ベリー・ポメロイ城 のバックアップの現在との差分(No.3)
城娘ステータス: 全城娘一覧(刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | その他 || 平属性 | 平山属性 | 山属性 | 水属性 | 地獄属性 | 無属性)初期ステータス 装備品: 刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | その他 || 施設 || 消耗品 | 城娘: 特技(攻撃系 / 防御系 / 弱体化他) | 所持特技 | 編成特技 | 大破特技 | 特殊攻撃 | 特殊能力 | 武器切替 | 計略(伏兵以外 / 伏兵) | 都道府県別 | 令制国別 | 季節限定城娘 | 特定カテゴリ | 左側の画像について。 城娘全体像の抽出画像を編集者が主観で300×415pxに縮小し、「城名S.png」で添付する。
赤数字は無印での最大レベルかつ絆100%時の値です。★1=Lv90、★2=Lv95、★3=Lv100、★4=Lv105、★5=Lv110、★6=Lv115、★7=Lv120
ゲーム上の性能・評価
キャラクターボイスCV担当: CV担当:伊瀬茉莉也
画像イラストレーター: イラストレーター:きらばがに(優木きら)
改壱
城娘の元ネタ情報【デザイン】 オデットアイ(クリックで表示) オッドアイ(クリックで表示) この城で現れる霊で有名な二人、ブルーレディとホワイトレディからだと思われる 【特技・計略】 ブルーレディ(クリックで表示) この城で現れる霊で有名な一人、この城にかつて住んでいた主人の娘。 ホワイトレディ(クリックで表示) この城で現れる霊で有名な一人、マーガレット・ポメロイのこと。 エナリーに地下牢に幽閉され餓死してしまった エリナーに地下牢に幽閉され餓死してしまった 【セリフ】 現実の城情報イギリス南西部、デヴォン州の丘陵地帯のベリー・ポメロイ村の北東約1マイルほどの位置に建つ城。 この付近の領主であったポメロイ家が15世紀に屋敷に城壁や塔を追加して城塞化したものとされる。 あるいは通常時は村で暮らし、攻撃を受けたら城に籠城するという「詰めの城」的な使用方法だった。 のちにサマセット公シーモア家の所有となるが17世紀末に放棄され、19世紀ごろの廃城ブーム以降観光地化した。 現在はI級指定建築物としてイングリッシュ・ヘリテイジが管理しているが、所有権はサマセット公シーモア家に残っている。 一部ではイギリスで最も幽霊が出没する城と言われる。 イギリスで最も幽霊が出没する場所と悪評高い城 続きをクリックで表示 伝承によればポメロイ家はウィリアム征服王の臣下で、征服王に従ってイングランドに渡り、所領を与えられた。 その後400年にわたり領主としてベリー・ポメロイ一帯を治め、15世紀後半の当主ヘンリー・ポメロイと息子リチャードが城を完成させた。 南側に残る15世紀当時の城壁には近くのダートマス城と同じような設計が見られ、同時期に築城されたと考えられている。 自己紹介ではフランスの攻撃に備えてと言っているが、もっと直接的な理由には当時のデヴォン地方の政情不安が挙げられる。 薔薇戦争以降も領主同士の対立が激しく、そこにフランスやスコットランドなど外国勢力も介入していた。 特にポメロイ家はヨーク家派閥として活動していたので、風当たりも強かったのだと思われる。 1497年にはコーンウォールからデヴォンにかけて僭称者パーキン・ウォーベックの乱が起こり一時は大軍となったり、その前後にも反乱や騒乱が続発するなどこの地域の治安は悪かった。 1547年頃、サマセット公爵エドワード・シーモアがトーマス・ポメロイから城と領地を購入する。 公爵が城を戦闘用から館に改装したとされるが、1552年に処刑されたこともあり、どこまで関わっていたかは不明である。 どちらかといえば彼と先妻の間の息子でポメロイに居住したエドワード・シーモア卿によるものが大きいと考えられている。 現在見られているエリザベス朝様式の東側の館は彼の時代1560~80年代のものである。当時としては先進的な設計だった。 更に彼の同名の息子の初代準男爵エドワード2世が17世紀に北側の谷に面した側に大きな館を増築しようと工事に取り掛かったが、準男爵という位には不似合いな大きすぎる建物であり、建築やその他で財政難に陥り工事は中断。結局完成することなく1613年に死去した。 一説によればエドワード親子、特に2世は公爵と後妻との息子がサマセット公爵の嫡子として扱われていたことに反感を持っており、前妻の息子の自分たちこそが嫡流だという思いから堂々たる屋敷を建てようとしたという。 しかし彼の息子と孫(こちらも同名なので3世・4世と区別されている)はこの不似合いな建物を完成させようとせず、元の東側の居館で生活した。 さらに4代目準男爵のエドワード5世は庶民院議長を務めるなど有力な政治家として活動したため、ロンドンから遠いド田舎デヴォンから交通の便が良いウィルトシャーに引っ越し、ベリー・ポメロイ城は荒れるに任せられた。 なお、5世の孫の6代目準男爵の時代にサマセット公爵家が断絶して6代目準男爵がサマセット公爵を継いだため、ベリー・ポメロイ城は再び公爵家の所有となった。 18世紀末に「ピクチャレスク」と呼ばれる廃墟や廃城と自然をモチーフにした絵画や文芸のブームが起こり、荒れ果てていた国内の古城が注目を集めるようになった。ポメロイ城もその一つとなり、いくつかの絵画や紀行文に当時の様子が残されている。しかし「幽霊が出る城」というイメージも付けられてしまったのもこの時代以降のことである。 観光客が来るようになると放置だけしてもいられなくなり、1830年代には崩壊しかけた城壁の補修工事が行われている。 1990年代に大規模な発掘調査が行われ、それまではウィリアム征服王の時代に築かれた城だと信じられていたのが覆され、15世紀に建造されたことが確定した。
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Published by (C)DMMゲームズ
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