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真田丸 のバックアップ(No.6)
城娘ステータス: 全城娘一覧(刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | 茶器 | その他 || 平属性 | 平山属性 | 山属性 | 水属性 | 地獄属性 | 無属性)初期ステータス 装備品: 刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | 茶器 | その他 || 施設 || 消耗品 | 城娘: 特技(攻撃系 / 防御系 / 弱体化他) | 所持特技 | 編成特技 | 大破特技 | 特殊攻撃 | 特殊能力 | 武器切替 | 計略(伏兵以外 / 伏兵) | 都道府県別 | 令制国別 | 季節限定城娘 | 特定カテゴリ |
赤数字は無印での最大レベルかつ絆100%時の値です。★1=Lv90、★2=Lv95、★3=Lv100、★4=Lv105、★5=Lv110、★6=Lv115、★7=Lv120
真田丸/ステータス
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| 初期配置 | 巨大化 | ||||||||||||||
| 突破 | Lv | 耐久 | 攻撃 | 防御 | 範囲 | 回復 | Lv | 耐久 | 攻撃 | 防御 | 範囲 | 回復 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 改 壱 ★ 5 | 0 | 50 | 2029 | 150 | 144 | 200 | 20 | 50 | 3652 | 246 | 259 | 328 | 28 | ||
| 0 | 55 | 1906 | 145 | 138 | 200 | 21 | 55 | 3430 | 237 | 215 | 328 | 21 | |||
| 0 | 60 | 1953 | 151 | 146 | 200 | 22 | 60 | 3515 | 247 | 227 | 328 | 22 | |||
| 0 | 65 | 2000 | 160 | 154 | 200 | 23 | 65 | 3600 | 262 | 240 | 328 | 23 | |||
| 0 | 70 | 2047 | 168 | 161 | 200 | 24 | 70 | 3684 | 275 | 251 | 328 | 24 | |||
| 1 | 75 | 2094 | 176 | 167 | 200 | 25 | 75 | 3769 | 288 | 260 | 328 | 25 | |||
| 1 | 80 | 2140 | 183 | 174 | 200 | 26 | 80 | 3852 | 300 | 271 | 328 | 26 | |||
| 2 | 85 | 2187 | 191 | 182 | 200 | 27 | 85 | 3936 | 313 | 283 | 328 | 27 | |||
| 2 | 90 | 2235 | 198 | 189 | 200 | 28 | 90 | 4023 | 324 | 294 | 328 | 28 | |||
| 3 | 95 | 2281 | 205 | 196 | 200 | 29 | 95 | 4105 | 336 | 305 | 328 | 29 | |||
| 3 | 100 | 2328 | 213 | 204 | 200 | 30 | 100 | 4190 | 349 | 318 | 328 | 30 | |||
| 4 | 105 | 2376 | 221 | 212 | 200 | 31 | 105 | 4276 | 362 | 330 | 328 | 31 | |||
| 4 | 110 | 2422 | 227 | 217 | 200 | 32 | 110 | 4359 | 372 | 338 | 328 | 32 | |||
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地形ボーナス込みステータス
