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佐賀城 のバックアップ(No.2)
城娘ステータス: 全城娘一覧(刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | 茶器 | その他 || 平属性 | 平山属性 | 山属性 | 水属性 | 地獄属性 | 無属性)初期ステータス 装備品: 刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | 茶器 | その他 || 施設 || 消耗品 | 城娘: 特技(攻撃系 / 防御系 / 弱体化他) | 所持特技 | 編成特技 | 大破特技 | 特殊攻撃 | 特殊能力 | 武器切替 | 計略(伏兵以外 / 伏兵) | 都道府県別 | 令制国別 | 季節限定城娘 | 特定カテゴリ |
赤数字は無印での最大レベルかつ絆100%時の値です。★1=Lv90、★2=Lv95、★3=Lv100、★4=Lv105、★5=Lv110、★6=Lv115、★7=Lv120
佐賀城/ステータス
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| 初期配置 | 巨大化 | |||||||||||||
| 突破 | Lv | 耐久 | 攻撃 | 防御 | 範囲 | 回復 | Lv | 耐久 | 攻撃 | 防御 | 範囲 | 回復 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 無 印 ★ 3 | 0 | 50 | 2431 | 159 | 162 | 140 | 20 | 50 | 4375 | 260 | 252 | 229 | 20 | |
| 0 | 55 | 2492 | 167 | 170 | 140 | 21 | 55 | 4485 | 273 | 265 | 229 | 21 | ||
| 0 | 60 | 2553 | 176 | 179 | 140 | 22 | 60 | 4595 | 288 | 279 | 229 | 22 | ||
| 1 | 65 | 2614 | 184 | 188 | 140 | 23 | 65 | 4705 | 301 | 293 | 229 | 23 | ||
| 1 | 70 | 2675 | 193 | 196 | 140 | 24 | 70 | 4815 | 316 | 305 | 229 | 24 | ||
| 2 | 75 | 2736 | 202 | 205 | 140 | 25 | 75 | 4924 | 331 | 319 | 229 | 25 | ||
| 2 | 80 | 2798 | 210 | 214 | 140 | 26 | 80 | 5036 | 344 | 333 | 229 | 26 | ||
| 3 | 85 | 2860 | 218 | 223 | 140 | 27 | 85 | 5148 | 357 | 347 | 229 | 27 | ||
| 3 | 90 | 2921 | 228 | 232 | 140 | 28 | 90 | 5257 | 373 | 361 | 229 | 28 | ||
| 4 | 95 | 2982 | 237 | 240 | 140 | 29 | 95 | 5367 | 388 | 374 | 229 | 29 | ||
| 4 | 100 | 3043 | 246 | 249 | 140 | 30 | 100 | 5477 | 403 | 388 | 229 | 30 | ||
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地形ボーナス込みステータス
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CV担当:小野涼子
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イラストレーター:
