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許昌城 のバックアップ(No.19)
城娘ステータス: 全城娘一覧(刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | 茶器 | その他 || 平属性 | 平山属性 | 山属性 | 水属性 | 地獄属性 | 無属性)初期ステータス 装備品: 刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | 茶器 | その他 || 施設 || 消耗品 | 城娘: 特技(攻撃系 / 防御系 / 弱体化他) | 所持特技 | 編成特技 | 大破特技 | 特殊攻撃 | 特殊能力 | 武器切替 | 計略(伏兵以外 / 伏兵) | 都道府県別 | 令制国別 | 季節限定城娘 | 特定カテゴリ |
赤数字は無印での最大レベルかつ絆100%時の値です。★1=Lv90、★2=Lv95、★3=Lv100、★4=Lv105、★5=Lv110、★6=Lv115、★7=Lv120
許昌城/ステータス
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| 初期配置 | 巨大化 | |||||||||||||
| 突破 | Lv | 耐久 | 攻撃 | 防御 | 範囲 | 回復 | Lv | 耐久 | 攻撃 | 防御 | 範囲 | 回復 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 改 壱 ★ 8 | 0 | 50 | 5605 | 216 | 333 | 90 | 20 | 50 | 11770 | 410 | 699 | 162 | 32 | |
| 0 | 55 | 5776 | 226 | 350 | 90 | 21 | 55 | 12129 | 429 | 735 | 162 | 33 | ||
| 0 | 60 | 5948 | 237 | 367 | 90 | 22 | 60 | 12490 | 450 | 770 | 162 | 35 | ||
| 0 | 65 | 6120 | 250 | 381 | 90 | 23 | 65 | 12852 | 475 | 800 | 162 | 36 | ||
| 0 | 70 | 6291 | 261 | 398 | 90 | 24 | 70 | 13211 | 495 | 835 | 162 | 38 | ||
| 0 | 75 | 6463 | 273 | 415 | 90 | 25 | 75 | 13572 | 518 | 871 | 162 | 40 | ||
| 0 | 80 | 6634 | 284 | 432 | 90 | 26 | 80 | 13931 | 539 | 907 | 162 | 41 | ||
| 0 | 85 | 6806 | 296 | 446 | 90 | 27 | 85 | 14292 | 562 | 936 | 162 | 43 | ||
| 1 | 90 | 6978 | 308 | 463 | 90 | 28 | 90 | 14653 | 585 | 972 | 162 | 44 | ||
| 1 | 95 | 7149 | 319 | 480 | 90 | 29 | 95 | 15012 | 606 | 1008 | 162 | 46 | ||
| 2 | 100 | 6042 | 331 | 495 | 90 | 30 | 100 | 12688 | 628 | 1039 | 162 | 48 | ||
| 2 | 105 | 8991 | 396 | 589 | 90 | 31 | 105 | 18881 | 752 | 1236 | 162 | 49 | ||
| 3 | 110 | 110 | ||||||||||||
| 3 | 115 | 115 | ||||||||||||
| 4 | 120 | 120 | ||||||||||||
| 4 | 125 | 125 | ||||||||||||
| ▼ | クリックで地形ボーナス込みのステータスを表示 |
