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館山城 のバックアップ(No.21)
城娘ステータス: 全城娘一覧(刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | 茶器 | その他 || 平属性 | 平山属性 | 山属性 | 水属性 | 地獄属性 | 無属性)初期ステータス 装備品: 刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | 茶器 | その他 || 施設 || 消耗品 | 城娘: 特技(攻撃系 / 防御系 / 弱体化他) | 所持特技 | 編成特技 | 大破特技 | 特殊攻撃 | 特殊能力 | 武器切替 | 計略(伏兵以外 / 伏兵) | 都道府県別 | 令制国別 | 季節限定城娘 | 特定カテゴリ |
赤数字は無印での最大レベルかつ絆100%時の値です。★1=Lv90、★2=Lv95、★3=Lv100、★4=Lv105、★5=Lv110、★6=Lv115、★7=Lv120
館山城/ステータス
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| 初期配置 | 巨大化 | ||||||||||||||
| 突破 | Lv | 耐久 | 攻撃 | 防御 | 範囲 | 回復 | Lv | 耐久 | 攻撃 | 防御 | 範囲 | 回復 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 改 壱 ★ 7 | 0 | 50 | 50 | ||||||||||||
| 0 | 55 | 55 | |||||||||||||
| 0 | 60 | 60 | |||||||||||||
| 0 | 65 | 65 | |||||||||||||
| 0 | 70 | 3955 | 303 | 267 | 150 | 24 | 70 | 8305 | 575 | 560 | 270 | 38 | |||
| 0 | 75 | 4050 | 316 | 279 | 150 | 25 | 75 | 8505 | 600 | 585 | 270 | 40 | |||
| 0 | 80 | 80 | |||||||||||||
| 1 | 85 | 85 | |||||||||||||
| 1 | 90 | 90 | |||||||||||||
| 2 | 95 | 95 | |||||||||||||
| 2 | 100 | 100 | |||||||||||||
| 3 | 105 | 105 | |||||||||||||
| 3 | 110 | 110 | |||||||||||||
| 4 | 115 | 115 | |||||||||||||
| 4 | 120 | 120 | |||||||||||||
| ▼ | クリックで地形ボーナス込みのステータスを表示 |
地形ボーナス込みステータス
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コード入力についての注意点(クリックで表示)
CV担当:福圓美里
| ▼ | ←クリックすると台詞一覧が表示されます。 |
※計略のない城娘の計略発動ボイスなど、通常流れないボイスはゲーム内の図鑑で聞くことができます。
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イラストレーター:
| ▼ | ←クリックすると御嬢、城娘画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。 |
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【デザイン】
【特技・計略】
【セリフ】
戦国時代末期から江戸時代初期にかけて、最盛期は安房から上総、下総まで勢力を伸ばした里見氏の最後の居城。
『南総里見八犬伝』で知られ、その元となった逸話を持つ(後述)。
現在の城は天正6年(1578年)に里見義頼が築かせたとされるが、それ以前に古い館があったともいう。
館山市内中心部に広がる平野を見下ろす独立丘上に建てられた山城で、丘は現在も城山と呼ばれている。
城を中心とした区域は館山市の城山公園となっており、隣接して市立博物館がある。
なお天守は犬山城をモデルに建てられた模造天守。三層構造の天守があったことは明らかだが、詳細は不明である。
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築城当時の里見氏は、後北条氏と渡り合って講和を結ぶなど里見氏の最盛期を築いた当主・里見義弘が急死し後継者争いが起きていた。
嫡男の梅王丸(義重)と庶長子(または義弘の弟で養子)の義頼が対立し、義頼は本拠だった安房館山に城を築くよう命じた。
これが館山城の始まりとされるが、築城に適したこの位置に全く何の施設もなかったとは考えられないとする見方もある。
義頼は後北条氏の後援も受けて上総を制圧、梅王丸を出家させて里見氏を掌握すると岡本城に入り、館山には城番を置いた。
ちなみにその後北条氏とは手切れして再び対立関係に戻り、水軍同士でやり合ったりしている。
その後義頼を継いだ義康の代に天正16~18年(1588~1590年)にかけて改修が行われ最終的な形になったとされる。
改修が完成した年、豊臣秀吉の小田原攻めと関東仕置で里見氏は上総を没収され、里見氏の居城は岡本から館山に移された。
関ヶ原の戦いでは東軍に属し、その功で飛び地の常陸鹿島3万石が加増され、のちに館山藩の主城となる。
この頃に総構えを増築したが、鹿島の領民が担当した堀の跡には今も「鹿島堀」の名前が残る。
しかし義康の息子・里見忠義は大久保忠隣の孫娘を正室としたことで、忠隣の失脚・改易に連座させられる形で伯耆国倉吉に改易、館山城も破却された。
その後、館山藩は旗本稲葉氏によって再興されたが城は再建されず、城山の南側の麓に陣屋が置かれた。
城山本体は特に手を加えられなかったが、太平洋戦争中に城山に防空砲台が建造され、主郭・二の丸を中心として大きく改変が加えられた。
主郭は7メートルほど削平され、その残土で二の丸もかさ上げされるなどしたためほぼ埋もれてしまった。
陣地工事の範囲外だったために変状を免れた堀切・土塁や里見氏系の城に見られる小曲輪群などが現代も残存している。
主郭跡(一応)には模造天守が築かれ、内部は南総里見八犬伝にちなんだ展示を主とした博物館になっている。
| 所在地 | 千葉県館山市館山351−2 |
| 現存状態 | 曲輪、堀切、空堀・水堀 |
| 城郭構造 | 連郭式山城 |
『南総里見八犬伝』と八賢士(クリックで表示)
『南総里見八犬伝』は江戸時代の読本(小説)作家・滝沢馬琴(曲亭馬琴)が、47歳から75歳まで28年間をかけて著した長編作品。
文学史上に残る名作、かつ98巻106冊に及ぶ大長編なので内容の詳細はとても書ききれない。書ける人がいればぜひ追記をお願いしたい。マジで。
とても簡潔に要約すれば、『南総里見家とそこに仕える八犬士の数奇な運命と戦いを描いた物語』である。
文化11年(1814年)に初版が刊行され、庶民に広く読まれて親しまれた。当時は貸本が一般的であった。
馬琴は他にも代表作のある人気作家だったにもかかわらず、八犬伝のあまりの人気に馬琴本人が「吾を知る者はそれただ八犬伝か、吾を知らざる者もそれただ八犬伝か」と言ったと伝わる。
馬琴は執筆の途中で失明したため、息子の妻のお路(おみち)に口述筆記させて完成させた逸話も有名である。
そのほか江戸時代の出版事情や流通事情の研究にも大きな役割を果たしている。
その八犬伝の主要人物「八犬士」にはモデルとなった人物がいたという説がある。
館山城最後の城主・里見忠義は改易から8年後の元和8年(1622年)、失意のうちに29歳の若さで死去する。
この時8人の家臣が忠義に殉死して同じ寺に葬られ、主君と共通の戒名から「八賢士」と呼ばれたという。
この殉死のエピソードが馬琴の耳に入り、『南総里見八犬伝』を思いついたのではないかとする説がある*2。
八賢士の遺骨は分骨され、城山の一角に葬られた。この墓は現在でも「八遺臣の墓」として篤く供養されている。
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