[花嫁衣装]ロンドン塔 のバックアップの現在との差分(No.3)
城娘ステータス: 全城娘一覧(刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | その他 || 平属性 | 平山属性 | 山属性 | 水属性 | 地獄属性 | 無属性)初期ステータス 装備品: 刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | その他 || 施設 || 消耗品 | 城娘: 特技(攻撃系 / 防御系 / 弱体化他) | 所持特技 | 編成特技 | 大破特技 | 特殊攻撃 | 特殊能力 | 武器切替 | 計略(伏兵以外 / 伏兵) | 都道府県別 | 令制国別 | 季節限定城娘 | 特定カテゴリ |
赤数字は無印での最大レベルかつ絆100%時の値です。★1=Lv90、★2=Lv95、★3=Lv100、★4=Lv105、★5=Lv110、★6=Lv115、★7=Lv120
ゲーム上の性能・評価
キャラクターボイスCV担当: CV担当:金元寿子
画像イラストレーター:
改壱
城娘の元ネタ情報【デザイン】 ウェディングドレス(クリックで表示) 現在みられる白いウェディングドレスは、1840年のヴィクトリア女王とザクセン公子アルバートの結婚式でヴィクトリア女王が白いウェディングドレスを着たことで人気が確立されたとされている。 それまでも結婚式で白ドレスを着ることは皆無ではなかったが、1820年代末頃から大陸の影響をうけて広まり始めたらしい。 ヴィクトリア女王も、いわばこの流行に乗った形で白いドレスを着たともいう。ただし衣裳はすべて国産品であった。 白いシルクサテンのドレスに豊かさの象徴であるオレンジ(色ではなく果物)の花をあしらい、レースのヴェールを被った。 結婚後10年ほどして出版された書籍には、ヴィクトリアの結婚式以降花嫁が白い衣装を着ることが確立されたと書かれている。 また、彼女のドレスを彩ったホニトンレースはデヴォン地方の特産品で、200人ともいう熟練した職人が7か月かけて編んだものだった。 カラスのマフラー(クリックで表示) カラスがマフラーのようなものを着けているが、ロンドン塔で飼育されているカラスはそれを証明するための足環をつけられている。 ティアラのデザイン(クリックで表示) ロンドン塔の主塔・ホワイトタワーを模したものになっている。 ティアラのセンターストーン(クリックで表示) ロンドン塔に保管されている大英帝国王冠のリングリット(輪冠)の後ろ側にセットされているスチュアートサファイアと思われる。 104カラットある世界で著名なサファイアの一つ。 カリナンⅡがリングリットの正面にセットされる前はこれがリングリットの正面を飾っていた。 胸元のダイヤ(クリックで表示) 城娘の際の大きなダイヤは、ロンドン塔で永久展示されている「カリナンⅠ(530.20カラット)」をイメージしていると思われる。 イギリス王室所有。世界第二位のカットダイヤモンド。現物は王笏にセットされている。 お嬢姿の際の胸元のダイヤは、サイズが多少小さくなり「カリナンⅢ(94.40カラット)」イメージか。 カリナンダイヤは、原石では3106カラットあったとされ、イギリス国王エドワード7世へ66歳の誕生日の贈り物として贈られた。 「国王が当時世界最高のダイヤ加工技師にカットを命じたが、その加工技師ですらカットの際に緊張で失神した。」という逸話が作られるほど貴重な宝石である。 【特技・計略】 テューダー・ローズ(クリックで表示) 白薔薇のヨークと赤薔薇のランカスターの二家に分かれた薔薇戦争を最終的に制したのは、テューダー家のヘンリー7世であった。 ヘンリー7世はウェールズ大公の血を引く父親とランカスター家出身の母親との間に生まれた人物で、ヨーク家のエリザベスを王妃とした。 そして赤と白の薔薇を合わせた新しい紋章を作り、ヨークとランカスターの合同を宣言した。この紋章がテューダー・ローズである。 ヘンリー7世以降テューダー朝の各君主もこれを踏襲し、さらに現在のイギリス王家や国家機関まで受け継がれている。 ロンドン塔の衛兵ヨーマン・ウォーダーズをはじめとする近衛兵の礼装にもテューダー・ローズが取り入れられている。 