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マルボルク城 のバックアップ(No.23)
城娘ステータス: 全城娘一覧(刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | 茶器 | その他 || 平属性 | 平山属性 | 山属性 | 水属性 | 地獄属性 | 無属性)初期ステータス 装備品: 刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | 茶器 | その他 || 施設 || 消耗品 | 城娘: 特技(攻撃系 / 防御系 / 弱体化他) | 所持特技 | 編成特技 | 大破特技 | 特殊攻撃 | 特殊能力 | 武器切替 | 計略(伏兵以外 / 伏兵) | 都道府県別 | 令制国別 | 季節限定城娘 | 特定カテゴリ |
赤数字は無印での最大レベルかつ絆100%時の値です。★1=Lv90、★2=Lv95、★3=Lv100、★4=Lv105、★5=Lv110、★6=Lv115、★7=Lv120
マルボルク城/ステータス
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| 初期配置 | 巨大化 | |||||||||||||
| 突破 | Lv | 耐久 | 攻撃 | 防御 | 範囲 | 回復 | Lv | 耐久 | 攻撃 | 防御 | 範囲 | 回復 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 無 印 ★ 6 | 0 | 50 | 3135 | 171 | 228 | 90 | 20 | 50 | 5643 | 307 | 387 | 162 | 30 | |
| 0 | 55 | 3221 | 181 | 240 | 90 | 21 | 55 | 5797 | 325 | 408 | 162 | 31 | ||
| 0 | 60 | 3309 | 190 | 251 | 90 | 22 | 60 | 5956 | 342 | 426 | 162 | 33 | ||
| 0 | 65 | 3397 | 199 | 264 | 90 | 23 | 65 | 6114 | 358 | 448 | 162 | 34 | ||
| 0 | 70 | 3485 | 207 | 275 | 90 | 24 | 70 | 6273 | 372 | 467 | 162 | 36 | ||
| 0 | 75 | 3573 | 218 | 287 | 90 | 25 | 75 | 6431 | 392 | 487 | 162 | 37 | ||
| 1 | 80 | 3660 | 227 | 298 | 90 | 26 | 80 | 6588 | 408 | 506 | 162 | 39 | ||
| 1 | 85 | 3748 | 236 | 309 | 90 | 27 | 85 | 6746 | 424 | 525 | 162 | 40 | ||
| 2 | 90 | 3836 | 246 | 321 | 90 | 28 | 90 | 6904 | 442 | 545 | 162 | 42 | ||
| 2 | 95 | 3924 | 255 | 332 | 90 | 29 | 95 | 7063 | 459 | 564 | 162 | 43 | ||
| 3 | 100 | 4012 | 265 | 344 | 90 | 30 | 100 | 7221 | 477 | 584 | 162 | 45 | ||
| 3 | 105 | 4099 | 275 | 355 | 90 | 31 | 105 | 7378 | 495 | 603 | 162 | 46 | ||
| 4 | 110 | 4187 | 283 | 367 | 90 | 32 | 110 | 7536 | 509 | 623 | 162 | 48 | ||
| 4 | 115 | 4694 | 292 | 426 | 90 | 33 | 115 | 9389 | 525 | 853 | 162 | 49 | ||
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地形ボーナス込みステータス
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CV担当:本多真梨子
| ▼ | ←クリックすると台詞一覧が表示されます。 |
※計略のない城娘の計略発動ボイスなど、通常流れないボイスはゲーム内の図鑑で聞くことができます。
