トルツェルツ城 のバックアップの現在との差分(No.2)
城娘ステータス: 全城娘一覧(刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | その他 || 平属性 | 平山属性 | 山属性 | 水属性 | 地獄属性 | 無属性)初期ステータス 装備品: 刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | その他 || 施設 || 消耗品 | 城娘: 特技(攻撃系 / 防御系 / 弱体化他) | 所持特技 | 編成特技 | 大破特技 | 特殊攻撃 | 特殊能力 | 武器切替 | 計略(伏兵以外 / 伏兵) | 都道府県別 | 令制国別 | 季節限定城娘 | 特定カテゴリ |
赤数字は無印での最大レベルかつ絆100%時の値です。★1=Lv90、★2=Lv95、★3=Lv100、★4=Lv105、★5=Lv110、★6=Lv115、★7=Lv120
トルツェルツ城/ステータス※絆100%ボーナス込みの数値です。項目の「突破」はそのレベルに到達するのに必要な限界突破の回数を表しています。
ゲーム上の性能・評価
キャラクターボイスCV担当: CV担当:長谷川明子
画像イラストレーター: イラストレーター:かまぼこRED
改壱
城娘の元ネタ情報【デザイン】 【特技・計略】 エルツの確執(クリックで表示) エルツの確執/エルツァー・ファーデ(クリックで表示) どこにでもある領土争いの1つであるが、エルツ家・トリーア大司教も現代まで続き史料が豊富にあるので知られるようになっただけの事である。 詳しくはエルツ城の「現実の城情報」にある1331年~の文章をご覧ください。 ドイツ語でEltzer(エルツァー/エルツ(家)の) Fehde(ファーデ/確執) どこにでもある領土争いの1つであるが、エルツ家・トリーア大司教も現代まで続く名家でかつ史料が豊富にあるので知られるようになっただけの事である。 事の発端は1331年、神聖ローマ帝国選帝侯トリーア大司教の兄が皇帝になると権力を傘に拡大してきたので、エルツ家は他の領主と同盟を組みこれに対抗した。 2年に亘る攻囲の中で同盟を組んでいた他の領主は攻略されエルツ城も開城、トリーア大司教に仕える騎士の一員となった。 この戦いでエルツ家の他数家が同盟を組んでいるが、エルツ家が代表ではなく対等な同盟であった。 というか他家が代表であった可能性が高い。エルツ城は降伏・開城したのは1333年1月、調印が結ばれたのは1337年で5年の幅がある。 この期間他家は未だ戦いを続けていたのである。もしエルツ家が代表であれば、この時代の特徴である「TOPが陥とされれば戦いは終わり」という慣習に反する。 唯一残ったエルツ家のしたたかさと言えよう。 ブリーデンクーゲル(クリックで表示) ドイツ語でBliden(ブリーデン/投擲機) kugeln(クーゲル/ボール・丸い石)で要は投石機。固定式で10~20kgの石を数百メートル飛ばせる事ができた。 ドイツ語でBliden(ブリーデン/投擲機) kugel(クーゲル/砲弾の球)で要は投石機。固定式で10~20kgの石を数百メートル飛ばせる事ができた。 石だけに限らず、油を含ませた火球や死んだ家畜・戦死体を投げ込み戦意喪失や疫病効果も狙った。 ただ、この城で行われた合戦では効果は殆ど得られなかった。 【セリフ】 現実の城情報選帝侯トリーア大司教のバルドゥイン・フォン・ルクセンブルクが推した兄ハインリヒ7世が神聖ローマ帝国皇帝になると その力を背景に拡大に勤しんだが、これに対抗したのがエルツ城領主のエルツ家であった。 1331年、この両者で戦いが勃発した。トリーア大司教軍がエルツ城に攻め寄せたが、守りが固く攻め落とせなかった。 