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CV担当:近藤玲奈
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イラストレーター:九十九
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日本一の兵(ひのもといちのつわもの)と評された真田信繁(俗に幸村)によって、豊臣方対徳川方である大坂冬の陣の際に大坂城平野口の南に築かれた出城。
真田家を乗せた船という意味で、平成28年(2016年)の大河ドラマのタイトルにもなった。
通説では防御が手薄な部分を守るために築かれたとされてきたが、近年では千田嘉博氏により「大坂城の最弱部は真田丸の西のあたりであり、真田丸に敵の注意を引きつけ、大坂城の真の弱点を見逃しやすくした」と指摘されている。
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本体は大きな丸馬出、あるいは矩形に近い五角形の形状で、背後に小さな曲輪が配置された二重構造、塀は二段構造で上下から鉄砲が撃てたと思われる。
旧説では大坂城との行き来が可能な砦と見られていたが、堀で遮断され完全に独立した出城だったと見られている。
真田丸の当初の呼び名は不明だが、大坂夏の陣の頃には徳川方に名付けられており、埋め立てられてなお「真田丸を通って大坂城に侵入した」といった記述が確認できる。
真田山公園および真田山町という地名が存在するが、これらは明確な根拠があって名付けられたものではなく、また三光神社には「真田の抜け穴」と呼ばれる跡が残っているが、こちらは徳川方による坑道か塹壕と思われる。
実際には現地をレーダー探査したことで大阪明星学園が跡地であるとほぼ特定され、平成28年(2016年)に顕彰碑が建てられた。
平成28年(2016年)7月12日に松江歴史館が「新たに真田丸の絵図が発見された」と発表した絵図は、これまで最も詳しいとされてきた『諸国古城之図「摂津真田丸」』よりも古いものであるとみられる。
それによれば南側に「惣構堀」があったとされ、北側の小さな曲輪には「出丸」があったという。
さらに東側には側面を防御する「腰曲輪」があったことから、千田嘉博氏は真田丸が独立性の高い出城だったとの見解を深めている。
平成28年(2016年)12月9日、初めての学術的な発掘調査により堀跡が発見されたと発表され、それによると南側の堀の長さが従来の説より50メートルほど長い300メートルほどのものであったといい、大規模な堀を備えた矩形の出城だった可能性が強まった。
| 所在地 | 大阪府 |
| 現存状態 | なし |
| 城郭構造 | 平城 |
真田丸の戦い(クリックで表示)
方広寺鐘銘事件をきっかけに徳川家との関係が悪化した豊臣家の要請により大坂城に入城した真田信繁(俗に幸村)によって真田丸が築かれた。
軍記物では、後藤又兵衛基次(正親とも)も信繁と同様に出城を築こうとしたが、信繁の兄・信幸(のちの信之)が徳川方であったこともあり内通を疑われていたために信繁に武功を立てる機会を譲ったという。
だが、そもそも豊臣方は木津川口砦など真田丸以外にも砦を築いており、当初からの計画を信繁を受け持ったというのが実情であると思われる。
慶長19年12月4日(1615年1月3日)、前田利常勢の先鋒であった本多政重、山崎長徳らは篠山より真田勢の妨害を受け、篠山を奪取しようと攻め上がったが、既にもぬけの殻で真田勢に挑発された。
その挑発に乗って、利常の命令を待たずに真田丸に攻めかかったところ、銃撃を浴びせかけられた。
しかも、石川数正の次男で豊臣方の康勝の陣所で失火による爆発事故が起こり、これを徳川方に内通していた南条元忠の裏切りの合図と勘違いした井伊直孝、松平忠直勢はさらに激しく攻めかけ、竹束や鉄楯を持たなかったために甚大な損害を被った。(実際は既に元忠の内通は豊臣方に露見し切腹させられていた)
一説には、大坂冬の陣での徳川方の死者のうち8割が真田丸の戦いで戦死したとされるほどの戦果であり、宣教師をして「まるで鉛の涙を見るくらい信じられない」「大虐殺」と言わしめた。