レイヴンズ・オブ・ハピネス(クリックで表示) ロンドン塔の建つ場所と関係の深いベンディゲイドブラン王の名はウェールズ語で「祝福されし鴉」という意味である。 国を守るためにワタリガラスが保護されているのは有名で(ロンドン塔を参照)、ワタリガラスはアーサー王の化身ともされる。 カラスは不吉の象徴ともされるが、同時に太陽を象徴する鳥、幸福・幸運を表す鳥ともされた。我々に身近なところでは日本の八咫烏がいるが、それだけでなくヨーロッパやアメリカの神話にも登場する。 【セリフ】 ファッションウィーク(クリックで表示) パリコレことパリコレクションのような大規模なファッションショーのこと。中でも数日から一週間にわたって開催されるものを指す。 パリ、ミラノ、ニューヨーク、そしてロンドンが4大コレクションとして有名である。6月はメンズコレクションが開催される月でもある。 ようこそ、タワー・グリーンへ(クリックで表示) タワー・グリーンはロンドン塔の中庭にある広場。貴人用の処刑場として使われた。 ほとんどはロンドン塔北側のタワー・ヒルで処刑されており、確実にこちらで処刑されたのがわかっているのは6人だけである。 ・アン・ブーリン - ヘンリー8世の2番目の王妃。エリザベス1世の母。王の寵愛が薄れ冤罪を着せられて処刑。 ・ソールズベリー女伯マーガレット - プランタジネット家の生き残り。メアリー1世の教師も務めたがヘンリー8世と関係悪化で処刑。 ・キャサリン・ハワード - ヘンリー8世の5番目の王妃。アン・ブーリンとは従姉妹。姦通罪(不倫)で処刑。 ・ジェーン・ブーリン - アン・ブーリンの弟の妻でキャサリン・ハワードの女官。↑の不倫を手助けしたとして処刑。 ・ジェーン・グレイ - 「9日間の女王」。詳細は後述。 ・エセックス伯ロバート・デヴルー - エリザベス1世の寵臣だったが失脚、クーデターを起こそうとして失敗し処刑。 ほぼヘンリー8世時代じゃねーかとは思っていても言ってはいけない。いいね? 結ばれたばかりの二人が~(クリックで表示) 即位わずか9日で退位に追い込まれロンドン塔で投獄・処刑されたジェーン・グレイと、その夫のギルフォード・ダドリーのこと。 病弱だったエドワード6世が死に、次に即位したのは彼の姉たちではなく従姉妹の娘という血筋のジェーン・グレイだった。 エドワード6世の後見人だったノーサンバランド公ジョン・ダドリーが、ジェーンを後継者として無理やり認めさせていたのだった。 というのも、それに先立つこと数週間前、ダドリーは自分の息子ギルフォードとジェーンを結婚させたからである。公爵は女王となったジェーンの舅、ゆくゆくは将来の王の祖父として権力を握ろうとしたのだ。 しかし、王位争いの最大のライバルであるエドワード6世の姉メアリーを捕まえることに失敗し、メアリー派は反撃を開始する。 1553年7月19日、即位からわずか9日でジェーンは退位させられ、関係者は片っ端からロンドン塔に投獄されてしまった。 もちろんジェーンと夫のギルフォードもその中に含まれる。ロンドン塔の王宮部分から貴賓用牢獄に移され、11月には反逆罪で有罪が宣告された。 この時、新王となったメアリー1世はノーサンバランド公を既に処刑していたが、ジェーン夫妻は助命しようと考えていたとされる。 12月にはジェーンにはロンドン塔の中庭を散歩する許可が下りている。また夫ギルフォードとも面会できるようになった。 しかし、メアリー1世とスペインのフェリペ2世との結婚話が持ち上がると、それに反対した人々が反乱を起こした。そのうちの一派はジェーンの復位を要求した。これに政府が激しく反応し、ジェーン夫妻の死刑を決定してしまった。 それでもメアリーは処刑をためらっていたが、スペインを始め各所からの圧力に負けてついに死刑を命じた。 1554年2月12日。ギルフォード・ダドリー、タワー・ヒルにて処刑。連行される夫を窓から見たジェーンは夫の名を何度も叫んでいたという。 同日、夫の処刑から1時間後。ジェーン・グレイ、タワー・グリーンにて処刑。結婚からわずか9か月の夫婦生活であった。 二人の遺骸はロンドン塔の中にあるセント・ピーター・アド・ヴィンキュラ教会に埋葬された。 