コンシェルジュリー のバックアップの現在との差分(No.2)
城娘ステータス: 全城娘一覧(刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | その他 || 平属性 | 平山属性 | 山属性 | 水属性 | 地獄属性 | 無属性)初期ステータス 装備品: 刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | その他 || 施設 || 消耗品 | 城娘: 特技(攻撃系 / 防御系 / 弱体化他) | 所持特技 | 編成特技 | 大破特技 | 特殊攻撃 | 特殊能力 | 武器切替 | 計略(伏兵以外 / 伏兵) | 都道府県別 | 令制国別 | 季節限定城娘 | 特定カテゴリ |
赤数字は無印での最大レベルかつ絆100%時の値です。★1=Lv90、★2=Lv95、★3=Lv100、★4=Lv105、★5=Lv110、★6=Lv115、★7=Lv120
コンシェルジュリー/ステータス※絆100%ボーナス込みの数値です。項目の「突破」はそのレベルに到達するのに必要な限界突破の回数を表しています。
ゲーム上の性能・評価
超高難度の復刻武神降臨!毛利元就に合わせて実装された、(改築を除き)水属性を持つ初の★7刀城娘。 武神など強敵対策に特化した、尖った性能を持つ。難易度によっては能力を持て余すこともしばしば。 場を支え戦況を問わない江戸城とは好対照をなし、強烈な個性となっている。
キャラクターボイスCV担当:佐倉綾音 CV担当:佐倉綾音
画像イラストレーター: イラストレーター:necömi
改壱
城娘の元ネタ情報【デザイン】 【特技・計略】 シテの時計台(クリックで表示) コンシェルジュリーの北東の角、シャンジュ橋に面して建つ塔。1350年建造で高さは47m。 ヴァロワ朝第2代“善良王”ジャン2世によって建てられた。後に2階部分の壁面に時計が設置されて時計塔と呼ばれた。 1370年に設置されたこの時計は、フランスで初めての公共時計だったと言われている。 16世紀アンリ3世の時代に作り直されたが、革命時代に焼け落ちてしまった。 現在も同じ場所にある時計は1852年に復刻され、1909年に改修されたものである。 2011年から2012年にかけて再び修復工事が行われた。この工事は国立図書館に収蔵されていた最も古い年代の記録の最新の研究結果に基づいたものである。 【セリフ】 かくいう私も人のことは言えませんが / わら族(クリックで表示) コンシェルジュリーに限らず、中近世の牢獄では投獄された人間の支払いによって扱われ方が変わるのが当然のことだった。 貴族や金持ち・著名人は家具付きの個室に入り、家族とも面会が出来た。読書や著述をすることもできた。 中流層の囚人はベッド付きの雑居房に入った。そして全く金が払えない貧民はベッドもなければ衛生も悪い雑居房に詰め込まれた。 この最下層の扱いを受ける囚人を「わら族」(パイユー)と呼んだ。寝床がなく藁(パイユ:Paille)を敷いた部屋に収監されたからである。 現実の城情報コンシェルジュリーはパリ中心部を流れるセーヌ川の中州・シテ島に建つかつての牢獄で、フランス最古の王宮。シテ宮とも。 「コンシェルジュリー」とは王宮が移転した後に維持管理を担当した「コンシェルジュ」から来ており、『コンシェルジュが管理している建物』から転じて呼ばれるようになった。 現在は裁判所など司法機関の集まる「パレ・ド・ジュスティス」(司法宮)にあり世界遺産「セーヌ川河岸地区」を構成している。 フランス革命時代に革命裁判所が置かれた場所であり、王妃マリー・アントワネットが投獄されていたことで知られている。 続きをクリックで表示 シテ島にはローマ時代以前から人間が集住していた。先住民パリシイ族*3を征服したローマはシテ島に城壁を持つ駐屯地要塞(ローマン・フォート)を築いた。 その後、メロヴィング朝フランク王国時代の6世紀にローマン・フォートの跡地に城砦兼王宮が作られた。これがシテ宮である。 10世紀末~11世紀初めのカペー朝2代国王ロベール2世の時代以降、シテ宮は王宮・宮廷として機能が強化されていった。 謁見の広間や議事堂、王のための教会堂が追加され、城壁も強化された。公文書館、裁判所といった公的機関が集められた。 “聖王”ルイ9世の時代に王宮の中に聖遺物を収める礼拝堂を建設した。現在のサント・シャペルである。 その後14世紀初めにかけて宮殿の敷地が拡げられ、建物や機能が追加されていった。城壁は市壁が整備されたこともあり次第に取り壊された。 百年戦争中の1358年、シャルル5世(当時は王太子)と対立したパリ市長エティエンヌ・マルセルが私兵を率いてシテ宮を襲った。 この事件は程なく鎮圧されるが、王太子はシテ宮の防御に不安を抱き、ルーヴル宮殿やヴァンセンヌ城に王宮を移転した。 シテ宮の広間部分は公的な式典や外国の要人の歓待に用いられ、旧王宮部分は裁判所や監獄として使われるようになる。 高等法院や会計検査院など司法機関が集められ、シテ宮はいつしか「コンシェルジュリー」とよばれるようになった。 フランス革命期の1793年から1795年までの2年間、コンシェルジュリーには反革命活動を裁く革命裁判所が置かれた。 革命裁判所で死刑判決を受けて処刑されたのは2700人以上に上り、マリー・アントワネットなど王族貴族も含まれる。 牢獄に入ると必ず死刑になると言われ、「死の牢獄」と呼ばれるようになった。しかし実際には死刑以外の刑も存在した。 革命以前からの複数の火災や革命以降の度重なる騒乱で損傷した部分の修復や一部建て直し工事が19世紀以降行われた。 牢獄としてのコンシェルジュリーは革命後も使われていたが、1914年に廃止され、一般に公開されるようになった。 しかし現在でも、隣接する裁判所で裁判を受けたり手続きを行う被告人が一時収容される施設として一部は使われている。 パレ・ド・ジュスティスは古いうえに手狭であると長年にわたって指摘されており、機能の一部移転計画が進められた。
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