又兵衛の近習・長沢九郎兵衛によると真田丸は「真田と長宗我部(盛親)で半分ずつ受け持っていた」という。その後、和睦により、大坂城の二の丸、三の丸とともに埋め立てられた。
日本一の兵・真田信繁(クリックで表示)
『難波戦記』では真田幸村とされる真田信繁の生涯は詳らかではないが、慶長19年(1614年)から慶長20年(1615年)にかけた大坂の陣の活躍により、『薩摩旧記雑録』では「真田日本一の兵」と評された。
なお『難波戦記』については誤解されがちだが、江戸幕府の阿部忠秋、二階堂行憲が共同で執筆・編纂した史料であり、軍記物ではあっても講談用に書かれたものではない。
以下、信繁の生涯について判明している範囲で説明する。
当初、信繁は昌幸の次男として滝川一益、木曾義昌、上杉景勝の人質となったが、第一次上田合戦で徳川軍と戦ったのち、昌幸が羽柴秀吉(豊臣秀吉)に服属するとその馬廻として1万9000石の知行を有した。
秀吉の死後、石田三成と徳川家康の関係が悪化すると、犬伏の別れ(正しくは昌幸・信繁が在陣した天明宿に、犬伏宿に在陣した兄・信幸(のちの信之)が訪問したものと思われる)により、東軍に属した信幸と袂を分かち、昌幸とともに西軍に属した。
西軍の敗北後は、信幸と本多忠勝の取り成しにより昌幸とともに一命は取りとめ、九度山に移ることとなったが、生活は困窮を極めたらしく、真田家の家臣に対して金銀や焼酎を所望する様子が書状に残っている。
この頃、真田紐という紐を開発し生計を立てていたという俗説があるが、寄生虫のサナダムシはこれに形が似ていたため名付けられたといい、家康は晩年サナダムシによって具合を悪くしたと思い込み「真田は虫になっても苦しめる」と言ったという逸話まである。
昌幸の死後は、豊臣家の要請により大坂城に入城、冬の陣では真田丸を築き、前田利常の先鋒に大きな被害を与えたが、あくまで局地戦に過ぎず豊臣家は和睦の道を選んだ。
夏の陣では道明寺の戦いで後藤又兵衛基次(正親とも)を救援しようとし間に合わなかったが(俗に濃霧により出陣が遅れたという)、殿軍を務めて伊達政宗による追撃を阻止し、「関東勢百万と候え、男はひとりもなく候」と嘲笑したという。
その後は家康の本陣まで突入するほど活躍し、家康も自害を覚悟したというが押し返され、逃走したところ西尾宗次に討ち取られた。
通説では無抵抗で首を差し出したとされてきたが、近年の新史料により槍を交えて戦ったことが判明し、場所も安居神社ではなかったとされる。
なお、幸村の名乗りについて、文化6年(1809年)には徳川幕府からの問い合わせに対して松代藩は「大坂入城後に名乗った」と説明している。
しかし、実際は大坂入城後の書状でも信繁と名乗っており、水戸黄門として知られる徳川光圀も「幸村という名は誤り」と否定している。
【デザイン】
【セリフ】
六文銭(クリックで表示)
日本における仏葬の副葬品である「冥銭」の事で「六道銭」とも。
日本の家紋「銭紋」の一種で「六連銭」とも。特に真田氏のものを指して「真田銭」という事も。
こねつけ餠(クリックで表示)
信濃の国は、内陸にあり水はけが十分ではなく、米作りが盛んにおこなわれなかったため、米は貴重な食べ物だった。
そこで、食後余った米粒を水に戻して干し米にしたり、小麦粉を足して焼いたりして保存食としていた。
真田こねつけ餅は、余った米を水に浸して洗い小麦粉と混ぜ、それに卵や味噌を包んで小丸型に丸め、フライパンで両面を焼いて作る。
尼子十勇士(クリックで表示)
戦国大名尼子氏滅亡後、尼子氏の復興に勤めたとされる10人の勇士。
尼子晴久が部下4万人余りの中から選び出した、山中鹿之助(山中幸盛)を筆頭とする10人の勇力の優れた人物だとされる。
「尼子十勇十介」ともいわれる。
真田十勇士(クリックで表示)
あくまで伝承上の架空の人物であるが、講談で親しまれた真田幸村(真田信繁)に仕えたとされる10人の家臣からなるキャラクターである。
基本的な構成は、猿飛佐助、霧隠才蔵、三好清海入道、三好伊左入道、穴山小助、由利鎌之助、筧十蔵、海野六郎、根津甚八、望月六郎の10人となっているが、作品によって差異が見られる。
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