白石城 のバックアップ(No.1)
現実の城情報
白石城(しろいしじょう)は宮城県白石市(陸奥国刈田郡)にあった城で、伊達政宗の側近片倉景綱の居城として知られる。 続きをクリックで表示 蒲生氏郷の死後、その後を継いだ秀行が慶長3年(1598年)に宇都宮城に移ると会津には上杉景勝が入り、景勝は甘糟景継を白石城に入れて改修を行った。 関ヶ原の戦い後再度伊達氏が刈田郡を領有することになると、重臣片倉景綱が入り、その後代々片倉氏が城主を務め、歴代の片倉氏当主は明治維新に至る第13代まで初代景綱にならった「小十郎」を名乗った。 明治期に入ると廃城令によって破却され更地となっていたが、1990年台に本丸天守にあたる三階櫓や一ノ門、二ノ門などが木造建築で復元され、公園として整備され現在に至る。 余談だが、白石市の名物に白石温麺(しろいしうーめん)がある。10cm程度と短めで素麺と冷麦の中間くらいの太さの麺で、胃腸の弱いの父のために油を使わない麺が作られたとされ、それを献上され気に入った片倉小十郎から温麺という名を賜ったという。 戊辰戦争に敗れ、白石城を没収されて領地をわずか数百分の一に縮小された片倉氏は、開拓のために北海道胆振国幌別郡(現・登別市)を一時領有する。この縁から白石市と登別市は姉妹都市として交流しており、登別市片倉町の登別市郷土資料館は白石城を模した外観で、片倉氏による開拓の歴史に関する展示もされている。また家臣の一部は石狩平野に入植し、入植地を故郷の名を取って白石村と名付け、現在は札幌市と合併して同市の白石区となっている。
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