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福岡城 のバックアップ(No.14)
城娘ステータス: 全城娘一覧(刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | 茶器 | その他 || 平属性 | 平山属性 | 山属性 | 水属性 | 地獄属性 | 無属性)初期ステータス 装備品: 刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | 茶器 | その他 || 施設 || 消耗品 | 城娘: 特技(攻撃系 / 防御系 / 弱体化他) | 所持特技 | 編成特技 | 大破特技 | 特殊攻撃 | 特殊能力 | 武器切替 | 計略(伏兵以外 / 伏兵) | 都道府県別 | 令制国別 | 季節限定城娘 | 特定カテゴリ |
赤数字は無印での最大レベルかつ絆100%時の値です。★1=Lv90、★2=Lv95、★3=Lv100、★4=Lv105、★5=Lv110、★6=Lv115、★7=Lv120
福岡城/ステータス
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| 初期配置 | 巨大化 | 実 測 | |||||||||||||
| 突破 | Lv | 耐久 | 攻撃 | 防御 | 範囲 | 回復 | Lv | 耐久 | 攻撃 | 防御 | 範囲 | 回復 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 無 印 ★ 4 | 0 | 50 | 2135 | 210 | 140 | 260 | 20 | 50 | 3843 | 344 | 252 | 426 | 28 | ||
| 0 | 55 | 2189 | 220 | 148 | 260 | 21 | 55 | 3940 | 360 | 266 | 426 | 29 | |||
| 0 | 60 | 2244 | 231 | 156 | 260 | 22 | 60 | 4039 | 378 | 280 | 426 | 30 | |||
| 0 | 65 | 2297 | 242 | 163 | 260 | 23 | 65 | 4134 | 396 | 293 | 426 | 32 | |||
| 1 | 70 | 2352 | 253 | 172 | 260 | 24 | 70 | 4233 | 414 | 309 | 426 | 33 | |||
| 1 | 75 | 2406 | 264 | 180 | 260 | 25 | 75 | 4330 | 432 | 324 | 426 | 35 | |||
| 2 | 80 | 2461 | 275 | 188 | 260 | 26 | 80 | 4429 | 451 | 338 | 426 | 36 | |||
| 2 | 85 | 2515 | 286 | 195 | 260 | 27 | 85 | 4527 | 469 | 351 | 426 | 37 | |||
| 3 | 90 | 2570 | 297 | 203 | 260 | 28 | 90 | 4626 | 487 | 365 | 426 | 39 | |||
| 3 | 95 | 2624 | 308 | 211 | 260 | 29 | 95 | 4723 | 505 | 379 | 426 | 40 | |||
| 4 | 100 | 2679 | 319 | 218 | 260 | 30 | 100 | 4822 | 523 | 392 | 426 | 42 | |||
| 4 | 105 | 2733 | 330 | 226 | 260 | 31 | 105 | 4919 | 541 | 406 | 426 | 43 | ○ | ||
| ▼ | クリックで地形ボーナス込みのステータスを表示 |
地形ボーナス込みステータス
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また、プレオープン時では様々な仕様ミスで有名にもなった城娘でもある。
当時は割合バフ等が累積したため、墨俣城と組み合わせて撤退時の気還元率を100%、つまり差し引き無しにできた。
計略も元々は範囲内攻撃デバフのトークンとなっていたが、設定ミスにより敵の攻撃力を10%落とすはずのものが10%に落とす(=90%落とす)効果になっていた。
今になって考えてみれば凄まじい性能であった。
CV担当:桑原由気
