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		栗橋城  のバックアップ(No.19)
		
		 
		
 城娘ステータス: 全城娘一覧(刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | 茶器 | その他 || 平属性 | 平山属性 | 山属性 | 水属性 | 地獄属性 | 無属性)初期ステータス 装備品: 刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | 茶器 | その他 || 施設 || 消耗品 | 城娘: 特技(攻撃系 / 防御系 / 弱体化他) | 所持特技 | 編成特技 | 大破特技 | 特殊攻撃 | 特殊能力 | 武器切替 | 計略(伏兵以外 / 伏兵) | 都道府県別 | 令制国別 | 季節限定城娘 | 特定カテゴリ | 
 赤数字は無印での最大レベルかつ絆100%時の値です。★1=Lv90、★2=Lv95、★3=Lv100、★4=Lv105、★5=Lv110、★6=Lv115、★7=Lv120 
 
 
 ゲーム上の性能・評価  
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 ※計略のない城娘の計略発動ボイスなど、通常流れないボイスはゲーム内の図鑑で聞くことができます。 
 
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イラストレーター:riritto
| ▼ | ←クリックすると御嬢、城娘画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。 | 
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【デザイン】
【特技・計略】
【セリフ】
権現堂川(クリックで表示)
権現堂川は埼玉県久喜市と茨城県猿島郡五霞町の境界をなす利根川水系一級河川であるが、現在は上流部である利根川とは切り離されており調整池行幸湖となっている。
歴史的にはこのあたりは渡良瀬川の流路であり、かつては渡良瀬川は権現堂川の流路からさらに南下し現在の江戸川に相当する経路を流れていた(この下流部を太日川と呼んでいた)。
太日川は当時の関東から東北に向かう場合に超える必要のある最大の河川であり、現在の茨城県猿島郡五霞町元栗橋のあたりに存在した太日川の渡しは交通の要所であった。
状況が変化したのは江戸時代に入ってからであり、当時は渡良瀬川の西、現在の会の川・浅間川~葛西用水路~大落古利根川~中川~(東京都足立区・葛飾区境)~隅田川と流れていた利根川の洪水対策として、そのつけかえが行われたのが発端である。
この付け替えは段階的に進められ、すでに締めきられていた会の川に続いて浅間川が切り離され、新川通の開削によって現在の権現堂川以南が一旦利根川の本流となり、次いで赤堀川(現在の茨城県古河市と茨城県猿島郡五霞町の境)・逆川が開削されほぼ現在の流路となった。
以上の結果生じた利根川・渡良瀬川合流地点~旧渡良瀬川流路が権現堂川と呼ばれるようになった。
利根川本流時代には治水対策として大規模な堤防が築かれとされ、これが現在の権現堂堤の元と言われている。
堤防のうち中川の堤防となった部分は大正期以降桜の名所として知られるようになり、その後戦時中の伐採などもあったが現在は植え直され多くの花見客を集めている。
さしま茶(クリックで表示)
現在の茨城県南西部に広がる猿島台地で生産されている茶のブランド。
江戸時代初頭に生産が始まったと考えられており、利根川水運により輸送できる地の利をいかして生産が奨励されていた。
また、江戸時代末期に幕府が開国するとアメリカに輸出されたという記録も残っており、さしま茶は輸出された最初の日本茶となった。
現在でも茨城県南西部の3市2町からなる「さしま茶協会」がブランド展開を行っており、ペットボトル飲料などの開発も行っている。
ちなみに栗橋城のある猿島郡五霞町はさしま茶協会には属していない。
古河公方の重臣である野田氏の居城で、北条氏による北関東攻略の拠点にもなった城。
古河城の支城として、同じく古河公方の重臣である関宿城の西、水海城の南西に位置し、利根川水運を押さえる要衝の城として機能した。
『利根川図志』では権現堂川を挟んだ西側の対岸にも大島という地名で「ともに城山といふ」と記されているが、元和7年(1621年)の改修工事で権現堂川が城跡を分断するようになり、現在は西側の遺構は失われている。
東側は本曲輪が民家が建っていることで遺構を見ることができないものの、法宣寺の裏にある枡形虎口や「七曲り」と呼ばれる巨大なクランク状の堀、南北に伸びる外郭の堀や内郭の土塁などが比較的良好に残っている。
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古河公方の文書によると天文23年(1554年)、野田左衛門大夫に下総下河辺庄の向五郷と栗橋など39郷の知行を安堵するとあり、また弘治3年(1557年)には古河公方足利義氏の安堵状では野田氏の本領として古河・野田・高橋・河辺の16郷が安堵されている。
野田氏は鎌倉府の奉公衆時代から古河周辺を本領としていたと考えられ、戦国時代の公方御料所の書状からも永禄11年(1568年)までは古河から栗橋一帯を所領としていたとされる。
永禄11年(1568年)は滝山城主の北条氏照が栗橋城を支配するようになった年であり、氏照は栗橋城を北関東攻略の拠点として栗橋衆と呼ばれる城番を置いた。同年の第二次関宿合戦では氏照は栗橋城を拠点に関宿城を攻撃しており、また同年10月には野田氏が古河城の頼政口へ移されたという書状がある。
その後も栗橋城は北条氏による北関東支配の拠点として機能し、天正18年(1590年)の小田原征伐後に廃城となった。
| 所在地 | 茨城県猿島郡五霞町元栗橋 | 
| 現存状態 | 土塁、堀など | 
| 城郭構造 | 平城 | 
Published by (C)DMMゲームズ
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