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丹波亀山城 のバックアップ(No.16)
城娘ステータス: 全城娘一覧(刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | 茶器 | その他 || 平属性 | 平山属性 | 山属性 | 水属性 | 地獄属性 | 無属性)初期ステータス 装備品: 刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | 茶器 | その他 || 施設 || 消耗品 | 城娘: 特技(攻撃系 / 防御系 / 弱体化他) | 所持特技 | 編成特技 | 大破特技 | 特殊攻撃 | 特殊能力 | 武器切替 | 計略(伏兵以外 / 伏兵) | 都道府県別 | 令制国別 | 季節限定城娘 | 特定カテゴリ |
赤数字は無印での最大レベルかつ絆100%時の値です。★1=Lv90、★2=Lv95、★3=Lv100、★4=Lv105、★5=Lv110、★6=Lv115、★7=Lv120
丹波亀山城/ステータス
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| 初期配置 | 巨大化 | ||||||||||||||
| 突破 | Lv | 耐久 | 攻撃 | 防御 | 範囲 | 回復 | Lv | 耐久 | 攻撃 | 防御 | 範囲 | 回復 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 改 壱 ★ 6 | 0 | 50 | 2659 | 181 | 185 | 140 | 20 | 50 | 5318 | 325 | 342 | 238 | 20 | ||
| 0 | 55 | 2728 | 190 | 194 | 140 | 21 | 55 | 5456 | 342 | 358 | 238 | 21 | |||
| 0 | 60 | 2794 | 200 | 205 | 140 | 22 | 60 | 5588 | 360 | 379 | 238 | 22 | |||
| 0 | 65 | 2861 | 211 | 214 | 140 | 23 | 65 | 5722 | 379 | 395 | 238 | 23 | |||
| 0 | 70 | 2928 | 221 | 225 | 140 | 24 | 70 | 5856 | 397 | 416 | 238 | 24 | |||
| 0 | 75 | 2995 | 231 | 235 | 140 | 25 | 75 | 5990 | 415 | 434 | 238 | 25 | |||
| 1 | 80 | 3062 | 239 | 245 | 140 | 26 | 80 | 6124 | 430 | 453 | 238 | 26 | |||
| 1 | 85 | 3129 | 249 | 255 | 140 | 27 | 85 | 6258 | 448 | 471 | 238 | 27 | |||
| 2 | 90 | 3196 | 259 | 265 | 140 | 28 | 90 | 6392 | 466 | 490 | 238 | 28 | |||
| 2 | 95 | 3263 | 270 | 275 | 140 | 29 | 95 | 6526 | 486 | 508 | 238 | 29 | |||
| 3 | 100 | 3330 | 280 | 286 | 140 | 30 | 100 | 6660 | 504 | 529 | 238 | 30 | |||
| 3 | 105 | 3397 | 289 | 294 | 140 | 31 | 105 | 6794 | 520 | 543 | 238 | 31 | |||
| 4 | 110 | 3465 | 299 | 305 | 140 | 32 | 110 | 6930 | 538 | 564 | 238 | 32 | |||
| 4 | 115 | 3531 | 309 | 314 | 140 | 33 | 115 | 7062 | 556 | 580 | 238 | 33 | |||
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地形ボーナス込みステータス
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氏が手掛けた最初の城娘(現状は唯一)。CV担当:真中琴与
| ▼ | ←クリックすると台詞一覧が表示されます。 |
※計略のない城娘の計略発動ボイスなど、通常流れないボイスはゲーム内の図鑑で聞くことができます。
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イラストレーター:fu-ta
| ▼ | ←クリックすると御嬢、城娘画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。 |
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文禄年間(1592年~1596年)に成立した『義残後覚』や司馬遼太郎の小説『国盗り物語』では「金柑頭(きんかんあたま)」とあだ名される明智光秀が丹波経営の拠点として天正6年(1578年)に築き、本能寺の変の直前に居城としていたことで知られる城。
二ノ丸付近に築かれた門は後年には明智門として知られ、明智門が位置する二ノ丸の東側は他の曲輪とは形が大きく異なる、直線部分が無い不整形な曲線を描いており、光秀時代の縄張と考えられている。
本能寺の変後は豊臣秀吉が畿内の拠点とし、豊臣秀俊(小早川秀秋)が城主の時に光秀時代の3重天守が5重に改められた。
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江戸時代には幕府が天下普請を命じ、篠山城などと共に大坂城の豊臣氏への備え、西国大名監視の役割を担った。
縄張は築城の名手藤堂高虎が担当し、その縄張は高虎の築城に特徴的な直線的なものとなり、本丸には今治城から移築したとの説もある層塔型の5重天守を中心に高石垣と深い内堀を設け、高石垣の上には多聞櫓が並ぶ堅固な構えとなった。
以後丹波亀山城は江戸時代を通じて丹波亀山藩の藩庁として譜代大名が城主を務め、形原松平氏の代に明治維新を迎えた。
その間の寛永9年(1632年)に、堀尾忠晴が丹波亀山城と間違えて伊勢亀山城の天守を解体したという事件があった。
丹波亀山藩は伊勢亀山藩との混同を避けるため明治2年(1869年)に亀山の地名を亀岡へと改称し、これ以降は亀岡藩と称されるようになった。そのため丹波亀山城は亀岡城と呼ばれることもある。
明治10年(1877年)には明治政府によって廃城となり、その後、荒廃する姿を嘆いた新宗教「大本」の二大教祖の一人・出口王仁三郎に買収され整備されたが、日本政府は不敬罪で王仁三郎を逮捕し、丹波亀山城に築かれた神殿や石垣をダイナマイトで破壊した(大本事件)。
しかし、無罪となり釈放された王仁三郎の所有物に再びなると、戦後には教団により再整備され、現在も大本の聖地として知られている。
王仁三郎は数々の予言を的中させたカリスマであったが、当時「道鏡以来の逆賊」とも評され、丹波亀山城は光秀、秀秋、王仁三郎の三人の裏切り者ゆかりの城とも言える。ただし、それぞれの人物評価には異論も多い。
歴史小説家の司馬遼太郎は『街道をゆく』にて丹波亀山城を明智光秀と出口王仁三郎という2人の謀叛人を出したと評した。
なお「三日天下」とは光秀が京で政務を行なっていた期間が三日であったことから生まれたとされる諺だが、光秀が戦死したのは本能寺の変の11日後、天正10年6月13日(1582年7月2日)のことである。
| 所在地 | 京都府亀岡市荒塚町 |
| 現存状態 | 石垣、堀など |
| 城郭構造 | 平山城 |
Published by (C)DMMゲームズ
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