16歳と19歳の二人に死を命じたことはメアリー1世の評判を下げた。現在のイギリス王室はジェーンをテューダー王朝4代目国王として認めている。 仲睦まじい夫婦が陰謀に引き裂かれ~(クリックで表示) エリザベス1世の寵臣ウォルター・ローリーとその妻エリザベスか。陰謀とはウォルターが失脚した「メイン陰謀事件」と思われる。 ウォルター・ローリーは1591年に女王の女官だったエリザベス・スロックモートンと結婚する。しかし当時女王付き女官の結婚には女王の許可が必要で、この結婚はその許可を取らずに行われた。結婚を知った女王は即座にエリザベスを解雇し、ウォルターともどもロンドン塔に投獄した(ただし数か月で釈放された)。 数年後ウォルターは許されて宮廷に戻るが、まもなく女王が死んでジェームズ1世が即位すると、王を廃位して王の従姉妹のアラベラ・スチュアートを即位させようとしたとして反逆罪で逮捕される。これがメイン陰謀事件である。 ウォルターは1603年から1616年までロンドン塔に投獄されたが、獄中で繰り返し無実を訴えていたといい、また実際に冤罪であったと信じられている。 当時、身分のある囚人は牢の中でもそれなりの生活が送れていた。家族とも割と自由に面会できたし、その家族が滞在することさえできた。 実際、ローリー夫妻の三男カリュー・ローリーは投獄中の1605年に生まれている。引き裂かれても夫婦仲は変わらず円満だったようである。 1616年、ウォルターは南米を探検して財宝を王に献上することを条件に釈放され、南米に向かうが探検は失敗。帰国後1618年に処刑された。 妻のエリザベスは処刑されたウォルターの頭を防腐処理して自分が死ぬまでそばに置き続けた、と言われる。来客があると「旦那様にもご挨拶を」と言って夫の首を取り出して見せたらしい……という話もあるがさすがにこれはちょっと信憑性が低いっていうかヤンデレ怖い。 ウィリアムおじさまとマティルダおばさま(クリックで表示) 征服王ウィリアム1世とその王妃マティルダ・フランダースのこと。 二人は親戚同士だったため、当時の教会法に基づいて一度は結婚が無効とされるが、その後聖職者を味方に引き入れるなどして復縁した。 とんでもない理由というのは、この結婚の時のある伝説のことであろう。 ウィリアム1世はもともとノルマンディ公の庶子で、当時から「私生児ギョーム(ウィリアムのフランス語読み)」とあだ名されていた。 一方マティルダはフランドル伯の娘、しかも父方ではウェセックス王家アルフレッド大王の血を引き、母はフランス王女である。 気位も相応に高かったらしく、結婚を申し込むウィリアムからの使者に対して「私生児などとは結婚しない」と言い放ったという。 使者からその返答を聞いたウィリアムはなんとマティルダの住むブルージュ(ブルッヘ)の町に単独突入、教会に行こうとしていたマティルダを見つけ、衆人環視の中その髪をつかんで馬から引きずり下ろして殴りつけて逃げた。 しかしマティルダはその後一転この結婚を受け入れ、「衆人環視の中でわたしを殴りつけるような勇気のある方です。彼以外とは結婚しません」などと言ったという。現代的な視点から考えると確かにとんでもない話である。俺様系な創作にもなかなか無さそう。 またほかの伝説では、彼女との結婚をかけてウィリアムとマティルダの父フランドル伯ボードゥアン5世が決闘したが勝負がつかず、その中に割り込んで「父上と同じほど強い人となら結婚します」と宣言した、というものもある。 ついでに彼女にはもう一つ伝説があり、マティルダは独身時代アングロサクソン貴族の若者ブリクトリックに求婚したが断られた。 ウィリアムがイングランドを制圧したのち、ブリクトリックは投獄され、彼の領地ソーンベリーはマティルダのものとなったという。 なんというか、全体的に物騒な夫婦である。 とはいえその後の夫婦仲はわりあい良好だったらしく、4男7女に恵まれている。 また、ウィリアム1世の業績を記念した『バイユーのタペストリー』はマティルダの発案で作られたという説もある*3。 現実の城情報ロンドン塔の季節限定バージョン。 コメント |
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