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掛川城 のバックアップ(No.9)
城娘ステータス: 全城娘一覧(刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | 茶器 | その他 || 平属性 | 平山属性 | 山属性 | 水属性 | 地獄属性 | 無属性)初期ステータス 装備品: 刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | 茶器 | その他 || 施設 || 消耗品 | 城娘: 特技(攻撃系 / 防御系 / 弱体化他) | 所持特技 | 編成特技 | 大破特技 | 特殊攻撃 | 特殊能力 | 武器切替 | 計略(伏兵以外 / 伏兵) | 都道府県別 | 令制国別 | 季節限定城娘 | 特定カテゴリ |
赤数字は無印での最大レベルかつ絆100%時の値です。★1=Lv90、★2=Lv95、★3=Lv100、★4=Lv105、★5=Lv110、★6=Lv115、★7=Lv120
掛川城/ステータス
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| 初期配置 | 巨大化 | |||||||||||||
| 突破 | Lv | 耐久 | 攻撃 | 防御 | 範囲 | 回復 | Lv | 耐久 | 攻撃 | 防御 | 範囲 | 回復 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 無 印 ★ 6 | 0 | 50 | 2253 | 227 | 154 | 260 | 20 | 50 | 4506 | 408 | 308 | 468 | 30 | |
| 0 | 55 | 2097 | 213 | 146 | 250 | 21 | 55 | 4194 | 383 | 277 | 437 | 21 | ||
| 0 | 60 | 60 | ||||||||||||
| 0 | 65 | 65 | ||||||||||||
| 0 | 70 | 70 | ||||||||||||
| 0 | 75 | 75 | ||||||||||||
| 1 | 80 | 80 | ||||||||||||
| 1 | 85 | 85 | ||||||||||||
| 2 | 90 | 90 | ||||||||||||
| 2 | 95 | 95 | ||||||||||||
| 3 | 100 | 100 | ||||||||||||
| 3 | 105 | 105 | ||||||||||||
| 4 | 110 | 110 | ||||||||||||
| 4 | 115 | 115 | ||||||||||||
| ▼ | クリックで地形ボーナス込みのステータスを表示 |
地形ボーナス込みステータス
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| 初期配置 | 巨大化 | |||||||||||||
| 突破 | Lv | 耐久 | 攻撃 | 防御 | 範囲 | 回復 | Lv | 耐久 | 攻撃 | 防御 | 範囲 | 回復 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 改 壱 ★ 7 | 0 | 50 | 3626 | 292 | 220 | 280 | 20 | 50 | 7614 | 554 | 462 | 504 | 32 | |
| 0 | 55 | 3745 | 307 | 232 | 280 | 21 | 55 | 7864 | 583 | 487 | 504 | 33 | ||
| 0 | 60 | 2742 | 283 | 192 | 260 | 22 | 60 | 5484 | 509 | 384 | 468 | 33 | ||
| 0 | 65 | 2809 | 296 | 201 | 260 | 23 | 65 | 5618 | 532 | 402 | 468 | 34 | ||
| 0 | 70 | 2876 | 309 | 211 | 260 | 24 | 70 | 5752 | 556 | 422 | 468 | 36 | ||
| 0 | 75 | 2942 | 322 | 220 | 260 | 25 | 75 | 5884 | 579 | 440 | 468 | 37 | ||
| 0 | 80 | 80 | ||||||||||||
| 1 | 85 | 85 | ||||||||||||
| 1 | 90 | 90 | ||||||||||||
| 2 | 95 | 95 | ||||||||||||
| 2 | 100 | 100 | ||||||||||||
| 3 | 105 | 105 | ||||||||||||
| 3 | 110 | 110 | ||||||||||||
| 4 | 115 | 115 | ||||||||||||
| 4 | 120 | 120 | ||||||||||||
| ▼ | クリックで地形ボーナス込みのステータスを表示 |
地形ボーナス込みステータス
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CV担当:ささきのぞみ
| ▼ | ←クリックすると台詞一覧が表示されます。 |
※計略のない城娘の計略発動ボイスなど、通常流れないボイスはゲーム内の図鑑で聞くことができます。
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イラストレーター:神無
| ▼ | ←クリックすると御嬢、城娘画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。 |
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| ▼ | ←クリックすると御嬢、城娘画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。 |
