魚津城 のバックアップの現在との差分(No.1)
城娘ステータス: 全城娘一覧(刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | その他 || 平属性 | 平山属性 | 山属性 | 水属性 | 地獄属性 | 無属性)初期ステータス 装備品: 刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | その他 || 施設 || 消耗品 | 城娘: 特技(攻撃系 / 防御系 / 弱体化他) | 所持特技 | 編成特技 | 大破特技 | 特殊攻撃 | 特殊能力 | 武器切替 | 計略(伏兵以外 / 伏兵) | 都道府県別 | 令制国別 | 季節限定城娘 | 特定カテゴリ |
赤数字は無印での最大レベルかつ絆100%時の値です。★1=Lv90、★2=Lv95、★3=Lv100、★4=Lv105、★5=Lv110、★6=Lv115、★7=Lv120
魚津城/ステータス※絆100%ボーナス込みの数値です。項目の「突破」はそのレベルに到達するのに必要な限界突破の回数を表しています。
ゲーム上の性能・評価
キャラクターボイスCV担当:藤田茜
画像イラストレーター:
改壱
城娘の元ネタ情報【デザイン】 【特技・計略】 魚津在城十三将・名刻の木札(クリックで表示) 天正10年(1582年)6月3日魚津城に在城していた上杉勢13将は落城寸前、耳に糸や針金で自らの名前を記した木札を付け自刃した。 中条景泰・竹俣慶綱・吉江信景・寺嶋長資・蓼沼泰重・藤丸勝俊・亀田長乗・若林家吉・石口広宗・安部政吉・吉江宗信・山本寺景長・吉江景資? 大きな謎の1つに吉江景資がある。吉江宗信-吉江景資-寺嶋長資・中条景泰の親子3代だが景資だけ落城前に出した書状の中に名前が無く、先に上杉景勝が出した書状にも「吉江織部父子三人」と1人抜け落ちている。宗信・景資は同一人物説もあり、実は十二将ではないか?という説もある。 【セリフ】 御城の跡は、学び舎になってますぅ(クリックで表示) 魚津城本丸跡は現在、公立幼稚園の敷地になっている。 現実の城情報上杉景勝の部将13名が壮絶な籠城戦を行ったことで知られる、上杉氏の越中支配の重要拠点となった城。西側を北陸街道の浜街道が通り、天然の堀の役割も果たしていた角川の河口には魚津港があった水陸の要衝だった。 建武2年(1335年)に椎名頼胤によって、椎名氏の本城である松倉城の支城として築かれたとされる。冷泉為広の『越後下向記』には延徳3年(1491年)に椎名氏の「椎名館」に宿泊したと記されており、この椎名館が魚津城の前身で戦国時代になって城郭として整備されたとも考えられている。 椎名氏は越中新川郡守護代としてこの地を治めたが次第に神保氏に押され、椎名康胤は上杉謙信と結んで神保氏に対抗した。しかし康胤は武田信玄に通じたため、魚津城は松倉城とともに謙信に攻撃され落城、上杉氏の支配下に置かれた。 謙信は魚津城に河田長親を城代として入れ、軍事拠点としての松倉城、越中と越後の中継拠点としての越中宮崎城とともに、越中統治の最重要拠点として魚津城を用いた。 上杉景勝の部将13名が壮絶な籠城戦を行ったことで知られる、上杉氏の越中支配の重要拠点となった城。 建武2年(1335年)に椎名頼胤によって、椎名氏の本城である松倉城の支城として築かれたとされる。 椎名氏は越中新川郡守護代としてこの地を治めたが次第に神保氏に押され、椎名康胤は上杉謙信と結んで神保氏に対抗した。 しかし康胤は武田信玄に通じたため、魚津城は松倉城とともに謙信に攻撃され落城、上杉氏の支配下に置かれた。 謙信は魚津城に河田長親を城代として入れ、越中支配の拠点とした。 続きをクリックで表示 謙信の死後上杉氏が弱体化したことで織田信長による北陸への進出が本格化し、魚津城は越後を守る最前線となった。 謙信の死後上杉氏が弱体化したことで織田信長による北陸への進出が本格化し、柴田勝家を主将とする北陸方面軍は越中西部の拠点である増山城を落とし、魚津城は越後を守る最前線となった。 魚津城では中条景泰をはじめとする13人の部将が決死の籠城戦を展開したが、織田の大軍に包囲されて窮地に陥り、再三に渡って上杉景勝に救援を要請した。 景勝は一時は魚津城の背後の天神山城まで出陣するものの、海津城の森長可や厩橋城の滝川一益など織田方が越後侵入の姿勢を見せ、また新発田城の新発田重家の反乱もあって居城である春日山城を留守にはできず、撤退した。 後詰が見込めなくなった魚津城だが最後まで降伏せず抗戦し、13名の部将全員が切腹して落城した。 落城の直後に本能寺の変の知らせを受けた織田軍は撤退し、魚津城は上杉氏が奪還したが、すぐに佐々成政に攻略された。 廃城後も魚津城跡には武器庫や米倉が置かれた備蓄基地となり、江戸時代の絵図には方形の本丸の北・東・南を二の丸が囲んで二重の水堀が巡らされ、海に面する西は海岸線に沿って柵が築かれ二重櫓が配された姿が描かれおり、加賀藩の重要拠点だったことがうかがえる。 廃城後も魚津城跡には武器庫や米倉が置かれた備蓄基地となり、江戸時代の絵図には方形の本丸の北・東・南を二の丸が囲んで二重の水堀が巡らされ、海に面する西は海岸線に沿って柵が築かれ二重櫓が配された姿が描かれており、加賀藩の重要拠点だったことがうかがえる。
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