甲府城 のバックアップの現在との差分(No.14)
城娘ステータス: 全城娘一覧(刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | その他 || 平属性 | 平山属性 | 山属性 | 水属性 | 地獄属性 | 無属性)初期ステータス 装備品: 刀 | 槍 | 槌 | 盾 | 拳 | 鎌 | 戦棍 | 双剣 | 弓 | 石弓 | 鉄砲 | 大砲 | 歌舞 | 法術 | 鈴 | 杖 | 祓串 | 本 | 投剣 | 鞭 | 陣貝 | 軍船 | その他 || 施設 || 消耗品 | 城娘: 特技(攻撃系 / 防御系 / 弱体化他) | 所持特技 | 編成特技 | 大破特技 | 特殊攻撃 | 特殊能力 | 武器切替 | 計略(伏兵以外 / 伏兵) | 都道府県別 | 令制国別 | 季節限定城娘 | 特定カテゴリ |
赤数字は無印での最大レベルかつ絆100%時の値です。★1=Lv90、★2=Lv95、★3=Lv100、★4=Lv105、★5=Lv110、★6=Lv115、★7=Lv120
甲府城/ステータス※絆100%ボーナス込みの数値です。項目の「突破」はそのレベルに到達するのに必要な限界突破の回数を表しています。
ゲーム上の性能・評価
キャラクターボイスCV担当:ささきのぞみ 画像イラストレーター: イラストレーター:sho
改壱
城娘の元ネタ情報【デザイン】 甲府徽典(クリックで表示) 甲府城が持つ本の名は「甲府徽典」だが、元ネタは甲府城郭内に存在した学問所「徽典館(きてんかん)」。 甲府勤番子弟の教育を行う甲府学問所を前身として、1805年に徽典館が開校した。 後に江戸にあった昌平坂学問所の分校としての再編が行われ、昌平坂学問所の蔵書の一部が移管され学頭も派遣される事になった。 徽典館は明治時代になってからも廃止されることなく改称をしながら続き、現在の山梨大学の元となっている。 【特技・計略】 甲府五山(クリックで表示) 仏教(臨済宗)に帰依した武田信玄が鎌倉五山や京都五山にならって府中(甲府)やその周辺に定めた五つの寺院のこと。 武川十二騎(クリックで表示) 武川衆(むかわしゅう)は戦国時代に武田家に仕えた甲斐の武士団。数々の戦で武田軍として奮戦するも、武田家滅亡後は徳川家康に仕え江戸時代には大部分が旗本になった。 慶長十二年(1607)に甲斐を治めていた徳川義直が尾張に転封になった後、交代制で甲府城の城番となったのが十二人の武士であり、そのうち十人が武川衆であった(残り二人は津金衆)ため、武川十二騎と呼ばれた。 なお武川衆からは五代将軍綱吉の時代に大出世を果たした柳沢吉保を輩出しており、大名として甲府藩を治めている。 大神宮祭(クリックで表示) 毎年2月3日の節分に甲府市内各所で開かれるお祭り。 【セリフ】 城内には温泉があったり(クリックで表示) 甲府勤番士・野田市左衛門成方が著した『裏見寒話』に「温泉 御城内、楽屋曲輪(がくやくるわ)の御門前水道に湧出つ」との記述がある。 極楽浄土へナームナム(クリックで表示) 極楽浄土とは阿弥陀如来の仏国土(仏が治める清浄な世界)のこと。 甲府城と縁のある阿弥陀如来を祀る寺として甲斐善光寺(定額山浄智院善光寺)がある。 甲府城と縁のある阿弥陀如来(善光寺式阿弥陀三尊)を祀る寺として甲斐善光寺(定額山浄智院善光寺)がある。 甲斐善光寺は武田信玄が川中島の合戦による戦火で信濃善光寺が焼失するのを恐れ本尊その他の寺宝を甲斐国へ移転し創建した。 甲府城の築城とともに甲斐善光寺の門前町は城下町に組み込まれていった。 僕の数珠は、とぉーってもすごいんだぞぉ~♪(クリックで表示) 江戸時代の天保年間(1830年~1844年)に京都より玉造りの職人を迎えたことにより甲府の水晶細工産業が始まり、数珠や帯留め、根付けなどの製品が作られるようになり産地としての地位が確立された。 現在、甲州水晶貴石細工は経済産業省指定伝統的工芸品に指定されている。 ちなみに甲府市内の武田家ゆかりの大泉寺には信玄が愛用したという水晶大念珠が所蔵されている。 現実の城情報天正壬午の乱で甲斐を領有した徳川家康が、平岩親吉に命じて一条小山城跡に築城した説や、小田原征伐後に家康が関東に移されてから羽柴秀勝・加藤光泰が築城した説があるが、石垣や瓦から判断して浅野長政・幸長の時代に完成したとされる。 江戸時代には幕府直轄領となって城番制がしかれ、徳川綱重、綱豊(家宣)らの代で大規模な修築が行われた記録がある。 江戸時代には徳川家の係累が治めたり、幕府直轄領として城番制が敷かれたりを繰り返しながら、徳川綱重・綱豊(家宣)らの代で大規模な修築が行われた記録がある。 宝永元年(1704年)には柳沢吉保が甲府藩主となり、城内の建物を新築し城下町も大々的に整備され、大いに発展した。 続きをクリックで表示 柳沢氏が大和郡山に転封してからは再び幕府直轄領となって勤番制がしかれ、任命された旗本が一族を伴って甲府城下に移り住み、江戸の文化で賑わったという。 なお当時の甲斐は一揆が頻発するなど政情が安定しない地域であり、素行不良や懲戒を受けた旗本や他の役職に就けない旗本の受け皿となった甲府勤番は「山流し」「旗本の左遷先」として嫌がられていたようである。 慶応2年(1866年)に勤番制は廃止されて甲府城代が置かれ、戊辰戦争では甲州勝沼の戦いの舞台となり、明治6年(1873年)の廃城令によって廃城とされた。 甲府城には築城時の姿を留めた野面積みの石垣が良好に残っており、豊臣期の築城技術を知る貴重な遺構となっている。
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