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【デザイン】
【特技・計略】
【セリフ】
見性院様のような良妻賢母となるため(クリックで表示)
天正18年から10年間掛川城主を務めた山内一豊の正室・見性院は夫に名馬を買わせるために嫁入りの持参金ないしへそくりを差し出したなどの「内助の功」に関する逸話で知られ、良妻賢母の見本とされた。
東海道を押さえる要衝に築かれた遠江を代表する城で、その壮麗さから「東海の名城」と謳われた城。
文明年間(1469~1487年)に駿河守護の今川義忠が重臣の朝比奈泰煕に命じて子角山に築かせたとされる掛川古城が始まりで、その後今川氏が遠江で勢力を拡大したのに伴って、現在の地に新城が移された。
掛川城は東遠江の中心に位置し、東・南・北を低丘陵に囲まれた盆地にある標高56メートルの龍頭山に築かれ、城下には東海道と秋葉街道(遠江から信濃へ塩を送る運搬路だったため、塩の道と通称される)が交差する交通の要衝であり、今川氏による東遠江の支配拠点として機能した。
今川氏時代は泰煕の子・泰能、その子・泰朝と、今川氏に重臣として仕えた朝比奈氏が代々城代を務め、永禄11年(1568年)に武田信玄が甲相駿三国同盟を破って駿河に侵攻した際には、当時の城主・泰朝は今川館から逃れた今川氏真を迎え入れ、信玄に呼応して遠江に侵攻した徳川家康に抵抗している。
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この家康による攻撃の際、掛川城内の井戸から立ち込めた霧が城を覆い隠し、徳川軍の攻撃を阻んだといわれ、そのことから掛川城は「雲霧城」の異名もあり、霧吹井戸は天守台の脇に現存している。
今川方の多くの武将が氏真から離反していくなか、泰朝は最後まで氏真に忠義を尽くして掛川城を死守し、半年間に渡る籠城戦を展開したが、信玄が家康との約定を破って遠江にまで圧力をかけてきたため家康は氏真との和睦を図り、氏真はこれを受け入れて掛川城を開城し家康に引き渡した。
氏真は正室・早川殿の父である北条氏康を頼り、籠城衆とともに北条氏に引き取られ蒲原城に入った。
その後駿府は氏真の家臣・岡部正綱によって一時的に奪還され、氏真は氏政の嫡男・国王丸(のちの北条氏直)に今川氏の名跡と駿河の支配権を譲り駿河の奪還を要請するが、最終的に駿河は信玄が駿府の再占領を果たし、今川家臣が信玄に降ったことで武田氏が支配し、氏真は小田原城に移り住むことになる。
氏真はついに駿河に領主として復帰することが叶わず、このことから掛川城を開城した時点で戦国大名としての今川氏は滅亡したとされる。
一方掛川城を手に入れた家康は石川家成・康通父子を城代として武田氏に対する備えとし、武田方の諏訪原城と対峙した。
天正18年(1590年)の小田原征伐後に家康が関東に移されると、掛川城には豊臣秀吉の直臣である山内一豊が入った。
一豊は掛川城の大改修を行い近世城郭とするとともに、城下も整備して近世城下町の基礎も築かれた。
朝比奈氏・石川氏時代と山内氏時代の縄張の違いは明らかでばないが、本丸・二の丸・三の丸などの主要部は中世期の縄張が踏襲され、城の南を流れる逆川を取り込んだ外堀とその内側に築かれた松尾丸や、天守丸に築かれた三重天守は山内氏時代から江戸時代にかけて新たに築かれた。
最大の防衛線である内堀(松尾池)・三日月堀・十露盤堀に囲まれた本丸虎口は石川氏時代に原型が造られ、山内氏時代に石垣が加えられて枡形虎口として完成された。
関ヶ原の戦いの際、一豊は俗に言う「小山評定」にて掛川城を家康に提供すると申し出たという逸話があるように東軍の勝利に貢献し、その功もあって土佐一国を与えられた。
ただし近年では一次史料をもとに関ヶ原の戦いの新解釈を進める白峰旬氏により、上記の逸話はやはり後世の編纂物でしか確認できないことが論証され、諸将が集結する大規模な会議であったとされるにもかかわらず、当時の史料で小山評定について記したものはないため、小山評定の実在そのものが疑われている。
したがって一豊が掛川城を提供したのがどの時点のことであるかは不明だが、少なくとも一豊が東海道筋の諸城が東軍にわたるよう動いていたのは確かであり、その功績が認められての加増だった。
掛川城には新たに松平定勝が入って掛川藩を立藩し、その後は延享3年(1746年)に太田資俊が入るまで譜代大名が頻繁に藩主を交代した。
太田氏の時代に藩政は安定し明治維新を迎えることになるが、安政元年(1854年)の安政東海地震で天守をはじめ主要建築物の多くが倒壊した。
このうち二の丸御殿は翌年から文久元年(1861年)にかけて再建されたが、天守は再建されないまま廃城となった。
廃城後には多くの建築物が取り壊されたが、二の丸御殿は移築を経て維持され、国内では他に高知城(本丸御殿)・川越城(本丸御殿)・二条城(二の丸御殿)の4つしかない現存する貴重な御殿建築として昭和55年(1980年)に国の重要文化財に指定された。
他には油山寺に移築され現存する大手ニの門も昭和29年(1954年)に国の重要文化財に指定されており、城内の別の場所に移築された太鼓櫓と大手門番所、円満寺に移築された蕗(富貴)門、龍雲寺に移築された旧所在地不明の門も現存している。
また天守は平成6年(1994年)に再建され、掛川市はこれを日本初の木造復元天守と主張しているが、明治43年(1910年)の岐阜城木造天守を復興天守、昭和8年(1933年)の郡上八幡城木造天守を模擬天守、平成3年(1991年)の白河小峰城木造天守を「御三階櫓」の復元とするならばという前提のうえでのものである。
加えて、再建された天守は絵図などで確認できる倒壊前の天守ではなく、資料には残っていない一豊時代の天守を、同じく一豊が城主だった高知城の天守を参考にして建てられたものであり、復興天守とされることもある。
| 所在地 | 静岡県掛川市掛川 |
| 現存状態 | 二の丸御殿、移築櫓、移築門、移築番所、石垣、堀、土塁など |
| 城郭構造 | 平山城 |
Published by (C)DMMゲームズ
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