 85 | 85 | ||||||||||||
| 1 | 90 | 90 | ||||||||||||
| 2 | 95 | 95 | ||||||||||||
| 2 | 100 | 100 | ||||||||||||
| 3 | 105 | 105 | ||||||||||||
| 3 | 110 | 110 | ||||||||||||
| 4 | 115 | 4191 | 381 | 370 | 150 | 33 | 115 | 8382 | 685 | 740 | 270 | 49 | ||
| 4 | 120 | 120 | ||||||||||||
| ▼ | クリックで地形ボーナス込みのステータスを表示 | 
 地形ボーナス込みステータス 
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CV担当:加隈亜衣
| ▼ | ←クリックすると台詞一覧が表示されます。 | 
 ※計略のない城娘の計略発動ボイスなど、通常流れないボイスはゲーム内の図鑑で聞くことができます。 
 
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イラストレーター:ヤッペン
| ▼ | ←クリックすると御嬢、城娘画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。 | 
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【デザイン】
羽衣(クリックで表示)
築城時度重なる水害のため工事が進まず、「お宮」という娘が進んで人柱となった。
その時弁財天の像をを抱いて人柱となったため、弁財天とともに城の守り神となった。
【特技・計略】
国俊の刀(クリックで表示)
国俊は刀工の一派来派に属する刀匠。「国俊」と銘するものと「来国俊」と銘するものがあり、前者を二字国俊、後者を三字国俊と呼び分ける。
二字国俊と三字国俊は親子であるという説と同一人物で時期によって銘を変えたとする説がある。
府内城の初代城主である福原直高(長堯)は豊臣秀吉に小姓頭として仕え、秀吉死後に形見分けとして国俊の太刀を下賜され拝領した。
慶長の石垣(クリックで表示)
山里丸の発掘調査で築城された慶長時代の石垣が見つかった。大抵は崩れたり修理して組み換えられたりと現存している物は少なく、貴重な物である。
【セリフ】
「好物は鶏肉料理」(クリックで表示)
大分県は鶏肉の消費量で何度も日本一を取っているほど鶏肉料理の盛んな土地として知られる。
有名なものに郷土料理『とり天』がある。『とり天』は下味をつけた鶏肉に天ぷらの衣をつけて揚げ、たれにつけて食べるもの。最初からタレが掛かってるものもある。
大分市ではポピュラーな商品で、近年では次第に全国的な知名度を得てきている。なお大分と別府で発祥の地争いをしている。
お土産品にとり天せんべいもある。
大分県は他にも『中津からあげ』や『とりめし(鶏肉とごぼうのおにぎり)』『もみじ(鶏の足)の煮付け』など鶏肉料理が盛んである。その理由については諸説ある。
すこぶる(クリックで表示)
府内城の口癖らしい「すこぶる」。漢字では「頗る」。「とても○○である」、という意味。
元ネタは江戸時代の本草学者・貝原益軒の著した紀行文『豊国紀行』(豊国は豊前と豊後を指す*3)の中で、府内城とその城下町を『頗る大なり。天守あり。(中略)町も頗る広し』と描写されたことから来ている。城娘合成を行った時の台詞もここから取っている。
実際の府内城+城下町も川岸を大きく丸ごと切り取って造られていたため、かなり贅沢な水城であった。
人質櫓と宗門櫓(クリックで表示)
現在の府内城にただ二つ残る江戸時代の建物が本丸北側の「人質櫓」と西丸南側の「宗門櫓」。
人質櫓は文久元年(1861年)に再建されたもので二重の櫓。
名前は実際に人質を閉じ込めたのではなく、そのような用途に使われる櫓の名前として受け継がれたものと思われる。同じ名の櫓は福山城などにもあった。
宗門櫓は安政大地震で倒壊したのち安政6年(1859年)に再建されたもので、外側から見ると平屋の櫓だが城の内側から見ると二階建てに見える。
鎌倉時代に豊後守護に任じられ土着した大友氏は大友氏館を建てて政治的拠点とし、その城下町は「府内」と呼ばれ南蛮文化溢れる貿易港としても発展した。
府内城はその大友氏の大友義統が朝鮮出兵での失態によって改易された後、大友氏館の北西部・大分川の河口左岸に建てられた城。
慶長2年(1597年)、豊臣秀吉の小姓頭衆・馬廻衆であった福原直高が府内領を加増され、現在地に築城を始めて慶長4年(1599年)に完成する。
しかし同年に秀吉が没すると、直高は築城に際して領民に過大な負担を強いたとして府内城を没収される。
代わって早川長敏(長政)が復帰*2するも関ヶ原の戦いで西軍についたために改易され、戦後慶長6年(1601年)に竹中重利が入城する。
重利により福原氏時代の府内城の拡張・大改修が開始され、6年を費やして慶長12年(1607年)に四重の天守を含めて完成に至った。
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府内城が建てられた場所は別府湾に接した「荷落ろし」の場所であったが、「落」の字を忌み「揚」の字に改めたことで「荷揚城」として呼ばれていた。
現在も「荷揚町」として名前が残っており、府内城址の住所もそこにある。市役所の近くなのでわかりやすい。
またその美しい白土の塀から、「白雉城」という別名でも呼ばれている。
現在は本丸の堀と廓櫓を残すのみで天守閣は無い。建造当初はこれに二の丸、三の丸を構え、二重の堀に内堀を携え、港に口を開けた「港湾の城」であった。
(丁度現在の工業団地+府内城東側が昔は海であったことを考えれば、港の大きさがわかると思う。)
古地図では城下街も含めるとかなり大きな堀を構えており、水上交通も盛んであった。それを含めればいかに大きな城であったかが想像できる。
なお、現在は本丸外苑にこれでもかと桜の木が植えられており、春になればその花を賑わせている。
城と城下町を完成させた竹中氏は、重利の子・重義が長崎奉行を罷免され切腹を命じられ改易、代わった日根野吉明も後継ぎがなく断絶。
万治元年(1658年)に松平忠昭が新藩主として入封し、以後大給松平氏が廃藩置県まで藩主をつとめた。
寛保3年(1743年)に大火によって天守を始め城の施設が多く焼失し、以後天守は再建されず、また昭和20年(1945年)の大分空襲によって櫓数棟が焼失している。
現存してるものの多くは廊下橋をはじめ昭和に入って復元されたものである。
バブル期、城内に文化ホールに駐車場と散々な状態であったが、文化ホールは解体され駐車場のみが残った。「天守閣の復元を」とプロジェクトが挙がったが目途はたっていない。
2019年現在「城址公園」と銘を打っているが、現状は市役所の駐車場である。
平成18年(2006年)、財団法人日本城郭協会によって日本100名城
の1つに選ばれた。
| 所在地 | 大分県大分市荷揚町(大分城址公園) | 
| 現存状態 | 櫓2棟(人質櫓、宗門櫓)、石垣、堀、土塀 | 
| 城郭構造 | 平城/水城 | 
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