Top > 越中宮崎城

越中宮崎城
HTML ConvertTime 0.066 sec.

現実の城情報 Edit

上杉氏による越中支配における最重要拠点である魚津城、軍事拠点である松倉城とともに、越中と越後を中継する役割を担った上杉氏の重要拠点。
越中と越後の国境付近、北アルプスの北端に位置し、城の北麓には北国街道が通る交通の要衝で、日本海を航行する船舶の監視も可能であり、上杉氏が陸運・水運を掌握する上で重視された。
江戸時代に加賀・越中・能登三国の地理歴史を著した『三州志』の「故墟考」では、平安時代末期に源義仲に従った宮崎太郎長康の居城としているが詳細は不明であり、16世紀後半の上杉謙信による越中侵攻の際に中継地点として重視された。謙信は越中宮崎城の城将である庄田隼人佑と河隅忠清に対し、実城・二の郭・三の郭に塀を設けるよう指示した文書を出している。
上杉景勝の代になっても越中宮崎城は引き続き重要視され、上杉氏の直轄領とされた。この上杉氏時代、特に景勝の時代に越中宮崎城は大きく改修され、上杉氏の城郭に特徴的な畝状空堀群も設けられ、魚津城・松倉城とともに三城で越中を支配する体制が整えられた。


所在地富山県下新川郡朝日町
現存状態土塁、堀、石垣など
城郭構造山城

コメント Edit

コメントはありません。 Comments/越中宮崎城? 

お名前:

  URL B I U SIZE Black Maroon Green Olive Navy Purple Teal Gray Silver Red Lime Yellow Blue Fuchsia Aqua White


ホーム リロード   新規 下位ページ作成 コピー 編集 添付 一覧 最終更新 差分 バックアップ 検索   凍結 名前変更     最終更新のRSS