神聖ローマ皇帝カール4世として知られるベーメン王カレル1世が自身の名を冠したチェコを代表する城塞で、1348年に着工し、主要街道の防御と神聖ローマ帝国の宝物や聖遺物の保管を目的に築かれ、1357年に主要部分が完成した。 プラハの南西約30キロメートルの岩山上に位置し、礼拝堂・宝物庫として用いられた「大城塔」を頂点に、「聖マリア小塔」、皇帝が居住した「皇帝の城」、皇帝不在時に用いた「城伯の城」が、その重要度に応じて段階的に配置されている。 実を言うとこの城に好んで住んだのはカール4世だけで、その後の臥す戦争においてはむしろ軍事目的に使われ、城に立て籠るカトリック勢と周りから攻め込むフス派との間で激しい戦いが繰り広げられた。 1419年に始まったフス戦争は一時フス派に包囲されるが撃退し、16世紀に入ると城伯という貴族の管理下に置かれカルルシュテイン城はルネサンス様式に改築されたのだった。 しかし軍事技術の発展に伴って防備が十分とは言えず、1618年に始まる三十年戦争の際に宝物などはプラハ城に移された。三十年戦争でスウェーデン軍に占領され荒廃したが1887年~1905年に復興事業が進められ、築城当時の姿が再現された。
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