松代城 のバックアップの現在との差分(No.16)
城娘ステータス: 全城娘一覧(刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | その他 || 平属性 | 平山属性 | 山属性 | 水属性 | 地獄属性 | 無属性)初期ステータス 装備品: 刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | ランス | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | その他 || 施設 || 消耗品 | 城娘: 特技(攻撃系 / 防御系 / 弱体化他) | 所持特技 | 編成特技 | 大破特技 | 特殊攻撃 | 特殊能力 | 武器切替 | 計略(伏兵以外 / 伏兵) | 都道府県別 | 令制国別 | 季節限定城娘 | 特定カテゴリ |
赤数字は無印での最大レベルかつ絆100%時の値です。★1=Lv90、★2=Lv95、★3=Lv100、★4=Lv105、★5=Lv110、★6=Lv115、★7=Lv120
松代城/ステータス※絆100%ボーナス込みの数値です。項目の「突破」はそのレベルに到達するのに必要な限界突破の回数を表しています。
ゲーム上の性能・評価
キャラクターボイスCV担当:三上枝織 画像イラストレーター:成瀬ちさと
改壱
城娘の元ネタ情報【デザイン】 茶釜(クリックで表示) 持っている茶釜は松竹さんという名で、モデルは模様から上が茶釜部分で模様と下の部分が「唐銅鬼面風炉」と思われる。 草摺(クリックで表示) 草摺に付いている水色の飾りは、三の丸にあった丸馬出しを囲む三日月堀。また、二の丸に繋がる馬出しの水堀も同じ三日月堀の名である。 【特技・計略】 千曲川(クリックで表示) 築城時は城のすぐ北側を千曲川が流れていて天然の外堀としていたが、江戸時代に度々洪水を起こしたため延享年間(1744~1748)に大規模な付替え工事が行われ現在の流路になった。 千曲川の旧河道は百間堀となったが、明治維新以降に埋め立てられた。 不崩の土手(クリックで表示) 文政11(1828)年に信州松代藩士・佐久間一学が築いたとされる土手。一学の長男は佐久間象山である。 【セリフ】 鶴翼を持って敵を撃ち払わん!(クリックで表示) 第四次川中島合戦時、海津城が武田軍の重要拠点となり、この戦いで武田軍が鶴翼の陣で妻女山から降りてきた上杉軍を迎え討とうとしたことから。 自軍の部隊を敵に対峙して左右に長く広げた隊形に配置する陣形を鶴が翼を広げた様子に例えて「鶴翼の陣」という。 第四次川中島合戦時、海津城が武田軍の重要拠点となり鶴翼の陣で妻女山から降りてきた上杉軍を迎え討とうとしたことから。 躑躅ヶ崎様、お許しを!(クリックで表示) 第四次川中島合戦時、山本勘助は海津城から出撃した春日虎綱や馬場信房らが率いる別働隊で妻女山にいる上杉軍を叩き、降りてきたところを迎え討とうとしたが、気付いた上杉軍が先に奇襲をかけて来た。 春日山城(クリックで表示) 本能寺の変後に起こった天正壬午の乱で上杉家が海津城に入ったことから。 お茶関係(クリックで表示) 松代藩主藩主真田信之の時から花の丸に2棟の茶室があったが、8代幸貫は徳川吉宗曾孫で松平定信の庶長男で老中だった。 松代藩主真田信之の時から花の丸に2棟の茶室があったが、8代幸貫は徳川吉宗曾孫で松平定信の庶長男で老中だった。 そのため、訪れる客が多く茶の湯が盛んに行われさらに2棟建てられた。季節・客・気分によってこれらを使い分けられていたという。 また不崩の土手を築いた佐久間一学を見出している。 ちなみにツイッターの千狐の紹介文に「城内のいたる所に茶室が存在したことで有名です。」とあるが、最大で花の丸の4棟+(本丸御殿or新御殿)の2ヶ所だけである。 現実の城情報海津城を前身とする、長野盆地の南西端部に位置する城で、城の北側を流れる千曲川を防御に利用した天然の要害。 海津城を前身とする、長野盆地の南西端部に位置する城で、城の北側を流れる千曲川を防御に利用した天然の要害。 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦い後に海津城に森忠政が入って「待城」へと改称し、二の丸と三の丸が増築された。本丸は千曲川と接する最奥部に置き、二の丸・三の丸をその周囲に配置し、城郭の基本構成が整えられた。 忠政は慶長8年(1603年)に津山城へと移り、徳川家康の六男である松平忠輝が代わって入った。忠輝は慶長15年(1610年)に越後を加増され越後福島城、次いで高田城に居城を移したため、待城には附家老の花井吉成が城代として入った。 忠政は慶長8年(1603年)に津山城へと移り、徳川家康の六男である松平忠輝が代わって入った。忠輝は慶長15年(1610年)に越後を加増され越後福島城、次いで高田城に居城を移したため、待城には附家老の花井吉成が城代として入った。 元和2年(1616年)に忠輝は改易され、待城には松平忠昌が入り待城を「松城」に改称した。忠昌は元和5年(1619年)に高田城へと移り、代わって酒井忠勝が入ったのち、元和8年(1622年)には真田信之が入って松代藩真田氏の初代となり、以後明治維新に至るまで真田氏の居城となった。 第3代藩主幸道の時代の正徳元年(1711年)には、幕命によって松代城と改称されている。
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