| 
	 
		唐津城  のバックアップ(No.29)
		
		 
		
 城娘ステータス: 全城娘一覧(刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | 茶器 | その他 || 平属性 | 平山属性 | 山属性 | 水属性 | 地獄属性 | 無属性)初期ステータス 装備品: 刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | 茶器 | その他 || 施設 || 消耗品 | 城娘: 特技(攻撃系 / 防御系 / 弱体化他) | 所持特技 | 編成特技 | 大破特技 | 特殊攻撃 | 特殊能力 | 武器切替 | 計略(伏兵以外 / 伏兵) | 都道府県別 | 令制国別 | 季節限定城娘 | 特定カテゴリ | 
 赤数字は無印での最大レベルかつ絆100%時の値です。★1=Lv90、★2=Lv95、★3=Lv100、★4=Lv105、★5=Lv110、★6=Lv115、★7=Lv120 
 
 唐津城/ステータス  
 | 
		
	|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 初期配置 | 巨大化 | ||||||||||||||
| 突破 | Lv | 耐久 | 攻撃 | 防御 | 範囲 | 回復 | Lv | 耐久 | 攻撃 | 防御 | 範囲 | 回復 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 無 印 ★ 3  | 0 | 50 | 2822 | 222 | 182 | 100 | 20 | 50 | 5079 | 364 | 327 | 164 | 28 | ||
| 0 | 55 | 2900 | 234 | 191 | 100 | 21 | 55 | 5220 | 383 | 343 | 164 | 29 | |||
| 0 | 60 | 2979 | 246 | 201 | 100 | 22 | 60 | 5362 | 403 | 361 | 164 | 30 | |||
| 1 | 65 | 65 | |||||||||||||
| 1 | 70 | 70 | |||||||||||||
| 2 | 75 | 75 | |||||||||||||
| 2 | 80 | 80 | |||||||||||||
| 3 | 85 | 85 | |||||||||||||
| 3 | 90 | 90 | |||||||||||||
| 4 | 95 | 95 | |||||||||||||
| 4 | 100 | 100 | |||||||||||||
| 初期配置 | 巨大化 | |||||||||||||
| 突破 | Lv | 耐久 | 攻撃 | 防御 | 範囲 | 回復 | Lv | 耐久 | 攻撃 | 防御 | 範囲 | 回復 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 改 壱 ★ 4  | 0 | 50 | 50 | |||||||||||
| 0 | 55 | 55 | ||||||||||||
| 0 | 60 | 60 | ||||||||||||
| 0 | 65 | 65 | ||||||||||||
| 1 | 70 | 70 | ||||||||||||
| 1 | 75 | 75 | ||||||||||||
| 2 | 80 | 80 | ||||||||||||
| 2 | 85 | 85 | ||||||||||||
| 3 | 90 | 90 | ||||||||||||
| 3 | 95 | 95 | ||||||||||||
| 4 | 100 | 100 | ||||||||||||
| 4 | 105 | 105 | ||||||||||||
| ▼ | クリックで地形ボーナス込みのステータスを表示 | 
 地形ボーナス込みステータス 
  | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
CV担当:大室佳奈
| ▼ | ←クリックすると台詞一覧が表示されます。 | 
 ※計略のない城娘の計略発動ボイスなど、通常流れないボイスはゲーム内の図鑑で聞くことができます。 
 