地形ボーナス込みステータス
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CV担当:種崎敦美(種﨑敦美)
(公式発表によると「﨑」の字がゲーム内で表現できないので左のような表現になっている。)
| ▼ | ←クリックすると台詞一覧が表示されます。 |
※計略のない城娘の計略発動ボイスなど、通常流れないボイスはゲーム内の図鑑で聞くことができます。
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イラストレーター:
| ▼ | ←クリックすると御嬢、城娘画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。 |
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【デザイン】
冠と簪(クリックで表示)
漢民族の伝統服装。古代中国では人間の体はすべては親から与えられたものであり、無闇に捨てるのは不孝に当たると考えていた。そのため、男性でも髪を切らず長髪であり、冠と簪を使い髪を固定しまとめていた。
お面(クリックで表示)
絵柄は中国戯曲が使う臉譜(隈取)。ただし、京劇における曹操の臉譜(1)
(2)
とは異なり、独自なデザインとなっている。伝統戯曲では曹操は悪役であり、その臉譜も「狡猾」「老獪」を意味する白を基本色にしていたが、許昌城のお面では「忠誠」、「勇猛」を象徴する赤の部分を取り入れている。
後の建物(クリックで表示)
許昌市にある曹丞相府
。ただし年代が離れすぎたため元の府邸はまったく残っておらず、現在の曹丞相府は近年建設された曹操のテーマパークである。
武具(クリックで表示)
両側の盾は古代中国の歩兵用盾(歩兵傍牌
)の意匠が見取れる。
二振りの剣は《三国志演義》の中に曹操が持っていた宝剣「倚天」と「青釭」を意識しているか。
左下の大刀は欲しがっていた関羽の武器「青龍偃月刀」に模していると思われる。
【特技・計略】
寧我負人 毋人負我(クリックで表示)
《三国志注
》(裴松之)に《異同雑記》(孫盛)の記述を引用した言葉。曹操が董卓に占拠された洛陽から許昌へ逃げ帰る途中、知人の呂伯奢宅に泊めてもらった。呂は在宅しておらず、その息子が曹操をもてなそうとした。当時曹操は自分の首が董卓に懸賞を掛けられていると考えており、宴会を用意するための食器の音を武器などの襲撃の準備の音に聞き間違い、自分を殺そうとしていると思った。そのため呂の家族を皆殺したが、後に間違えた事に気付き、悲しみながら「寧我負人,毋人負我」(他人が私を裏切るよりも、私が他人を裏切ったほうがいい)という言葉を残したという。
特技発動時のセリフ「天下の人に背くとも、天下の人に背かせはしない」はこの言葉が《三国志演義》に脚色されたもの(「寧教我負天下人,不可天下人負我」)。
乱世の奸雄(クリックで表示)
前項と同じく《三国志注》が《異同雑記》から引用した言葉。曹操がまだ無名だった頃、世間に名を知らしめるために人物批評家で有名な許劭に訪ねたが、許劭は彼を「治世之能臣,乱世之奸雄」(平和な時代ならば有能な官僚、乱世ならば狡猾さで権力を奪い取る人物になる)と評した。曹操はそれに満足し、大笑して帰ったという。また、范曄の《後漢書》に記載された許劭の評価は多少ニュアンスが異なり、「君清平之姦賊,乱世之英雄」となっている。
【セリフ】
食、兵法、文学、雅楽(クリックで表示)
曹操は政治以外にも多才であることが知られている。
食:《四時食製
》という文が残っており、各地方にある14種類の珍味の魚とその料理法を記載している。また、(信憑性はかなり低いが)民間には料理を開発したなどの逸話が残されている。
兵法:自らの軍歴から用兵術をまとめた《孟徳新書》、当時の各種兵法書を整理した《兵法接要》、自分の理解で《孫子兵法》を注釈した《孫子略解
》など多くの兵法書を著した。
文学:多くの詩や賦を残し、建安文学の時代を開き、その代表の一人となっている。《短歌行(対酒当歌)
》や《亀雖寿
》は中国の国語教材にも入っている。