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イラストレーター:たいちょ
| ▼ | ←クリックすると御嬢、城娘画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。 |
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ドイツ騎士団がポーランドのヴィスワ河畔に建設した世界最大の煉瓦造りの城で、その名は騎士団が守護者とした聖母マリアにちなみ、「マルボルクのドイツ騎士団の城」として世界遺産に登録されている。
ポーランドに招かれたドイツ騎士団の拠点となるマルボルク城は城郭修道院として築城が開始され、1274年に完成した。
マルボルク城は上城・中城・下城に分かれ、騎士団総長の宮殿が置かれた中城と、聖母マリアの礼拝堂が建てられた上城は多重の城壁で囲まれており、城に隣接して町も発展し、城壁は町壁と一体化し広範囲にわたり防御された。
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1457年にはポーランドにマルボルク城が明け渡され、16世紀にはスウェーデンが占領し城を改修したがその後放棄された。
1772年の第一次ポーランド分割によってマルボルク城はドイツ騎士団国の流れをくむプロイセン王国が所有し、315年ぶりにドイツ人の手に戻ることとなった。
マルボルク城はドイツによって修復が行われたが、その最中に第二次世界大戦が勃発し大部分が破壊された。戦後修復作業は再開し、現在も続けられている。
| 所在地 | ポモージェ県マルボルク、ポーランド |
| 現存状態 | 第二次世界大戦で破壊され、修復中 |
| 城郭構造 | ゴシック様式 |
修道会国家(クリックで表示)
マルボルク城を本拠地としたドイツ騎士団、正式名称ドイツ人の聖母マリア騎士修道会はプロイセンで領土を広げ、修道会国家であるドイツ騎士団国を建設した。
そのきっかけとなったのが1226年、ポーランドのマゾフシェ公コンラート1世は北方の異教徒プロイセン人に対抗するためにドイツ騎士団を招いたことだった。
ドイツ騎士団はコンラートと神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世にプロイセン領有を認められ、さらに1230年にローマ教皇グレゴリウス9世からもプロイセン進出を認められたことで本格的な征服活動を開始し、ドイツ人による東方植民が始まった。
ドイツ騎士団は1237年にリヴォニア帯剣騎士団を吸収してリヴォニアを併合し、1242年のチュード湖氷上の戦いでアレクサンドル・ネフスキーに敗れノヴゴロドへの侵攻は断念したものの、1283年にはプロイセン全域を征服しドイツ騎士団国が確立し、これがのちにドイツを統一することになるプロイセン王国の原型となる。
1291年に十字軍最後の拠点アッコンが陥落するとドイツ騎士団は本部をヴェネツィアに移していたが、1307年にフランス王フィリップ4世が突如テンプル騎士団員を逮捕するという事件が起こった。
フィリップ4世はヨーロッパの全ての騎士団を解散させようと動いたため、1309年にドイツ騎士団は本部をヴェネツィアからマルボルク城へと移し、ここを中心に騎士団の全活動を統括することになった。
こうしてドイツ騎士団は勢力を拡大していったが、ポーランドとは東ポメラニアの領有をめぐって対立し、そして何より、ドイツ騎士団領に脅威を与え続けていた東欧の大国、リトアニア大公国との全面対決は避けられない状況となった。
1410年、タンネンベルクの戦い(グルンヴァルトの戦い)でドイツ騎士団の総長が戦死するなどポーランド・リトアニア連合が決定的勝利を収め、連合軍はマルボルク城に迫ったが、約二ヶ月間の籠城戦の末マルボルク城は連合軍を撃退した。
しかしタンネンベルクでの敗北でドイツ騎士団の威信は急降下し、翌年の第一次トルンの和約でポーランドと和睦しマルボルク城は引き続きドイツ騎士団の居城として認められたが、1457年にはポーランドにマルボルク城が明け渡された。
1466年の第二次トルンの和約ではマルボルクを含む東ポメラニアを割譲したことで、その領土はわずかに東プロイセンを領有するのみとなり、ドイツ騎士団国の首都はマルボルクからケーニヒスベルクに移された。
1511年、ドイツ騎士団はポーランドによってホーエンツォレルン家の分家出身であるアルブレヒト・フォン・ブランデンブルクを総長とし、1525年にはアルブレヒトがプロイセン公となったことで、ドイツ騎士団国はポーランドに帰属する世俗国家プロイセン公国となり、修道会国家は完全に消滅した。
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