麗江古城 のバックアップの現在との差分(No.9)
城娘ステータス: 全城娘一覧(刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | その他 || 平属性 | 平山属性 | 山属性 | 水属性 | 地獄属性 | 無属性)初期ステータス 装備品: 刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | その他 || 施設 || 消耗品 | 城娘: 特技(攻撃系 / 防御系 / 弱体化他) | 所持特技 | 編成特技 | 大破特技 | 特殊攻撃 | 特殊能力 | 武器切替 | 計略(伏兵以外 / 伏兵) | 都道府県別 | 令制国別 | 季節限定城娘 | 特定カテゴリ |
赤数字は無印での最大レベルかつ絆100%時の値です。★1=Lv90、★2=Lv95、★3=Lv100、★4=Lv105、★5=Lv110、★6=Lv115、★7=Lv120
ゲーム上の性能・評価
キャラクターボイスCV担当:石川由依
画像イラストレーター:神無
改壱
城娘の元ネタ情報【デザイン】 服とアクセサリー(クリックで表示) 城娘・御嬢両方の服は、麗江古城の原住民であるナシ族の民族服に基づいてデザインされている。額に月を意味する円盤状の飾り物(特技の元ネタを参照)があり、背中のショールか小さいマントのようなもの(城娘のは毛皮の部分、御嬢のは黒い生地の部分)を縛り付ける為の白い帯が胸元で交差し腰の後ろで結んでいるのが特徴。また、ナシ族には銀のアクセサリーをつける習慣があり、城娘姿にはブレスレットをつけている。 城娘姿の頭部につけている角状の物は中国古代建築によくある檐角(軒端)と斗栱(組物)をモチーフしたもの。下の帯の端に玉の飾りがあり、その形は狴犴を象っているかもしれない。 城娘・御嬢両方の服は、麗江古城の原住民であるナシ族の民族服をモチーフにデザインされている。 額には月を意味する円盤状の飾り物(特技の元ネタを参照)があり、背中のショール(小さいマントのようなもので、城娘のは毛皮の部分、御嬢のは黒い生地の部分)を縛り付ける為の白い帯が、胸元で交差し腰の後ろで結んでいるのが特徴。 また、ナシ族には銀のアクセサリーをつける習慣があるため、城娘姿ではブレスレットをつけている。 城娘姿の頭部につけている角状の物は、中国の古代建築によくある檐角(たんかく)(軒端)と斗栱(ときょう)(組物)をモチーフにしたもので、下の帯の端に付いた玉の飾りの形は、狴犴(へいかん)を象っていると思われる。 また、頭部の檐角や帯の端につるしているランタンは、灯籠と呼ばれる中国伝統の照明器具で、麗江古城では近代の特色として観光用に多く飾られている。 【特技・計略】 披星戴月(クリックで表示) 披星戴月(ひせいたいげつ)(クリックで表示) 中国語の熟語。直訳すると「星を背に被り月を頭に戴く」となるが、日が出る前に仕事に行き夜になってから戻るということで、勤労または多忙を形容する言葉になる。 中国語の熟語で、直訳すると「星を背に被り月を頭に戴く」となるが、日が出る前に仕事に行き夜になってから戻るということで、勤労または多忙を形容する言葉になる。 ナシ族の伝統服飾は披星戴月と呼ばれ、勤労の意味を込めて頭に月・背中に星を象徴する円盤状の飾り物をそれぞれつけてある。 上善如水(クリックで表示) 上善如水(じょうぜんみずのごとし)(クリックで表示) 老子「道徳経」第八より。原文「上善若水。水善利万物而不争,処衆人之所悪,故幾為道。」(最上の善は水の如く。水は万物を利するに長け而も争わず、誰にも行きたくない所に留まることができる。故にほぼ道そのものである。) 老子「道徳経」第八より。 原文「上善若水。水善利万物而不争,処衆人之所悪,故幾為道。」(最上の善は水の如く。水は万物を利するに長け而も争わず、誰にも行きたくない所に留まることができる。故にほぼ道そのものである。) 【セリフ】 氷粉涼宵(クリックで表示) 雲南・四川あたりの有名なローカルスイーツで、もちろん麗江古城でも多く食べられている。 氷粉と呼ばれる植物の種で作られた柔らかいゼリーに、涼宵と呼ばれる米の粉で作られた堅めのゼリー(米粉)を入れて冷やし、さらに調味料として玫瑰糖(バラの花びらを梅、蜂蜜、砂糖などで漬けて熟成させた物)、梅や木瓜の果汁を混ぜて食べる。 微かなバラの香りと共に果物の酸味と甘味がほどよく混ざり合い、ひんやりした食感が特徴だという。 涼宵の形はむきエビに見え、さらに発音も近いため氷粉涼蝦とも呼ばれる。 土司(クリックで表示) 少数民族を統治するコストを下げるために、その民族の元々の長の統治に合法性を与えるために授け、世襲させる官職の総称で、元代以降に設置された。 朝廷の科挙試験を通して官位を貰い、任命に従い各地を流転して任官される「流官」に対して、その土地の長に授け、同じ土地を治めるため、「土司」または「土官」と呼ばれる。 