  | 
イラストレーター:たいちょ
| ▼ | ←クリックすると御嬢、城娘画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。 | 
  | 
| ▼ | ←クリックすると御嬢、城娘画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。 | 
  | 
【デザイン】
【特技・計略】
虹の松原(クリックで表示)
唐津藩の初代藩主・寺沢広高が新田開発の一環として唐津湾の海岸沿いに防風林・防砂林として植林した松原。
その区域の長さから藩政時代は「二里松原」と呼ばれていて、明治時代になってから虹の松原と呼ばれるようになった。
現在は国有林として佐賀森林管理署が管理を行っている。
三保の松原、気比の松原と共に日本三大松原の一つに数えられている。
ちなみに唐津銘菓の和菓子「まつばらおこし」の表面の黒糖は虹の松原の黒松の色、円柱形は松の幹を模したものとされている。
【セリフ】
ねこのきもち(クリックで表示)
千利休が所持していたとされる唐津焼の茶碗「ねのこ餅」のこと。源氏物語葵の巻に登場する「子の子餅」になぞらえて利休の弟子である細川三斎(忠興)が命名した。
愛猫家御用達の雑誌とは無関係(たぶん)。
唐津を含む肥前の陶磁器は文禄元年から慶長3年(1592年から1598年)に至る豊臣秀吉による朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際に朝鮮半島から同行してきた陶工たちによって開窯されたという説がかつては通説とされていた。
近年では窯跡の調査、堺など消費地での陶片の出土状況、天正19年(1591年)に没した千利休が所持していたねのこ餅の存在などから唐津焼の創始は朝鮮出兵より早い1580年代と考えられている。
けえらん(クリックで表示)
唐津銘菓の和菓子。
豊臣秀吉が朝鮮出兵のため浜崎(現佐賀県唐津市浜玉町)の諏訪神社に戦勝祈願した際に地元民が献上し、秀吉が「これを食べたならば、戦に勝つまで帰らん(けえらん)」と言ったことからこの名が付いたとも言われている。
日本三大松原の一つ、虹の松原が眼下に広がる景勝地の城で、鶴が翼を広げたように見えることから舞鶴城とも呼ばれる。
天正19年(1591年)に肥前名護屋城の普請奉行を務めた寺沢広高は、のちに肥前唐津を与えられて長崎奉行となり、関ヶ原の戦い後の慶長7年(1602年)に唐津城の築城を開始した。
築城の際には廃城となった名護屋城の資材を転用したとされ、普請に九州の諸大名が助力した名残として、柳川堀、佐賀堀、肥後堀、薩摩堀の名が残されている。
唐津湾に突き出た、西側で地続きとなる陸繋島の満島山に築かれ、東側は松浦川の流路を変更して唐津湾に流れ込むようにし、その先にはのちに「虹の松原」と呼ばれる防風林を植林し、これらに囲まれた内海が非常な良港となった。
続きをクリックで表示
本丸は満島山の山頂部に設けられ、満島山から陸地へと続く平地部分が二の丸で、二の丸と橋で接続された陸地部分に三の丸が広がり、その南側に外曲輪が設けられる連郭式の縄張だった。
慶長13年(1608年)に完成し、寺沢広高は初代唐津藩主としてこの地を治め、新田開発を行うなど城下の整備に務めた。
しかし広高は島原城の松倉重政・勝家と同じく領内でキリスト教徒を厳しく弾圧し、領民には重税を課した。
特に天草領は実態の約2倍にあたる4万石と算定されたことからその徴税は過酷で、広高の子・堅高の代に島原の乱(島原・天草一揆)が起こる一因となった。(島原・天草一揆の詳細については原城を参照)
一揆後に堅高は天草領を没収され、その約10年後の正保4年(1647年)に自殺したことで寺沢氏は断絶、唐津藩は一時天領となった。
慶安2年(1649年)に明石藩から大久保忠職が入って唐津藩は再興され、寺沢氏の悪政を正して藩政の安定に努めた。
忠職の養子・忠朝の代では百姓一揆を予防するために転村庄屋制度が定められ、庄屋が一定期間ごとに領内を転勤することで庄屋と農民の団結を弱めるこの制度は幕末まで存続した。
その後は大給松平氏3代、土井氏4代、水野氏4代、小笠原氏5代と頻繁に藩主家が交代し、小笠原長国の時代に明治維新を迎え廃城となった。
| 所在地 | 佐賀県唐津市東城内 | 
| 現存状態 | 石垣、堀など | 
| 城郭構造 | 連郭式平山城 | 
Published by (C)DMMゲームズ
最新の10件を表示しています。 コメントページを参照 画像を表示