長篠城 のバックアップの現在との差分(No.11)
城娘ステータス: 全城娘一覧(刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | その他 || 平属性 | 平山属性 | 山属性 | 水属性 | 地獄属性 | 無属性)初期ステータス 装備品: 刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | その他 || 施設 || 消耗品 | 城娘: 特技(攻撃系 / 防御系 / 弱体化他) | 所持特技 | 編成特技 | 大破特技 | 特殊攻撃 | 特殊能力 | 武器切替 | 計略(伏兵以外 / 伏兵) | 都道府県別 | 令制国別 | 季節限定城娘 | 特定カテゴリ |
赤数字は無印での最大レベルかつ絆100%時の値です。★1=Lv90、★2=Lv95、★3=Lv100、★4=Lv105、★5=Lv110、★6=Lv115、★7=Lv120
#style(class=submenu){{ }} #table_edit2(td_edit=edit,tr_edit=edit,table_mod=open,calc=1,form=text=|text=|select=_1_2_3_4_5_6_7_8|select=_3_4_5|select=_1_2_3_4_5_6_7_8_9_10_11_12_13_14_15_16_17_18_19_20|select=_34-5_45-5_57-5_42-6_55-6_70-6_48-7_63-7_80-7_56-8_73-8_93-8_63-9_82-9_104-9_71-10_93-10_118-10_76-11_100-11_127-11_84-12_110-12_140-12_91-13_119-13_151-13_98-14_128-14_163-14_105-15_138-15_175-15_113-16_148-16_188-16,){{
}}
長篠城/ステータス※絆100%ボーナス込みの数値です。項目の「突破」はそのレベルに到達するのに必要な限界突破の回数を表しています。
ゲーム上の性能・評価
ノクバばかりに気を取られがちだが、ガトリング装備でも単純に攻撃功率が増すため、実は好相性である。
鉄砲隊は配置数制限こそ無いが、このコストの重さがネックになってくる。 本体を含めて総じてコスト食いなことは欠点なので、簡単に破壊されてはもったいない。 雑賀衆よりマシだがこちらも脆い方なので、壊されてもいいやと甘く見ていると痛い目を見ることも。 2022年8月の調整でウェーブを跨げる(消えない)ようになり、ハメ殺しのための複数配置も狙いやすくなった。 伏兵[未改築]の性能表(クリックで表示)
伏兵[改壱]の性能表(クリックで表示)
キャラクターボイスCV担当:阿澄佳奈
画像イラストレーター:sho
改壱
現実の城情報土岐氏の流れをくむ、田峯家を惣領とする菅沼氏の一族・長篠菅沼氏の居城で、長篠の戦いの舞台のとしても知られる城。 続きをクリックで表示 長篠菅沼氏は初め今川氏に属していたが、桶狭間の戦いで今川義元が討死すると徳川家康に従うようになった。 同年、武田勝頼が三河に侵攻し長篠城を包囲したが、貞昌以下500人の城兵は1万を超える武田軍の攻撃を耐え抜いた。 アメリカ合衆国のアラモの戦い(アラモ砦の戦い)との共通点も指摘されるこの籠城戦で城兵は兵糧が尽きても堀のタニシを食べることで飢えをしのいだと言い、これが由来となって、のちに奥平氏が居城とした中津城の奥平神社では毎年5月に「中津城たにし祭り」を開催している。 アメリカ合衆国のアラモの戦い(アラモ砦の戦い)との共通点も指摘されるこの籠城戦で城兵は兵糧が尽きても堀のタニシを食べることで飢えをしのいだと言い、これが由来となって、のちに奥平氏が居城とした中津城の奥平神社では毎年5月に「中津城たにし祭り」を開催している。 長篠城の奮闘もあって織田・徳川連合軍*3は戦局を優位に進め、設楽原で武田軍に大勝した。 この長篠の戦いは騎馬隊と鉄砲隊の戦いという点でオスマン帝国がサファヴィー朝に大勝したチャルディラーンの戦いと類似性があると、永田雄三・羽田正『世界の歴史15 成熟のイスラーム社会』では指摘されているが、兵力差の違い*4やチャルディラーンの戦いでは大砲も用いられていたことなどを理由に疑問視する声もある。 いずれにせよ貞昌はその功を認められ、織田信長から「信」の一字を与えられて信昌と改名したとされ、引き続きこの地を治めた。 長篠城は武田軍の攻撃による損傷が激しかったため、信昌は新たに新城城を築いて居城を移し、長篠城は廃城となった。 長篠城は武田軍の攻撃による損傷が激しかったため、信昌は新たに新城城を築いて居城を移し、長篠城は廃城となった。
長篠合戦(クリックで表示) 長篠合戦長篠合戦は徳川・織田連合軍が鉄砲隊の一斉射撃で武田の騎馬隊を大敗させた戦いとして知られる。
また、『長篠合戦と武田勝頼』の続編である『検証長篠合戦』で、平山優氏は長篠古戦場で発見された鉄炮玉の大きさは実に様々であり、「「諸手抜」の鉄炮、すなわち信長の家臣が個々に所持していたものを寄せ集めた事情を反映しているのではなかろうか」としている。 さらに「長篠合戦は、単に馬防柵と多数の鉄炮が投入されただけでなく、織田・徳川軍は、陣城を構築して武田軍に備えており、これが勝利の大きな要因だったと指摘されている」というが、これに対して平山優氏は「織田軍は、敵に向けて柵・逆茂木などを重ねて敷設することを「逆要害」と呼称していた。こうした重層的な防御施設の構築を、武田勝頼は「陣城」と認識して書状に書き、また武田方の将兵が「さながら城攻めのようだった」と述懐したのではないか」としている。 いずれにせよ、長篠合戦には未だ多くの謎が残っているが、通説とされてきた説の多くは史料の誤読や誤解によるものであることが平山優氏により指摘されており、今後の研究が待たれる。 なお一般には武田氏滅亡の原因は天正3年(1575年)の長篠の戦いでの大敗とされているが、平山優氏の『武田氏滅亡』(2017年)では、信長が勝頼の討滅を決意したのは天正9年(1581年)の高天神城陥落以降のことであったと指摘している。 コメント |
Published by (C)DMMゲームズ
最新の10件を表示しています。 コメントページを参照 画像を非表示