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沖田畷の戦いで「肥前のクマ」と呼ばれていた村中城城主・龍造寺隆信が戦死したのち、家臣であり義弟でもある鍋島直茂が実権を握るようになった。
その直茂は村中城の改修計画を考えたが、実際に手をつけたのは長男の鍋島勝茂。
このときに小倉城の図面を参考に天守を作り上げたのである。……が、天守は生憎後述の火災で焼け落ちてしまった。
佐賀城は佐賀平野の中央に位置し、周囲は平地で城の主要部が広大な水堀に囲まれるという、典型的な平城だった。
平坦な土地であるため城外から見通せないように土塁上に樹木が植えられ、城から遠ざかるにつれて城が樹木の中に沈んで見えることから、また攻撃された時に主要部以外は水没させて防衛する仕組みであったことから、「沈み城」の異名がある。
| 所在地 | 佐賀県佐賀市城内 |
| 現存状態 | 鯱の門及び続櫓、移築御座の間、石垣、堀、土塁 |
| 城郭構造 | 輪郭梯郭複合式平城 |
佐賀の乱(クリックで表示)
明治初期に始まった大規模な内乱であり、その後に続く「秋月の乱」「萩の乱」「神風連の乱」など九州内戦の嚆矢とされる。
明治6年(1873年)、江藤新平、板垣退助らが武力をもって朝鮮を開国しようとする「征韓論」を唱えたが、大久保利通らはこれに反対した。
「武力にて開国を迫る」というのが「征韓論」であり、西郷隆盛が中心となってこれを唱えたと解釈されることもあるが、その実体は少々異なる。
もともと日本が朝鮮の支配権を持っているとし、朝鮮に開国を迫るため使節を派遣しようというのが西郷の主張であり、これは「征韓論」ではなく「遺韓論」とするのが正しい。
地政学から言えば朝鮮半島はロシア・中国侵攻の最終防衛線であるため、この地を統治して日本国の防衛を強化する計らいもあった。
前参議の江藤は「朝鮮への出兵の際は先鋒を務める」と発言したとされるため、使節による交渉ではなくあくまで制圧による開国を思想としていた。
反乱軍のカリスマとして担ぎ上げられる江藤だが、はじめから政府への反乱を企てていたわけではなく、むしろ当初は不平士族を鎮めるため佐賀へ戻った。
だが、政府の強硬な姿勢に不満を募らせ乱を引き起こすこととなったのである。
乱の主体は江藤の征韓党と副島義高を擁する憂国党の混成部隊で、そもそもの思想が合致しないため司令棟も行動指針も分散されていた。
にも拘らず明治7年(1874年)2月15日の佐賀城攻防戦においては政府軍に多くの死者を出す大損害を与えた。またこの際に佐賀城の大半が壊滅状態となってしまう。
かろうじて生き長らえた鯱の門と続櫓は昭和28年(1953年)に佐賀県重要文化財、昭和32年(1957年)には国の重要文化財として指定されることになった。
またこの鯱の門であるが、この戦によって受けた弾痕が今も尚生々しく残ってる。
第一次戦闘において江藤率いる反乱軍は大勝と呼べる戦果を挙げたが、これに反応し、大久保は福岡入りした上で複数の部隊を集結させ、反乱軍の討伐へと向かわせた。
寒津川・田手川の戦いで退却を余儀なくされた江藤が西郷に助力を求めるため、憂国党に断りもなく戦線離脱をしており、この対応に憂国党の兵たちは激高したという。
その後、三瀬峠の戦い、境原の戦いと進むにつれ反乱軍は劣勢に立たされる。同年2月27日、江藤は西郷に面会し助力を願うも一蹴されている。
続いて土佐入りの上で片岡健吉と林有造に挙兵を訴えたが、すでに手配書が回っておりここで捕縛となる。
なお江藤は日本の指名手配のシステムを確立した人物であるが、皮肉にも日本初の指名手配犯にもなった。
また、晒し首となった写真が残り、現在名前をGoogle検索するだけでも、その写真がヒットするので閲覧には注意である。
2月28日に政府が佐賀城を目と鼻の先に捉えた折、木原隆忠と副島義高を使者に降伏を申し出たが、政府軍は内容が無礼として却下している。
同時に木原を拘留した。島義勇(憂国党党首)は佐賀で討ち死にを覚悟したが、実弟の副島義高らが島の意志を無視して脱出させた。
脱出後、島は島津久光に決起を訴えるべく鹿児島へ向かったが3月7日に捕縛され、4月13日に斬首ののち梟首(きょうしゅ)、つまりは晒し首となった。