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※計略のない城娘の計略発動ボイスなど、通常流れないボイスはゲーム内の図鑑で聞くことができます。
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イラストレーター:ゾウノセ
| ▼ | ←クリックすると御嬢、城娘画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。 |
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【デザイン】
【特技・計略】
【セリフ】
ふっく~の母里太兵衛邸長屋門はねぇ、今はちょっと違う場所に建ってるの~(クリックで表示)
「黒田節」に謡われる名槍「日本号」を福島正則から呑み獲った逸話で知られる母里友信(太兵衛)は現在の福岡市中央区天神二丁目の野村證券福岡支店の地に屋敷を構え長屋門もそこに在ったが、昭和27年に證券ビル建築のため舞鶴公園内の現在地に移築された。
黒田長政によって築城され、現在の福岡市中央区に位置する梯郭式平山城である。舞鶴城の異名を持つ。
城地とされた福崎丘陵は、博多と那珂川を挟んだ西側にある。主に、本丸を囲むように二の丸、その外に大きく三の丸が配され、47の櫓を配し縄張りの範囲は約25万平方メートルに及ぶ。
縄張りの規模は熊本城をも凌ぎ九州では最大であり、巨大な天守台にもし天守が築かれていたとすれば熊本城と同規模のものであった。
福岡城むかし探訪館では、総面積80万平方メートル、東西1キロメートル、南北700メートルで、全国でも有数の規模としている。
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東側に那珂川を天然の濠としたうえで、城郭側の中堀(紺屋町掘)と佐賀鍋島藩の助力によって那珂川付近に掘られた肥前掘を連結した。
また西側の干潟「草ヶ江」を大堀として活用しており、この大堀は現在大濠公園として整備されている。城の北側(博多湾側)の潟を埋め立て城下町とした。
築城の際に、那珂郡警固村福崎を黒田家ゆかりの地である備前国邑久郡福岡(現在の岡山県瀬戸内市長船町福岡)の地名にちなみ「福岡」と改めている。
ちなみに口癖の「ゾンターク」は地元博多どんたくの語源と言われるオランダ語の"Zondag"からであり、意味は「日曜日」「休日」(英語の"Sunday"と同じ意味)。
おそらく当時来日していた南蛮人が「今日はお休み」と使っていた言葉が日本の祭日と結び付けられて「どんたく」と訛ったものらしい。
なお、博多どんたくという名称は改称であり、もともとは治承3年(1179年)にはじまった「博多松囃子」の呼称と風習を源流とし、一度途絶えたものの寛永18年(1641年)に再興した。
(余談)今から見れば意外かも知れないが、江戸以前は定期的な「日曜日」という概念は存在しておらず、そもそも日曜日の概念自体がキリスト教由来である。
もちろん日本も独自に一六日(いちろくび)という、1と6のつく日はお休み(つまり5日ごとにお休み)という習慣があった。1週間が7日で日曜日が休日という決まりになったのは明治時代からだそうな。
ゾンターク……ゾンターク……。
武神降臨!黒田長政で条件を満たして勝利すると得られる「潮見櫓」だが、福岡城には「潮見櫓」と「伝潮見櫓」の二つが三の丸の石垣沿いに存在した。
今回の報酬は北西に位置する潮見櫓を指しており、下之橋御門のそばに建てられた伝潮見櫓ではない。その他主要な櫓と言えば花見櫓、祈念櫓、武具櫓(多聞櫓・東三階・西三階の三つからなる)だが、祈念櫓以外は消失している。
また、現在は門跡のみがほとんどだが福岡城には立派な御門がいくつかあった。三の丸の上之橋御門、下之橋御門、追廻御門、二の丸には扇坂御門、埋御門、松木坂御門、桐木坂御門、水の手御門、本丸の鉄御門、本丸表御門、武具櫓御門などである。
| 所在地 | 福岡県福岡市中央区城内 |
| 現存状態 | 多聞櫓、二の丸南隅櫓、伝潮見櫓、祈念櫓、名島門、母里太兵衛邸長屋門、石垣、堀、再建二の丸北隅櫓、再建大手門 |
| 城郭構造 | 平山城 |
野口佐助一成(クリックで表示)
黒田二十四騎の一人であり、上月合戦の高倉山城の大手口で、一番槍の功名をあげる。三木城でも騎馬武者を槍で倒すなど槍の名手であるとともに、謙信流の使い手であったとも伝えられてる。
福岡城建築の際には石垣奉行を命じられる。驚いたことに、この時代の石垣にして現在の耐震構造に通じる作りであることで近年注目を集めたという意味では、先見の明があったと言える。
流石、石積みの天才・佐助たん!