そこで、大司教軍はエルツ城の北へ230m、40mの山に陣城を築いた。これがトルツェルツ城である。 選帝侯トリーア大司教のバルドゥイン・フォン・ルクセンブルクが推した兄ハインリヒ7世が神聖ローマ帝国皇帝になるとその力を背景に拡大に勤しんだが、これに対抗したのがエルツ城領主のエルツ家であった。 エルツ家は同じく侵略されている家々と同盟を組み抵抗するが、ついに1331年戦端が開かれた。 トリーア大司教軍は圧倒的な戦力・兵力を持ってエルツ城に攻め寄せたが、守りが固く攻め落とせなかった。 そこで、大司教軍はエルツ城の北へ230m、比高差40mの山に陣城を築いた。これがトルツェルツ城である。 続きをクリックで表示 陣城と言っても柵で囲んだレベルではなく、縦横30×25メートル、周囲から集めた自然石のみならず切り出し石も使われ、 粘土と漆喰で固め10m程の塔や城壁があった。ただしヨーロッパ風土に対する耐久性はなかった。 陣城と言っても柵で囲んだレベルではなく、縦横30×25メートル、周囲から集めた自然石のみならず切り出し石も使われ、粘土と漆喰で固め10m程の塔や城壁があった。ただしヨーロッパ風土に対する耐久性はなかった。 ここからエルツ城に向けて、投石機や初期の大砲も使われたと云われるが大きな効果は無く、専ら兵糧攻めの攻囲が行われた。 戦闘は2年に亘って行われ、1333年、エルツ城は降伏・開城した。1337年、調印が結ばれエルツ家はトリーア大司教の騎士となった。 1354年、ハインリヒ7世の孫で神聖ローマ皇帝カール4世はトリーア大司教に推されて皇帝になったにも関わらず、 帝国に仕え続けたエルツ家の功績を認め、エルツ家の独立保障を行うとトルツェルツ城は重要性を失い維持されなくなった。 1453年、完全に放棄され廃城となった。 とは言っても包囲網は甘く、裏の川から兵糧や物資を運びこむ事ができたので、同盟他家との分断が主だった目的であった。 戦闘は2年に亘って行われ、1333年エルツ城は降伏・開城した。1337年、調印が結ばれエルツ家はトリーア大司教に仕える騎士となった。 降伏から調印まで期間があるのは、未だ降伏していない同盟軍があったためである。 城は戦争後もエルツ城への監視目的で維持され続けたので、戦争での臨時城塞から監視目的での「城」へと昇格したことになる。 1354年、ハインリヒ7世の孫で神聖ローマ皇帝カール4世はトリーア大司教に推されて皇帝になったにも関わらず、帝国に仕え続けたエルツ家の功績を認めエルツ家の独立保障を行った。 そもそも、この戦いを皇帝側から見れば直臣の騎士が滅ぼされたり吸収されたりで皇帝の基盤弱小であり、陪臣となった騎士の再独立を行うことで、皇帝への兵力・威信拡大に繋げることが狙いである。 こうなるとトルツェルツ城の重要性は一気に失われる。 家臣の監視目的だったのが再び皇帝の直臣となると、その立場は一応同格となる。 皇帝に目を掛けられている家を標的にすると今度はトリーア大司教側が不利になるので、城から退去せざるを得ず維持されなくなった。 1453年の文書では完全に放棄され廃城となっている。 ただ廃城後も役割はあった。 廃材が切り出されエルツ城の拡張に使われたという。 また現在は城の一部がエルツ家によって復元され、抗戦のモニュメントという観光資源に使われている。 名前の由来はドイツ語でTrutzeltz、trutz(トルツ/対抗、紹介文章にもあるトルツブルク)+eltz(エルツ)で「対エルツ城」となる。 なお初名はBalduin(バルドゥイン)eltz「エルツ領にあるバルドゥイン(大司教)の城」で、トルツェルツは戦争が終わってから恐らくエルツ家によって付けられた名である。
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