同氏の墓は故郷の佐賀市金立町の来迎寺にいまなお佇んでいる。佐賀藩の鍋島に仕え、北海道開拓の父とも、佐賀七賢人の一人とも称された男の末路は儚い。
大規模な内戦によりひどく傷ついた佐賀城は、佐賀城公園として整備され、周囲には県庁、美術館をはじめ小中高の学校が立ち並び、佐賀県民の生活を見守り続けている。
そして平成16年(2004年)に天保年間完成の本丸御殿を復元した佐賀県立佐賀城本丸歴史館が完成。
館内では幕末・維新期の時に当時の佐賀が如何関わっていたのかを展示物や複製等で分かりやすく、紹介されている。
知略・軍学へのこだわり(クリックで表示)
図鑑説明のとおり平坦な土地にある城なので、内部を隠すために木を植えたり攻撃された際には外堀を水没させる仕組みだったりと創意工夫(知略)が施された城だった。
木の中に埋もれている様子や、敵を水没できる仕組みから「沈み城」とも呼ばれている。
そのカモフラージュ用の木々のせいか何度も火災に遭い、1726年にはかっこいい天守を消失、1835年には御殿のある二の丸が全焼する大惨事に遭ってしまう。
焼けて荒れ果てた佐賀城を再建させたのは肥前国佐賀藩第10代藩主、「佐賀の七賢人」の一人、鍋島直正。彼は軍備強化に力を注ぎ、西洋技術も積極的に取り入れていった。
その結果"佐賀藩兵40名ほどが他藩の1000名に匹敵する"とまで言わしめるほどに軍備を成長させた。
また直正は蘭学も積極的に学んでおり、日本から天然痘が根絶できたのは直正が牛痘ワクチンをいち早く輸入・試験を行ったからとも言われている。
佐賀城がしきりに知や軍学のことを口にするのは、その地理的な出で立ちと直正の影響があるのかも知れない。
猫が怖いのは……(クリックで表示)
鍋島氏と猫と言えば、「鍋島化け猫騒動」。上記の「龍造寺隆信が戦死したのち、家臣の鍋島直茂が実権を握るようになった」ことを発端・元ネタとした御家騒動伝説のことである。
実際は鍋島直茂は龍造寺の霊を沈めるためにお寺を建てた上に実権継承も特に問題はなかったと言われているが、関係者の早死・芝居化された際に当の鍋島氏(鍋島直孝)が上演中止させたために却って炎上・有名になってしまった。
ちなみに鍋島直孝の正妻の名も"クマ"だったりするが、まぁ村中城とは関係はないだろう。
正しい「武士道と云ふは……」(クリックで表示)
旧城プロでの佐賀城の必殺技は『葉隠』の「(武士道と云ふは)死ぬ事と見つけたり」という有名な一文が元ネタである。
しかしこの一文の強烈なインパクトからか「武士道は死ぬことで完結するのだ」「武士は死んでナンボ」のような誤解が頻繁に見られる。
しかし捕虜から解放されたときの彼女の台詞「我人、生くることが好きなり」(私だって人だ、生きることが好きなのだ)もまた葉隠の一文であることからもわかるように、これは死を美化する言葉ではない。
「武士道と云ふは…」には続きがあり、その最後は「毎朝毎夕、改めては死々、常住死身に成て居る時は、武道に自由を得、一生落度なく家職を仕課すべき也。」(毎朝毎夕、いつでも死ぬ覚悟があれば一生落ちぶれることなく仕事を全うできるのだ)で締めくくられるのだ。
図鑑の御嬢ボイスでは「ボヤ騒ぎ覚悟」で料理の練習をするつもりらしいが、「死ヌ事ト見ツケタ」彼女もきっと死ぬ覚悟で料理をしてくれるであろう。全力で応援してあげよう。
また、『葉隠』には以下のような文も残る。
衆道の情けも一生一人、武士はニ道せずに武道に励め衆道の心得は好いて好かぬもの、命は主君に奉るもの
今でこそあり得ないが、この当時は衆道つまりは男色を武士の心得とする考えがあった。
だからと言って遊び散らかせという意味ではない。兄貴分または主君に対し初めは燃え上がる恋慕を持ち、相手との情事が絶えようとも忠義という形でその思いは残り続ける。
武士の命は主君のもの、それが他に捧げられては恩義に報いることが出来ない。死ぬ気で衆道に励むも、命を捧げはしない。よって「好いて好かぬもの」なのだ。
ただ、むやみやたらに相手を探すのではなく相手を慎重に選び抜く目が必要というわけである。ん?佐賀城は女、ということはその相手も…
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