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エカテリーナ宮殿 のバックアップ(No.26)
城娘ステータス: 全城娘一覧(刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | 茶器 | その他 || 平属性 | 平山属性 | 山属性 | 水属性 | 地獄属性 | 無属性)初期ステータス 装備品: 刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | 茶器 | その他 || 施設 || 消耗品 | 城娘: 特技(攻撃系 / 防御系 / 弱体化他) | 所持特技 | 編成特技 | 大破特技 | 特殊攻撃 | 特殊能力 | 武器切替 | 計略(伏兵以外 / 伏兵) | 都道府県別 | 令制国別 | 季節限定城娘 | 特定カテゴリ |
赤数字は無印での最大レベルかつ絆100%時の値です。★1=Lv90、★2=Lv95、★3=Lv100、★4=Lv105、★5=Lv110、★6=Lv115、★7=Lv120
ゲーム上の性能・評価
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| ▼ | ←クリックすると御嬢、城娘画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。 |
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【デザイン】
【特技・計略】
琥珀の間(クリックで表示)
「琥珀の間」はホーエンツォレルン家のフリードリヒ1世プロイセン王*2がバルト海の特産であった琥珀を売り込むため、
琥珀の間を作ろうとしたが、彼の死後計画はストップし、ロシアプロイセン同盟締結の際ピョートル1世に贈られたが、組み立て方が分からず放置されていた。
30年程経ってようやくエリザヴェータがペテルゴフ宮殿→冬宮殿を経て、1743年から開始され37年後の1780年に完成した。
ロシア帝政崩壊後も保護されていたが、第二次世界大戦中の1941年~44年に起こった包囲戦でナチス・ドイツ軍が財宝や美術品、「琥珀の間」も持ち去ってしまった。
なお、ナチス・ドイツ軍侵攻の3日前、琥珀の間を運ぼうとしたが、解体方法が拙くボロボロに剥がれたので断念し壁紙で隠したがすぐにバレてしまった。
一方のナチス・ドイツ軍は専門家の指導の下36時間で解体してしまった。この持ち去られた「琥珀の間」はドイツ領に運ばれたが、戦後行方不明となった。
破壊・爆破・焼却された説もあるが、運送途中一部が失われ全部は消失していない、将又どこかの個人宅に移された等の噂も絶えない。
1979年ソ連は「琥珀の間」を国宝とし復元計画を始めたが、ソ連崩壊を経てロシア連邦になると資金が足りず放置されていたので、ドイツのガス会社が約3.85億円提供し2003年完成した。この時行われた完成式典では、露・米・独・英・仏・日などの各国の首脳陣が参列している。
レツニイ・インペラトリーツァ(クリックで表示)
ロシア語でИ(イ)м(ン)пе(ペ)ра(ラ)т(ト)ри(リー)ца(ツァ)
意味は女帝・皇后・前皇帝の未亡人の3つで、日本語ではそれぞれ別々の意味だが、ロシア語では区別がない。
そのため、2代皇帝エカチェリーナ1世・4代アンナ・6代エリザヴェータ・8代エカチェリーナ2世や、
例えば処刑されたロシアのラストエンペラーニコライ2世の妻アリックスもインペラトリーツァとなる。
また、エカチェリーナ1世・2世はともに、結婚後「皇后」となり夫の死後「前皇帝の未亡人」になり「女帝」に即位した。
なので結婚後「インペラトリーツァ」となり夫の死後「インペラトリーツァ」になり「インペラトリーツァ」に即位したとなる。
ロシア語でле(レ)т(ツ)ни(ニ)й(イ)
意味は夏。夏の皇后(の宮殿)という意味合いか?
クホンニ・プルド(モチーフ施設)(クリックで表示)
ロシア語でКухонный пруд。説明の通り「台所の池」である。
由来は調理や食料品貯蔵を専用とした大洲城のような台所棟があり、その前に1790年後半に作られたことによる。
ただしこれはエカテリーナ宮殿の物ではなく、隣のアレクサンダー宮殿の物なのでモチーフ施設とするのは誤り。
【セリフ】
帝政ロシアの首都サンクトペテルブルクにある宮殿で、ペテルゴフ宮殿から東南に約35km、冬宮殿からだと南に25kmの所にある。
ペテルゴフ宮殿や冬宮殿と比較されることが多く、姉妹や三姉妹と称されたり、その美しさから「美の衣をまとった宮殿」とも云われる。エカチェリーナ宮殿とも。
始まりは1717年~1724年にかけてロシア皇帝ピョートル大帝が、妃のエカチェリーナ1世のために建てた夏の離宮であり名称も彼女の名に因む。
ただ完成後の翌年ピョートル大帝が崩御してしまい、エカチェリーナ1世が皇帝になるとペテルゴフ宮殿で過ごす事が多かったが・・・
姪の4代皇帝アンナは帝王学を学ず政治に興味が無かったので、余暇のため増改築等をおこなった。
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エカチェリーナ1世の娘で6代皇帝エリザヴェータは非嫡出子*3であったため両親への疎外感から両親に反発し、
母のためのエカチェリーナ宮殿、父が建てたペテルゴフ宮殿や冬宮殿、教会を全てロココ調を取り入れたバロック式へと改築させた。
エカチェリーナ宮殿は1744年から開始され12年をかけ大々的に行われた。100㎏を超える金を使った装飾、6t余りの琥珀を使った琥珀の間など、
比較的質素だった宮殿は40以上の大広間、100以上のプライベートルームやサービスルームを備えた300m以上の大宮殿へと変貌した。
8代皇帝エカチェリーナ2世は1778年~84年にかけて新古典主義で内装や部屋の改築を行った。
彼女は6代皇帝の甥の配偶者でロシアの血を引いていなかったが、この宮殿を1番愛したのは彼女だった。
特に「琥珀の間」が特にお気に入りで、他人を入れなかったほどである。詳しくは元ネタ情報の琥珀の間にて。
ちなみに1791年にはロシアに漂着した大黒屋光太夫が、帰国の許可を得るためこの宮殿で謁見している。
1796年エカチェリーナ2世が崩御すると、その子パーヴェル1世はエカチェリーナ宮殿を記念建造物とし、使用や滞在を避けパヴロフスク宮殿やアレクサンダー宮殿*4へ移った。
1990年に『サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群』の構成要素のひとつとして世界遺産に登録された。
現在サンクトペテルブルクでは1番の観光名所となっていて、ツアー客以外入れない事が多い。
| 所在地 | ロシア レーニングラード州 サンクトペテルブルク |
| 現存状態 | 現存 |
| 城郭構造 | 宮殿 平城 |
Published by (C)DMMゲームズ
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