雅楽:専門の政府部門を設立し、雅楽の人材を集め、当時すでに伝承が絶えそうになっていた雅楽の研究と創作を進めた。また、教化・政治を目的とした雅楽だけではなく、娯楽目的の音楽(俗楽)にも関心があり、よく自分の詩に曲を作らせ、自らも歌ったりするという。
六博をしながら酒を飲み交わす(クリックで表示)
六博:中国の戦国時代(春秋戦国時代の後半)から晋王朝まで流行したボードゲーム。二人もしくは四人で行い、ルールはフクロウ等の鳥が池で漁する行為を模していた。賭博、博打の「博」の字の由来でもある。
酒:曹操は酒好きで有名であり、酒を飲みながら作られたと読み取れる詩(《短歌行》の「対酒当歌」「何以解憂,唯有杜康(酒の名前)」、《対酒》の「対酒歌」などの句)をいくつか残している。
白帝城(クリックで表示)
白帝城:劉備が没した地として有名。《三国志演義》では、曹操は劉備を高く評価しており、自分と共に天下でたった二人の英雄だと称していた。
梨、葡萄と酥(クリックで表示)
梨と葡萄:曹操ではなく、その息子の曹丕が天下の果物を評価した詔書
を下したことがあり、その中には梨と葡萄を大いに賞賛した。「葡萄はちょうどいい甘さで酸っぱくなく…」の文はこの詔書の中から取っている。
酥:小麦粉と麦芽糖で作られた飴、もしくは乳加工食品(バター・チーズ類)。《三国志演義》には、地方から酥が献上され、曹操に気に入られて「一合酥」(一箱の酥)と箱に題字した話がある。その酥は結局部下の楊修に見られると、題字を「一人一口の酥」と解釈され、他の部下達と分けて食べられてしまった。その時から曹操は楊修を忌み始め、また色々な事で不満が蓄積し、やがては処刑したという。
目的のためなら手段を問わぬ(クリックで表示)
三国時代では科挙制度がまだ確立しておらず、官僚の選抜は全て推薦により行われていた。曹操以前の時代では、推薦・選考の基準に道徳が最も重要であり、才能など無視して道徳だけ優れていれば登用されることもある。しかし実用主義者の曹操はその慣習を投げ捨て、唯才是挙(才能だけで評価する。《求賢令》より。)という理念を掲げた。そのため、彼を批判する人はそれを「道徳無視」だと解釈し、やがて後生では「目的のために手段を問わない人間」というイメージが残り、《三国志演義》もそれに基づいて曹操というキャラクターを脚色した。
蓮花、蓮城(クリックで表示)
伝説によると、華佗が曹操の頭痛を治療する時に薬の一味として蓮の種が必要となり、そのため曹操は許昌の護城河(堀)に一面の蓮を植えさせた。それが許昌の名物となり、宋代では「十里荷花,江湖極目」と称されていた。
許昌城は中国の中原地域に位置する城塞都市で、後漢末に曹操が献帝を奉じ、荒廃した洛陽から遷都したことで良く知られる。
中原に位置するため、許昌城周辺は古くから中華文明の中心地であった一方で、春秋時代には多くの勢力が割拠し、それ以降も黄巾の乱やモンゴルvs金の主戦場となるなど、古くから係争の絶えない地でもあった。
許昌城周辺が発展し始めたのは、前漢が建国されて許昌城周辺が潁陰県として分離・新設されてからである。
そして曹操がここを拠点にして以降、魏の時代の間には魏の五都に数えられるまでになった。
しかし、それ以降は歴史の表舞台には殆ど登場せず、一地方都市として今日まで発展してきた。
現在、往時の遺構はあまり残っていないが、元の頃に再建された関羽の邸宅跡(春秋楼)や、関羽が曹操の元を去るときに通った灞陵橋の跡、曹丞相府という曹操陣営のテーマパークなどがある。
| 所在地 | 中華人民共和国 河南省 許昌市 魏都区 |
| 現存状態 | 堀跡、関羽の邸宅(再建) |
| 城郭構造 | 城塞都市 |
「許昌」の名前の由来(クリックで表示)
許昌の名前には二つの由来がある。
まず「許」という字についてだが、これは中国神話の許由という伝説の人物の故事に由来する。
許由は陽城(許昌城のすぐ西隣の古都)にいた廉潔の人で、当時の堯帝がその噂を聞いて彼に帝位を譲ろうと申し出たが、許由は「汚らわしいことを聞いた」と近くの川で耳をすすいだという。
この故事に由来して、許由の名からこの周辺を「許」と呼ぶようになったという。
そして「昌」であるが、これは魏の曹丕の「魏基昌于许(魏は許を基にして昌(さか)える)」という詔により付けられた。
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