下之橋御門の焼損と復元
平成12年(2000年)に本来の位置に残る唯一の門、下之橋御門が不審火によって消失した。街のシンボルの一部とは言え焼損の報は穏やかではない。
復元の計画が早い段階で持ち上がったものの、復元作業に取り掛かるにあたり、旧材をできる限り活かした状態での再現という課題が重くのしかかる。
すでに消失している部分も多く、またはシロアリ被害の箇所も散見されたため、原形を焼損跡から推測するには困難であった。
当初の姿に近似させるため、文献や見取り図、絵図やそのほか同技法で築造された城を参考に図面が描かれ、平成18年(2006年)にようやく着工が開始される。
冠木の被害は深刻で、炭化のほかシロアリによる中の空洞化が問題となった。
喰われた箇所は器具を用いて丁寧に刳り貫き新材をはめ込むことにしたが、乾燥した広葉樹は非常に硬く、時に刃が毀れることもあったようだ。
柱を立てる際も少々厄介で、礎石の風化が進んでいるため至る所に凹凸が見られる。礎石の凹凸に合わせて柱材を鑿で丁寧に削ってゆく作業を「光付け」という。
礎石においては外して削っての微調整が何度も繰り返され、この光付けの作業にはかなり苦心したという。
二階の櫓門の壁はコンクリートではなく土壁を使用した。一年以上寝かせた藁入りの土を竹と荒縄で組んだ骨組みに塗り込んでゆく。
寝かせることで藁が馴染み、粘り気のある土が生成される。崩れにくく塗りやすい真壁を作る際にはこうした時間のかかる仕込みも必要となった。
櫓の屋根は板葺きの上から竹釘で打ち込み、平瓦・丸瓦を葺いていった。鉄釘ではなく竹釘を使用するのは錆を避けるためである。
旧材の軋みや変形による新材との不都合や、旧材を活かしての苦労を乗り越え、2年を費やしようやく完成となった。火災に見舞われてからなんと8年越しの復元である。
名島門みたいに大切にするよ
合成をすると題名のような台詞を言うのだが、いったい名島門とは「何もん」なのか。所領のキャラクリックにその手掛りがあり、「友達の名島城からもらった」という趣旨の発言をしている。
もともとこの門は天正15年(1587年)小早川隆景が多々良川口の名島の陵端に築いた名島城の脇門であった。それを黒田長政が名島城から福岡城に居城を移す際、黒田24騎の一人である林掃部に下げ渡され邸宅の門として使用されたのだ。
「名島ひけ」と称されたこの門は、名島城の面影を残す数少ない遺構の一つである。
福岡城に端から天守があったのか
名島城から資材を移築し、元寇防塁の石塁も転用、挙句の果てには大宰府鴻臚館の史跡も取り壊し築城した福岡城は広大である。
だが、これだけの規模を誇っていながら福岡城には初めから天守がなかったと言われ続けていた。
確かに天守台はしっかりとあるにもかかわらず、現在肝心なその姿は見えない。取り壊されただけかと思いきや福岡城を描いた最古の絵図『福博惣絵図』にも天守は描かれていない。
一説では「幕府に配慮して天守台だけを設け実際には天守を築かなかった」という。これが定説とされ近年まで信じられてきたわけではあるが、面白い資料が見つかり定説が大きく揺るがされた。
『細川家史料』に福岡城に天守が存在したかのような記述が残されていたのだ。元和6年(1620年)3月16日付で細川忠興が三男の忠利に宛てた手紙でこうある。
「ふく岡の天主、又家までもくづし申し候。御代には城も入り申さず候。城をとられ申し候はば、御かげを以て取り返し申す可くと存じ、右の如く申し付け候よし、申し上げらると承り候」
つまりは「黒田長政が幕府に遠慮して福岡城の天守を取り壊す、と言った。」と記されているのだ。それとは別に細川家筆頭家老である松井家の『松井文庫』にも天守崩しの記録が残る。
「黒筑手廻しおくられ候と、其元にて申し候由候、ふくおかの城をくづし、石垣も天主ものぼせられ候由、爰元に申し候。如何様替わりたる仁に候間、其の分為る可く候」
訳せば「黒田筑前守長政は大坂城普請工事の遅れを取り戻すため、福岡城を崩し石垣も天守も大坂城に運んでいった、という話が入ってきた。長政は変わり者だからそういうこともあるだろう」となる。
また、上記二名の記述をもとにした「天守存在説」とは違い、九州大学大学院の服部英雄教授は櫓を天守と呼んでいたという説を唱えた。教授によれば小天守台・中天守台に三層の櫓が立てられ、それを藩内で天守と呼んでいたらしい。
加えて、重要な大天守台は予算が足りずにまったくの手付かずで、便宜上「幕府への配慮」という大義名分を提げ築かなかったのだろうと推察している。
結局あったのかなかったのかは依然としてはっきりしない中ではあるが、数年前より福岡市では基金を募り、在りし日の福岡城天守再建に力を注いでいる。
ふっく~の鶴形天守は弓になってるんだよ!え?天守閣はなかったって?そんな夢のないこといわないでよ!
Published by (C)DMMゲームズ
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