水郷風景・橋(クリックで表示) 麗江古城はもともと、北にある黒龍潭と呼ばれる湖から流れる玉河の川辺で建設された町であった。清代になると、当時の土司が玉河から2本の支流を作り町中を通過させ、さらに石で舗装された用水路を至る所に作った。そのため海抜の高さにもかかわらず町中は水郷風景となり、用水路や川を渡るための橋が多く建てられ、今は300本以上存在すると言われている。 現実の城情報世界遺産の麗江旧市街として知られる、ナシ族が築いた都市。海抜約2400mの高地に位置し、おそらく城プロ実装済みとしては最高所。 チベットや漢民族などの影響を受けつつも、政治・経済・文化の中心地として現代に至るまで発展し続けている。 ナシ族は巩本知(=穀物の蔵が集まる場所)とも呼んでいた。その旧名どおり雲南とチベットを結ぶ交易ルート上に位置する一大拠点であった。 この交易ルートは雲南の茶とチベットの馬を交易した事から「茶馬古道」と呼ばれている。 青海省から南下してきたナシ族がこの地を治めていたが、13世紀に元に真っ先に降伏。朝貢を行い麗江の地名が付けられた。 明時代には皇帝の「朱」の苗字を貰い「木」氏と名乗り、現在も存続する庁舎が建てられたが、清の時代に中央政府に取って代わられた。 世界遺産の麗江旧市街として知られるナシ族が築いた都市で、海抜約2400mの高地に位置する。 この地はチベットや漢民族などの影響を受けつつも、政治・経済・文化の中心地として現代に至るまで発展し続けている。 また、かつてナシ族はこの地を巩本知(=穀物の蔵が集まる場所)とも呼び、その旧名どおり雲南とチベットを結ぶ交易ルート上に位置する一大拠点であった。 この交易ルートは、雲南の茶とチベットの馬を交易した事から「茶馬古道」と呼ばれている。 当初、青海省から南下してきたナシ族がこの地を治めていたが、13世紀になると元に真っ先に降伏し、朝貢を行うことで麗江の地名が与えられた。 明の時代には皇帝の「朱」の苗字を貰い「木」氏と名乗り、現在も存続する庁舎が建てられたが、清の時代に中央政府に取って代わられた。 続きをクリックで表示 麗江の市街地は長江の上流である金沙江が大きく折れ曲がった開けた谷間に位置し、周囲は丘陵に囲まれている。 麗江の市街地は、長江の上流である金沙江が大きく折れ曲がった開けた谷間に位置し、周囲は丘陵に囲まれている。 数万年前の石器時代から集落があったが、城市としての麗江が築かれはじめたのは宋末元初のころ、すなわち13世紀の後半である。 城を築いたナシ族は紀元前に中国西北部から南下してきた遊牧民と土着の農耕民が混淆した末裔といわれている。 城を築いたナシ族は、紀元前に中国西北部から南下してきた遊牧民と土着の農耕民が混淆した末裔といわれている。 唐王朝のころには一時期中華中央の王朝に従っていたが、その後チベット系の吐蕃やビルマ系の南詔・大理の支配下に入った。 1253年にモンゴルが北方から来襲。ナシ族の首領・麦良はモンゴルに帰順し土司の位を与えられた。この前後に麗江の建設が始まったとされる。 元王朝が衰退したのち麦良の子孫・阿甲阿得は明朝に帰順し、姓を木とする。木氏はその後も世襲で麗江周辺を統治した。 しかし明末から清朝の時代になると徐々に中央政府の直轄化が進められ、木氏一族は実権を失っていった。 1253年にモンゴルが北方から来襲し、ナシ族の首領・麦良はモンゴルに帰順して土司の位を与えられ、この前後に麗江の建設が始まったとされる。 元王朝が衰退したのち麦良の子孫・阿甲阿得は明朝に帰順して姓を木と改め、木氏はその後も世襲で麗江周辺を統治した。 しかし明末から清朝の時代になると、徐々に中央政府の直轄化が進められ、木氏一族は実権を失っていった。 ちなみに麗江とは「水が綺麗」という意味。ナシ族は水を守り神とし非常に大切に扱い、縦横に走っている水路も専属の公務員が管理している。 中国の城市には珍しく、城壁が無い都市である。これは統治者であったナシ族の首領・木(ムー)氏の姓から、『木』の回りに壁を築くと『困』という字になるのを嫌ったからだと伝えられている。 実際には土地の地勢上城壁を築くのが難しく、無理をして築いても実際の効果に乏しいと考えられたためであろうとされている。 ちなみに麗江とは「水が綺麗」という意味で、ナシ族は水を守り神として非常に大切に扱い、縦横に走っている水路も専属の公務員が管理している。 また、中国の城市には珍しく城壁が無い都市で、これは統治者であったナシ族の首領・木(ムー)氏の姓から、『木』の回りに壁を築くと『困』という字になるのを嫌ったからだと伝えられている。 実際には、土地の地勢上城壁を築くのが難しく、無理をして築いても実際の効果に乏しいと考えられたためだとされている。
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