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足利氏館 のバックアップ(No.18)
城娘ステータス: 全城娘一覧(刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | 茶器 | その他 || 平属性 | 平山属性 | 山属性 | 水属性 | 地獄属性 | 無属性)初期ステータス 装備品: 刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | 茶器 | その他 || 施設 || 消耗品 | 城娘: 特技(攻撃系 / 防御系 / 弱体化他) | 所持特技 | 編成特技 | 大破特技 | 特殊攻撃 | 特殊能力 | 武器切替 | 計略(伏兵以外 / 伏兵) | 都道府県別 | 令制国別 | 季節限定城娘 | 特定カテゴリ |
赤数字は無印での最大レベルかつ絆100%時の値です。★1=Lv90、★2=Lv95、★3=Lv100、★4=Lv105、★5=Lv110、★6=Lv115、★7=Lv120
足利氏館/ステータス
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| 初期配置 | 巨大化 | ||||||||||||||
| 突破 | Lv | 耐久 | 攻撃 | 防御 | 範囲 | 回復 | Lv | 耐久 | 攻撃 | 防御 | 範囲 | 回復 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 改 壱 ★ 8 | 0 | 50 | 50 | ||||||||||||
| 0 | 55 | 55 | |||||||||||||
| 0 | 60 | 60 | |||||||||||||
| 0 | 65 | 65 | |||||||||||||
| 0 | 70 | 2186 | 205 | 138 | 240 | 24 | 70 | 4372 | 369 | 276 | 432 | 36 | |||
| 0 | 75 | 75 | |||||||||||||
| 0 | 80 | 2286 | 223 | 150 | 240 | 26 | 80 | 4572 | 401 | 300 | 432 | 39 | |||
| 0 | 85 | 2336 | 232 | 158 | 240 | 27 | 85 | 4672 | 417 | 316 | 432 | 40 | |||
| 1 | 90 | 2386 | 241 | 164 | 240 | 28 | 90 | 4772 | 433 | 328 | 432 | 42 | |||
| 1 | 95 | 2436 | 250 | 170 | 240 | 29 | 95 | 4872 | 450 | 340 | 432 | 43 | |||
| 2 | 100 | 100 | |||||||||||||
| 2 | 105 | 105 | |||||||||||||
| 3 | 110 | 110 | |||||||||||||
| 3 | 115 | 115 | |||||||||||||
| 4 | 120 | 120 | |||||||||||||
| 4 | 125 | 125 | |||||||||||||
| ▼ | クリックで地形ボーナス込みのステータスを表示 |
地形ボーナス込みステータス
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CV担当:内村史子
| ▼ | ←クリックすると台詞一覧が表示されます。 |
※計略のない城娘の計略発動ボイスなど、通常流れないボイスはゲーム内の図鑑で聞くことができます。
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イラストレーター:
| ▼ | ←クリックすると御嬢、城娘画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。 |
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| ▼ | ←クリックすると御嬢、城娘画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。 |
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【デザイン】
帽子のデザイン(クリックで表示)
足利氏の家紋「足利二つ引」の意匠が取り込まれている
飾り(クリックで表示)
腰から伸びる飾りは銀杏の葉の形をしており、敷地内にある天然記念物の大銀杏をモチーフとしている。
この大銀杏は樹齢約650年といい、紅葉シーズンにはそれが黄色の葉で覆われ美しい姿を見せている。
【特技・計略】
大日様(クリックで表示)
鑁阿寺は足利義兼(戒名:鑁阿)が建久7年(1196年)に持仏堂を建て守り本尊として大日如来を祀ったのが始まりとされ、地元では古くより「大日様」と呼ばれている。
【セリフ】
勉強(クリックで表示)
足利氏館のセリフには
「お勉強した坊や」、「勉強中にうたた寝」など勉強という言葉が散見される。
これは足利氏館(鑁阿寺)のすぐ南方には足利学校が存在するためである。
足利学校は創立時期こそ議論が続いておりはっきりしないものの、「坂東の学校」と呼ばれ中世東国における最高の教育機関であった。
特に上杉憲実の庇護下に入った15世紀以降繁栄し、その後の歴史の転変の中でも後北条氏、徳川氏、歴代の足利藩主と有力者からの庇護を受け続け歴史を重ねた。
その指導範囲は、儒学、易学、医学、兵学など多岐にわたり、戦国期には出身者が大名に仕えるということも珍しいことではなかったという。
しかし、江戸期半ばに入り朱子学が栄える一方、兵学などが衰えるに従い足利学校も地位を失い、明治に入る頃には学校としての体裁は完全に失われ、廃藩置県の翌年廃校となった。
これだけの長い歴史を持つ学校ということもあり蔵書には宋代の書物など極めて貴重なものも多く、廃校以降それらが散逸の危機にさらされると関係者が尽力しこれを守り通した。
そのおかげで、現在でも貴重な文書が当地に残され、現在は足利学校の敷地内にある1915年開設の足利学校遺蹟図書館が保管している。
その中には国宝が4点77冊、重要文化財が8点98冊が含まれ、特に国宝のうち1点は金沢文庫由来であることが知られている。
また、足利学校跡地も廃藩置県後敷地の東半分を小学校用地として転用されるなどにより多くの建物が失われ、消滅の危機にさらされたが、蔵書とあわせて保護活動が実り、残された孔子廟など西半分は地元足利町(現足利市)が維持した。
跡地ならびに残された建造物は大正10年(1921年)に国の史跡に指定されており、地元の尽力が報われる結果となった。
現在では足利市によって史跡整備により、明治に失われた東半分の敷地でも建物や庭園の復元がなされ、繁栄していた往時の姿を取り戻している。
慈悲深き大日如来様のように、無辺の愛で貴方を包んであげましょう(クリックで表示)
大日如来は智恵を表す「金剛界(こんごうかい)」と慈悲を表す「胎蔵界(たいぞうかい)」という世界にいるとされる。鑁阿寺では胎蔵大日如来を本尊とし、金剛大日如来は多宝塔に安置されている。
おやつに最中を用意してるから(クリックで表示)
足利市内の老舗和菓子屋が足利学校や鑁阿寺の古印、足利藩ゆかりの画家・田崎草雲の落款等に因んだ「古印最中」というお菓子を販売している。
ちなみに栞と包装紙の文字を書いたのは足利市出身の書家・相田みつをである。
河内源氏の流れをくみ、鎌倉幕府の有力御家人・将軍家一門として要職を歴任した足利氏の居館。
平安時代末期、源義家の子・義国が下野足利荘の領主となり、その子で足利氏初代となる義康が居館を構えたとされる。
足利氏2代の義兼の時に敷地内に持仏堂を建立したのが現在まで続く鑁阿寺の創建であり、3代義氏が堂塔伽藍を建立して足利氏一門の氏寺とした。
足利氏は尊氏の代で室町幕府を開き、足利氏一族は京や鎌倉へと移ったことで足利氏館には鑁阿寺のみが残され、居館も失われたと考えられる。
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足利氏館は居館の周囲を土塁と水堀で囲んだ典型的な鎌倉時代の単郭方形館で、御家人の居館が100メートル四方前後の規模が普通だったのに対し、足利氏館は200メートル四方と在地領主の居館としては最大級で、足利氏の権勢を物語っている。
これらの館跡は現在鑁阿寺として残り、大規模な土塁や水堀も現存していることから、足利氏館は中世の居館の姿を伝える貴重な遺構となっている。
| 所在地 | 栃木県足利市家富町 |
| 現存状態 | 堀、土塁など |
| 城郭構造 | 平城 |
Published by (C)DMMゲームズ
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