有岡城 のバックアップの現在との差分(No.18)
城娘ステータス: 全城娘一覧(刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | その他 || 平属性 | 平山属性 | 山属性 | 水属性 | 地獄属性 | 無属性)初期ステータス 装備品: 刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | その他 || 施設 || 消耗品 | 城娘: 特技(攻撃系 / 防御系 / 弱体化他) | 所持特技 | 編成特技 | 大破特技 | 特殊攻撃 | 特殊能力 | 武器切替 | 計略(伏兵以外 / 伏兵) | 都道府県別 | 令制国別 | 季節限定城娘 | 特定カテゴリ |
赤数字は無印での最大レベルかつ絆100%時の値です。★1=Lv90、★2=Lv95、★3=Lv100、★4=Lv105、★5=Lv110、★6=Lv115、★7=Lv120
有岡城/ステータス※絆100%ボーナス込みの数値です。項目の「突破」はそのレベルに到達するのに必要な限界突破の回数を表しています。
ゲーム上の性能・評価
キャラクターボイスCV担当:秦佐和子
画像イラストレーター:
改壱
城娘の元ネタ情報【デザイン】 槌の形状(クリックで表示) 有岡城城主であった荒木村重は籠城戦の際茶器を持って抜け出したとも伝えられ、また晩年堺にて茶人として復帰するなど茶道に通じていたとされる。 この槌は、荒木村重が所持しており千利休・徳川家康・尾張徳川家そして現在は徳川美術館に伝えられる「唐草文染付茶碗 銘 荒木」か。 この槌は、荒木村重が所持しており千利休・徳川家康・尾張徳川家そして現在は徳川美術館に伝えられる「唐草文染付茶碗 銘 荒木」か。 【特技・計略】 有岡の土牢(クリックで表示) 織田信長に反旗を翻した荒木村重へと、黒田官兵衛が織田方の使者として派遣されたが、 荒木高麗(クリックで表示) 荒木村重が有岡城の戦いで城から脱出する際に持ち出した唐草文染付茶碗の別名。 所蔵する徳川美術館の説明書きには、 「見込と外部側面に呉須で唐草文が描かれているが、高台を除いて内外にかけられた乳白色の釉のため文様は不鮮明である。「荒木高麗」とも呼ばれてきたが、中国南部産の呉須絵陶器であろう。千利休、徳川家康の手を経て、尾張家初代義直に伝えられた。大名物。」 とある。 【セリフ】 「え?美人だね…って、えへへ、ありがとうございます。」「美人薄命」(クリックで表示) 荒木村重の妻であった「だし」は、信長公記にて「きこへ有る美人」、また別の資料では「今楊貴妃」と書かれるなど、美人で知られることからか。 ただ、だしは荒木村重が有岡城から脱出した際、20代前半の若さで織田軍に処刑されている。 「甚だ壮大にして見事なる城、有岡城行ってきます!」(クリックで表示) 「茨木城のお姉ちゃんが、饅頭をナイフで食べてたけど」(クリックで表示) 宣教師ルイス・フロイスが有岡城のことを「甚だ壮大にして見事なる城」と形容したことから。 図鑑文章にも挙げられているが、有岡城が「総構え」の最古の遺構と伝えられる。 荒木村重が初めて信長に目通りした際、村重が信長の面前に出ると信長は刀を抜いて盆の上の大饅頭を刺し貫き村重の目の前につき出した。村重は信長に近づき大口を開けてその饅頭を食べた。その胆力が賞され摂津国を任された村重は茨木城主となり、後に伊丹城を攻め落とし有岡城へ改称した。 「え?美人だね…って、えへへ、ありがとうございます。」「美人薄命」(クリックで表示) 「甚だ壮大にして見事なる城、有岡城行ってきます!」(クリックで表示) 荒木村重の妻であった「だし」は、信長公記にて「きこへ有る美人」、また別の資料では「今楊貴妃」と書かれるなど、美人で知られることからか。 ただ、だしは荒木村重が有岡城から脱出した際、20代前半の若さで織田軍に処刑されている。 宣教師ルイス・フロイスが有岡城のことを「甚だ壮大にして見事なる城」と形容したことから。 図鑑文章にも挙げられているが、有岡城が「総構え」の最古の遺構と伝えられる。 「安土城ちゃんの大事な秘密を知ってしまったんです。わたし、どうすればいいですか?」(クリックで表示) 荒木村重が織田信長に突如反旗を翻したことから有岡城の戦いが始まるのだが、 「命だけは……何とか守りきりました。」(クリックで表示) 有岡城が初登場したイベント「清らかなる酒を求めて」でもその逃げ足の速さが表現されているが、 荒木村重が有岡城の戦いで城から脱出、重臣や一族妻子が処刑されるも尼崎城へと逃走し、また花隈城の戦いになるも毛利へ命からがら亡命をしたことからか。 荒木村重が有岡城の戦いで城から脱出、重臣や一族妻子が処刑されるも尼崎城へと逃走し、また花隈城の戦いになるも毛利へ命からがら亡命をしたことからか。 現実の城情報有岡城は荒木村重が伊丹城に移り、大改修とともに名を改めた城。 天正6年(1578年)、村重は織田信長に対し突如謀反を起こすと、有岡城に1年以上籠城・抵抗する。 村重を説得しに行った黒田官兵衛が土牢に幽閉されたのもこの時のことであり、連絡不通となったことから官兵衛が寝返ったと誤解した信長が松寿丸(のちの福岡城主・黒田長政)を人質として殺害しようとした。 天正6年(1578年)、村重は織田信長に対し突如謀反を起こすと、有岡城に1年以上籠城・抵抗する。 村重を説得しに行った黒田官兵衛が土牢に幽閉されたのもこの時のことであり、連絡不通となったことから官兵衛が寝返ったと誤解した信長が松寿丸(のちの福岡城主・黒田長政)を人質として殺害しようとした。 しかし、菩提山城主・竹中半兵衛は官兵衛の無実を信じ、稲葉山城乗っ取り事件にも従った重臣・不破矢足に命じてこれを匿った。 続きをクリックで表示 最終的に形勢が悪化すると、村重は尼崎城へと逃走、残された家臣が抵抗を続けるも落城した。 なおこのとき、村重は毛利家に逃れたが、のちに秀吉の世に茶人として復帰し、今日では利休十哲の一人ともされる。 なおこのとき、村重は毛利家に逃れたが、のちに秀吉の世に茶人として復帰し、今日では利休十哲の一人ともされる。 天正11年(1583年)に廃城となり、明治時代に遺構の一部が破壊されたものの、石垣や土塁、井戸等が残っており、国指定の史跡として保存されている。
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